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【あかね噺】そうだ、落語にいこう。

え~本日はお寒いなか、わたしのnoteにご来訪いただきありがとうございます。
さて冬になるとどうしてもお風呂を沸かしたくなるものでするものですが、ここで思い浮かぶのが『東海道中膝栗毛』でございます。東海道を旅する北八と弥次郎兵衛のくだらない掛け合いが立板に水。そんな道中のお笑い話が小田原宿での「五右衛門風呂」騒動。五右衛門風呂というのは直接底を火で温めますから、そのまま入ろうものなら足がすっかり茹で上がってしまいます。悪戯な弥次郎兵衛はそのことを教えずに北八に風呂を進めるから、熱い熱いの大騒ぎ。現代のギャグにも通じる滑稽本ですね。
さあさあ、お江戸のお笑い話といったら『好色一代男』にもお風呂がございます。女湯の覗き見がギャグ漫画の様式美になっておりますが、その元を辿ると主人公は齢十歳ほどの世之助という者が、女の裸体みたさに屋根から望遠鏡で覗くというのですから、いつの時代の男も呆れたものですわ。

寒いお江戸を沸かしたのは滑稽本だけではありません。ここに一つ、江戸時代の寄席を温めたものに落語というのがございます。そういうワケで、本日ご紹介しますのは時を同じく江戸時代に隆盛を極めた落語を扱った『あかね噺』。

本日もよろしくお願いいたします。

と、落語の枕(本題にはいる前に席をあたためておく世間話)をマネしてみました。いやはや最近は古典芸能とサブカルチャーという一見して正反対するものが混じり合っていますよね。
アニメ『平家物語』、アニメ映画『犬王』、落語マンガ『うちの師匠はしっぽがない』etc…。

そして今回紹介するのが、『あかね噺』(集英社)。舞台は現代の東京。様々なエンタメの台頭によって、江戸を風靡した落語の姿はどこへやら。主人公・あかねの父は、しがない落語家として真打(プロ中のプロ)を目指して昇格試験を兼ねた公演に。自分の落語を発揮して合格するかのように思えたが、審査員・一生(いっしょう)によってまさかの破門。あかねの父は落語家の道を絶たれてしまう。
しかし父の落語を間近でみてきたあかねは、どうしても父の落語が悪かったとは思えない。そんなあかねが、落語家に弟子入りし父の落語で、かつて父を破門にした一生に認めさせてやると燃える女子高生の爽快青春譚!

「ま~た、おっさん趣味×女子高生のテンプレか」
と思った方、侮るなかれ。
この作品の本質は、

人の夢は!!! 終わらねェ!!!

ということです。

主人公あかねは、落語家の父のことを尊敬しその言葉の魔術を目の前で受けてきました。そんな父が、審査員で落語家の一生のひと言で破門にされてしまいます。それは落語家生命のおわり。
「破門」
そのひとこで父の十数年の落語家人生が否定されてしまいました。
父の落語を一生に認めさせてやる!
その思いで落語家に弟子入りして高校生で落語家デビューを果たします。

読んでいて心地よいのが、あかねの溌剌さ、ひたむきさです。落語という古い芸能ということで、年功序列や理不尽なルールというものに振り回されながらも、常に前向きに何事も学んでいく吸収力。(私みたいなおじさんにはそんな気力もありませんが笑)
まだ荒削りだけど確かなあかねの成長をささえる温かい兄弟子たち。たとえば、あかねは兄弟子に飲食店のバイトをさせられてしまいます。一見落語と関係ないことのようでありますが、そこにはお客さんの雰囲気を学び、それに応えるという落語の本質がありました。兄弟子がバイトをさせた意図を汲んで学んでいく姿。兄弟子のあかねを想う気持ちが現れるワンシーンです。ただ、一を学んで十を知るのがあかねのよさです。お客さんの雰囲気を知ってそれに応える……だけじゃない!。兄弟子の教え以上の成果を出して成長していく過程は読んでいて圧巻されます。

二つ目に面白いポイントは、主人公以外のキャラの際立ちの良さ。主人公の存在感を殺さず、だけど物語に深みを与えるだけの登場人物たち。彼ら一人ひとりのドラマがあって、それがその人を形作っている。そして、彼らを形作ったそれを、あかねへ受け継がれ彼女の成長を促していくという一連の流れがうまく描写されています。
他にも、あかねが落語家を目指すことを否定する高校の担当教員が登場します。「なんだこいつ」と思ってしまったのですが、彼女が教師としてのトラウマを抱えていることが明らかになります。それを知ってしまうと、彼女の言い分も理解できて……。そういった気付き——つまり自分がみている世界は物事の一側面でしかなかったということへの反省——を得ることができます。読書を通じて私自身も成長できるわけです。

四角錐の画像
横からみれば三角形だが、上からみれば四角形である。このように自分がみているものが必ずしも真実とは限らないという事例。人類学などで構造主義の例え話として用いられています。

夢ってそんなに諦めれるモノ?
あかねの父が落語家を辞めて、建設系の社員になってしまったという回想があります。周りの人は「やっとまともな職についたね」とお祝いします。実際、しがない落語家だったころよりも収入は増えて、外食にも行けるようになります。けれども、それって本当に幸せなのでしょうか。
娘に誇れる父(落語家)になろうとした姿、落語が大好きだった父の姿。それを見て育ったあかねにとって、周囲の「まともな職につけてよかった」という言葉はほんとうに《よかった》のでしょうか。それは、傍から見た我々の一方的な基準に当てはめてしまっているだけなのではないでしょうか。
わたしたちは常に自分の善悪の基準に照らし合わせて物事を考えてしまいがちです。父を破門にした一生師匠にも、そうするにいたった信念があるはずです。
ただし、その信念が本当に《よい》ことであるかは別問題です。あかねは自分と、そして夢を絶たれた父の信念を引き継いで、一生師匠の認めなかった父の落語で戦っていきます。

ダークヒーローものが好きな方にとってはおすすめできる作品なのではないかと思います。


アニメ化したら……
アニメ化する際は、あかねの日常シーンを増やすべきですね。派手派手な女子高生なのに落語家というギャップがたまらないのですが、それを漫画ではあまり表されていない。漫画だと冗長になってしまうので仕方ないですが、常に動き・色・声があるアニメーションなら日常シーンを増やすことでよりい作品の奥行きを深められるはずです。
個人的には一話の冒頭に派手な女子高生が落語家を目指しているシーンを15分入れて、父のような落語家になりたいという思いを表したいですね。それで、その後に回想的な感じで父の落語家人生が絶たれる瞬間を描く。そうすれば落語×女子高生のギャップを魅せながら、2話へのサスペンスになるでしょう。

漫画4巻で、一生師匠に「なぜ父を破門にしたのか」を問うシーンがあります。ここで結構キツイ言葉を投げかけられてしまうのですが、あかねはそれを自分なりに呑み込んでいるシーン。父を破門にした恨みとかそういったものが心でぐるぐる渦巻いていると予想できますが、そのことにうまく落とし所を見つけるという、主人公の成長が感じられるシーンです。
ここで主人公が泣きませんでした。でもアニメ化するなら、あかねの顔を俯かせることで視聴者にサスペンスを与えながら、涙が目尻に溜まったり、あるいは目をうるませながらも「良かった」と言わせたいです。あかね自身の迷いや恨みみたいなもの清濁併せ呑んで、涙をためながら「よかった」と言わせることができれば、その俯いている数秒間の余白に読者は彼女の心境を読み込むだろうし、その上で目を赤くしながら笑っている姿なんかされたら、もらい泣きしてしまいますよ!(私だったら)。


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