1000冊以上読んで、わかったのは、本ばかり読むな、ということ
本ばかりでは、駄目だ!!
ここでは主に、ビジネス書について書く。小説は、少し別かもしれない。
ただ、本を読めばいいと思っていた。本を一冊読めば、芋づる式に読みたい本が広がっていく…
体感だが、500冊くらいからだろうか、至った境地だ。
もう本はいい!
本に囚われると、融通がきかない人間になる可能性がある。本には、書いてなかったなぁ、などと、すぐググる人のように、本で調べるだけで、自分で考えなくなる。
本に書いてあることは鵜呑みにしていいのか。数字や統計は信じやすい。でも、本当は知識より、論理的な思考回路を持つことのほうが大切だ。
本を読み、「まだ知らないことがたくさんある」ということを知れた。
中途半端に知った気分になって、こいつは●●も知らないのか、と言う人は浅ましい。
彼らだって知らないことは、まだ、あるはずだ。
自分で考えろよ、なんて言うけど、そもそも自分の考えなんてあるのか?誰かの考えではないか。
私が悩んでることは、歴史上の哲学者がすでに悩んでいる。
視野を広くした方がいい。
人は環境で変わる。
海外の作家のビジネス書を読むと、色んな例が出てきて、楽しい。まるで海外に行った様な気分になれる。
速読術では、「例えの部分は、読み飛ばせ」と書いてあるが、外国人の例えは、面白い。日本人の発想にないから新鮮だ。知らない単語がいくつも出てくるので、また新しく、本を読まなくてはいけないが。
最近のアメリカの本には、よく「ゲームオブスローンズ」が出てくるから、気になってきた。
例えには、知性が宿る。比喩が面白い人は、魅力的だ。
勉強には、終わりがない。本には、知らないことがたくさん出てくる。もちろん、面倒なら、本に出てきた、わからない単語をいちいち調べなくてもいい。
何冊か読んでいたら、だんだんと覚えてくる。
若者の読書離れ、という。読書しないことが、悪のようだ。たしかに、ある程度の読書は必要だ。ただ、それ以上は、理解度が薄まる。知識に対するありがたみが、なくなる。
格言が凡庸なものに思えてしまう。尊敬しかけた人が、案外ふつうな人だ、と気づいてしまう。多作家の方だと、またこの話かぁ、というくらい、同じことが繰り返されていたりする。
本を読むより、アウトプットをしよう
2021年、現在。今は、過渡期なので、色々なものが変化している。読まなくていいのではないか、という本が増えてしまった。
本には鮮度がある。知識は、腐る。時代に合わない本は、残念だが存在する。
かつてのビジネス書を読むと、よく「通勤時間が無駄なので、職場の近くに住め」と書いてあった。
今はテレワークの人もいるし、これまでのような都会集中か、本当のノマド的な生き方になるのか、はっきりとしない。
「テレビは時間の無駄だから、見ない」なんて書いてあるものも多かった。今ならテレビではなく、ネットフリックスだろうか?などと考えたりする。そもそもテレビを持たない人も多い。
探していた本が見つからない時は、「本屋に電話して取り寄せましょう」と書いてあった。そもそもスマホがあれば、すぐに買える世の中だ。
ビジネス書は、賞味期限が早い。
差別的だなぁ、と首を傾げるものもある。20年以上昔のものが、そうだ。
もちろん時代を超えた名作もある。
今を味わうには、今の本を読むのがいいのかもしれない。ただ、最近は流れが早く、発売された途端に古く感じるものもあって中々難しい。
私はこれまで同様、本を読むだろう。
しかし、本を読むのもいいけど、今を生きることが、一番大切だ、としみじみ思う。本で知るより、実物に触れるのだ。このご時世は、なかなか難しいことではあるが。
インプットばかりの、受動的な日々に、警鐘を
たくさんの本を読んだら、このまま人の考えばかり読むだけで良いのか、と感じ始めた。説教のごとく、一方的に話を聞くだけ。
焦燥感。現実への違和感。
書きたいことがとめどなく溢れてくる。
ドラマやアニメを、ただ受動的に見るだけの日々。ほとんどのものは、頭から忘れ去られる。本の内容を忘れちゃ意味ない、と言う人もいるけど、読書だって、無理に暗記しようとしなくていい。面白いものは、心の中にある。
現代は、みな、莫大なインプットをしている。情報過多。アウトプットへの渇望がある。
こうやって文を書いたり、料理をしたり、diyで部屋を一新してみたり…
これは全て、アウトプットだ。
書くことへの見返りを求めると辛いだけだが、無心で書くことって、アウトプットって楽しい。
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