「思考の手書き」を再開した
しばらくやっていなかった「思考の手書き」を再開した。
僕は考えることに偏重しすぎて、行動をおろそかにするきらいがある。それでここ1年くらいは、思考の時間を減らして、noteを書いたり動いたりする時間を増やそうとしてきた。
それなりに効果はあった。でも、思ったほどではなかった。考えずに動いてみても「うまくいった!」という手応えがない。「今日はたくさんのことができた!」と思える日が続いたとしても、息切れしてそのあと何もしたくない日が続く。トータルでみると行動量はたいして増えなかった。
だからここいらでもう一度、好きなだけ考える生活に戻ってみようと思った。どっちでも同じならきもちのいい方を選ぶ。僕は考えたほうがきもちがいい。
とくに「手書きで考える」にこだわってみることにした。ここ最近、料理をするようになって「手触り」が大切だと感じはじめているからだ。
ぬるぬるした生の鶏肉やベタベタする豚バラ肉を触る。玉ねぎを焦げるギリギリまで炒めるために匂いに全神経を注ぐ、仕上がりの味を想像しながら調味料の味を調整する。しばらく使っていなかった感性が起動してくる。目と耳ばっかり使って生きてきたことを痛感する。
これからはもっと皮膚と鼻と舌を使っていこうと思った。料理は触覚、嗅覚、そして味覚のすべてを使うことができる。しかも旨い飯が食べられる。
手書きは文字を書くことそのものにきもちよさがある。ペンと紙を色々と取り替え、組み合わせて、なめらかにペンを走らせたり、紙のざらつきを感じながらじっくりインクを落としていったり、色々な書き味を楽しんでいると飽きることがない。4時間は書いていられる。きもちよく文字を書くついでに、頭の中もすっきりする。
家事も、黙々と皿を洗っている時間がきもちよくってやっている。行為そのものを心地がいいと感じられればどんな仕事も楽しめてしまう。最強だ。
寝る前に全部の食器を洗わなきゃ、みたいにゴールをつくると途端に家事はめんどくさくなる。だからまずはゴールをつくらずただただ手を動かす、飽きたら途中でもやめる、みたいなことを意識するといい。
タイピングがもっときもちよければ、パソコン作業も遊びに近くなるかもしれない。叩いていて楽しくなってくるキーボードを探してみようかな
読みたい本がたくさんあります。