悩みは書くことでのみ解決できる
悩みは言葉でできている。
だから悩みは、書くことでのみ、解決できる。
人間は言葉を手に入れたことで、複雑な思考ができるようになった。
しかし思考が複雑になったせいで、悩むようになった。
つまり言葉をおぼえたせいで悩みは生まれた。
だから悩みは言葉によってしか解決できない。
だから悩みは、書くことでのみ、解決できる。
行動こそが悩みを解決するのでは?
「いや悩みを解消するのは行動でしょう」
「考えてばかりで動かないからいつまで経っても悩むんですよ」
と、行動的な人は言う。
たしかにそうかもしれないと思っていた時期もあった。そして実際に、行動したことで解消した悩みもあった。
でもじゃあ、行動しなかったら、その悩みは解決しなかったか?と考えてみると、本当のところはわからない。結局あのとき行動しなくても、時間が解決してくれたかもしれないな、とも思う。
結局のところ、あのときの行動を肯定したいから「行動してよかった」というロジックを後付で作っているのかもしれない。
悩みの本質を捉えずに行動するのはあまり意味がない
悩みの本質を捉えていない行動には、あまり意味がない。
たとえば「恋人がほしい」という欲求には、
①性欲
②「さみしさを紛らわしたい」という欲求
③「恋人がいないのは人間としてだめな気がするという不安から脱却したい」という欲求
など、色々な欲求が混ざりあっている。このように分解してみると、
①個人で満たす方法が色々ある
②さみしさは恋人じゃなくても「同じ趣味を共有する仲間」などでも満たされる
③だめな気にさせてくる人間関係から離れる
といった方法でそれぞれ対処できることもある(もちろんできないこともある)。
このように「悩み≒満たされない欲求」は分解してひとつひとつ攻略していくほうがカンタンだし、むしろ悩みが複雑に絡み合ったまま攻略しようとすると、たいていはこじらしていく。
自分の悩みの本質を理解した後で行動しないと、わりと不毛な人間関係に時間とお金を突っ込んでしまいがちだ。
複雑に絡み合った悩みを分解できるのは言葉だけ
このように、複雑に絡み合った悩みを分解するには、言葉の力を借りるしかない。
「悩み≒満たされない欲求」を言葉にするとはどういうことか。
それは「書く」か「話す」ことでなされる。
しかし悩みというのは、たいてい個人的なもので、人に言うなどもってのほか。書くことすら恥ずかしい、というものがほとんどだ。
だから書くしかない。それでも書くしかない。だからこそ書くしかない。
書きながら、自分と対話するしかない。
誰にも見せられない文章を書こう。
後から破り捨てたくなるような文章を書こう。
CM
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