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【音楽祭】夏に翳る。【GLAY編】 ▷ 屋根裏

▒ 春夏秋冬イメージソング
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春編はこちらから。

 

【夏霞の黎明に、屋根裏部屋で。】オーナーの由眞です。梅雨が早々明けてしっかり暑くなって来ましたね。
暑さに弱く夏は嫌いと憂いがちなぼくですが、夏の歌は割と好む傾向にあるみたいで、この記事を書くために一旦自分の好きな夏曲をプレイリストにまとめたら記事にするには結構なボリュームになってしまったので、アーティスト別で書くことにしました。

今回は、ぼくのバイブルと言っても過言ではない、GLAY編。
あくまでもぼくがイメージする夏曲なので、正しい夏曲のみの構成とは限りませんが、新曲に疎い面も持ち合わせているのでご存知の方は懐かしみながらご覧頂けたら幸いです。
GLAYをご存知ない方も、最近引っ越したてのぼくですが、旧居から撮った空の写真を挟みながらご紹介して行きますので、よかったら写真だけでも見て行って頂けると。笑
同じような景色・アングルですが、同じ場所から撮っているのに毎日違う表情を見せる空、が好きです。


夏音

夏の空は今日も青空で
君を思い出すから嫌いだった

ぼくは基本的に自分のことを無価値な人間だと認識していて、だからこそ昔も今も関わり合ってくれる友人という存在は尊くて有難いもので、こんな自分を好いてくれるのであればそれ以上にぼくは彼らのことを守りたい、守らなくちゃならないという使命感を勝手に抱いています。
この「夏音」は歌詞に「精一杯生きた証のような恋でした」「ぼくの恋はずっとそのままで」とあるので、恋愛、それも失恋もしくは死別の歌なのかなと勝手に解釈しているんですが(有識者の方にはごめんなさい。気になった方は調べてみてください)、曲の雰囲気もさることながら、めちゃくちゃ共感出来るフレーズがあって、お気に入りの夏曲です。

きっといつか君の哀しみを
全て背負うそれが僕の夢だった

自分にとっても、誰かにとっても、痛みも哀しみも本人のものなので、代わりに背負ってあげることなんて出来やしないのだと解っていても、共感でさえ時に薄っぺらいものに成り下がってしまうとしても、守りたい確かなものが傍らに在ったこと、その軌跡が、ぼく自身の夏の記憶の中に、今もまだ。

夏の空は今日も青空で
君を思い出すから嫌いで
一人読んだ最後のページには
「精一杯生きた証のような恋でした」
僕の恋はずっとそのままで
一人大人になるのが寂しくて

 

Blue Jean

GLAYの4人が仲良しなMVとしてもお気に入りの爽やかな夏曲。確か、カメラ好きのBASSのJIROさんが撮影している(or撮影した一部を使用している)んだったような。
この曲を流しながら夏の海岸沿いをひとりドライブするという最高のロケーション、毎年でもやりたいやつ。

心から愛する人に愛される
そんな奇跡を幸せと呼んだ

人との繋がりも巡り逢いも刹那の擦れ違いも、ぼくにとっては全てが奇跡そのもので、自慢出来るものは何も持っちゃいないけれど、ただひとつ誇れるものがあるとしたら、人の縁には恵まれている、ということ。
家族とは摩擦こそあれど、どの職場に行っても先輩から可愛がって貰えて、友人と呼べる貴重な存在があって、SNSという広大な海原で知り合えた大好きな人達がいて、ぼくの両手には奇跡という星屑がいつもきらきら輝いていて。その煌めきに対して、尊いと感じたり、唯一無二だったり、有難さと少しの切なさと、きらきらに対するわくわくに「幸せ」と名付けたらしっくり来た、という気持ちを教えてくれたのも、この曲でした。

 

summer FM

許す勇気がなくて
高校の頃 家出をした

新居のぼくの部屋にはまだエアコンがなく、今もこの暑さを、ひんやり敷きパッド・サーキュレーター・シャツクール冷感ストロングetcといった色んな冷え冷えアイテムで乗り越えているんですが、カラッと晴れてくれれば気持ちいいんだなということは以前栃木で一人暮らししていた頃に知り、新居もまさにそんな晴れ模様で、都心部ほどの亜熱帯じゃないのがとても助かるし嬉しいし気持ちいい。

そう、気持ちいいと感じるぐらいなので、ぼくが夏を嫌う理由は暑さだけではないのでは?と思いました。で、なんでそこまで嫌いだったのかなと振り返ってみると、実家暮らしの特に小学生時代、父は釣りが趣味で、仕事休みの土日はほぼ毎週、深夜の暗い内から家を出て朝から昼頃まで釣りに付き合わされていたんですが、もしかしてそれが原因かなーと思い始めた今日この頃。笑

ぼく自身も釣りが楽しいと感じるようになったのは成人後なので、それまでは待ってる時間が退屈だったし、自分は自分なりに遊びを見付けて時間を潰してはいたものの釣りがお開きになるまでその場に拘束されるのが苦痛だったり、炎天下で釣りをする、に関してはあまりいい思い出ではなくて、それが夏のイメージに直結している可能性もあるなあと思ったのでした。
でも、自分らで釣った魚を持ち帰って魚拓をとったり、実際に食べてみて美味しかったり、そういう経験は貴重なものだなと、今も確かに自分の中に残っているし、自分を彩るものの内のひとつだなと感じています。

この曲のこのフレーズを聴くと、家出らしい家出こそしたことはないものの、門限を破ったり深夜に家を出て周辺徘徊してみたり、夏の夜空を見上げて、街が目を覚まし出す静けさから始まりの空気に切り替わる瞬間が好きだったり、幼かったあの頃が懐かしい。
許せなかったことは未だに許せないままで、許すつもりもないけれど、それでいい。それでいいと思う。

余談ですが、釣りに使う餌(ミミズみたいなやつ)でほどほどの大きさのアオイソというものがあるんですけど、そいつに噛まれて指先から出血したのが幼ながらにトラウマで、釣りが楽しくて父の隣で自分もやり出したものの、未だに餌を付けられないのが難点で、家族と離れてから釣りを辞めてしまったのは少し残念です。笑 撒き餌という手もあるけど海をあんまり汚したくなかったり、疑似餌は好まなかったりして。
今時期は鱚(キス)でしょうか、開いて天麩羅にして塩で頂くのが好きです。

 

STAY TUNED

夏のキラメキ 風の行方に
水しぶき上げて海にダイブ
今年こそはと期待を胸に
泣き濡れた日々を蹴飛ばして
恋人になる 君がいるなら
汚れた世さえ楽園になる

The・夏のナンバー!
サビ部分なんかは聴いたことある方も多いのではないでしょうか。こちらもぼくにとっては夏のドライブソング。アップテンポでノリやすいメロディーライン、アガりますね。
ちなみにこの曲が収録されている「ONE LOVE」というアルバムを夏頃になると鬼リピートしていたので、「HIGHWAY No.5」「Fighting Spirit」「ひとひらの自由」「電気イルカ奇妙ナ嗜好」も同様に夏のイメージが定着しています。
特に「ひとひらの自由」は「夏音」同様ぼくはガチ泣きした、強く共感出来る部分があってお気に入りの曲でもあるので、よかったらぜひ一度ご試聴あれ。

恋人といる 僅かな時に
何を話せばよかっただろう?

きっと、取り留めもない、他愛もない、くだらない話でよかったんだと思う。話の内容だけでなく、話すこと自体に意味を求めたばかりに、どうでもいい話は真の意味でどうでもいい話に成り下がってしまって、そういう話をするのが酷く怖くなった。
友人といても家族といても何を話したらいいんだろう、なんでもない話に価値がないなら話す意味はないなと、口を動かすことを辞めたあの頃の自分が今のぼくを見たら、きっと驚くだろうし、くだらない、どうでもいいって一蹴するんだろう。
それでもいいよ、話すことそのものに価値や意味や効果があるんだってこと、今のぼくがよく知っているから。

 

君が見つめた海

僕だけが夏を追いこして
君だけがいつも微笑んでた

「夏音」と「君が見つめた海」は、母が亡くなった後によく聴いていた気がします。どちらも恋の話なのに、節々でリンクするところがあって、泣いて泣いて、泣き明かした。
母の日が近くなったり、亡くなった頃の夏になるとあの壮絶な闘いの日々と、それをまるで感じさせなかった太陽のような笑顔の母の姿をよく思い出します。未だに母の命日は覚えられない。何度位牌を見て確認しても、正確な日付を覚えていられない。ぼくは辛い記憶には蓋をしたり錯誤を起こすタイプなんですが、物覚えが良すぎていいことも悪いことも忘れられず昨日のことのように思い出せるタイプの姉でさえ、命日だけは曖昧で、それだけ僕らにとって大きな存在で。
父はいつまでもうじうじしていられないだろ、と言うタイプで(ありながら寂しくて堪らないのだろうなということは承知だけど)、亡くなった人のことを多くは語らないけれど、ぼくはぼく自身が覚えていて、思い出せる能力が衰えない限りは、いつまでも悼んで行こうと思う。

だって、人は二度死ぬって言うじゃないですか。
ぼくは母を、二度も殺したくはないので(もちろん忘れることを責めたりしませんが)、夏はこうやって毎年、メソメソすると思います。

GLAYの夏曲って他にもそれらしいものがもっとあるはずなんですけど、自然とややしっとりめの選曲になったのは多分これだな、と。

君が残したものは
終わらない夏の陰り
時よ彼女の命 奪わないで あと少しだけ

 

由眞の夏曲第一弾はGLAYでした。
また次回の屋根裏部屋でのお喋りをお楽しみに。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
またね。

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