エビングハウスの忘却曲線の実験を根拠にした勉強法がインチキである理由を丁寧に説明する
ヘルマン・エビングハウスはドイツの心理学者です。
記憶に関する実験的研究の先駆者で、忘却曲線を発見した人です。
このため、エビングハウスが忘却曲線を発見することになった実験を根拠にした勉強法を提唱するYouTube動画、Web記事、ツイート、本がたくさんあります。
たとえば「エビングハウス」でググると、検索結果上位に『エビングハウスの忘却曲線で分かる、最適な復習のタイミング』というWeb記事が出てきます。
この記事には、以下のように書かれています。
この記事で紹介したベストな復習のタイミングは、
1日以内に10分
1週間以内に5分
1か月以内に2~4分
の3回です。
この方法を上手く取り入れて勉強し、大きな成果を上げていきましょう。
(『エビングハウスの忘却曲線で分かる、最適な復習のタイミング』 https://ryugaku-kuchikomi.com/blog/ebbinghaus-the-forgetting-curve/ より引用)
しかし、エビングハウスの忘却曲線の実験からは、こんなことは言えません。
これは、そういう実験じゃないんです。
ここで言う「エビングハウスの忘却曲線の実験」とは、Hermann Ebbinghausが1885年に出版した『Über das Gedächtnis. Untersuchungen zur experimentellen Psychologie』に書かれている実験のことです。
この実験の詳細は、論文としては出版されておらず、この本に書かれています。
当時としてはこの研究は画期的で、著名な心理学者たちに絶賛されたりしました。
この本は英訳されて出版され、それがさらに和訳されて出版されました。
和訳版は絶版で、中古でも入手できませんでした。
しかし英訳版は中古で入手できましたので、この記事は英訳版を元に書いています。
話を戻すと、先程のWeb記事では、「エビングハウスの忘却曲線」として、以下のようなグラフが書かれています。
(『エビングハウスの忘却曲線で分かる、最適な復習のタイミング』 https://ryugaku-kuchikomi.com/blog/ebbinghaus-the-forgetting-curve/ より引用)
しかし、このグラフは間違っています。
まず、縦軸が間違っています。
エビングハウスがこの実験で計測したのは、記憶保持率ではありません。
エビングハウスの忘却曲線とは、記憶保持率の変化を表した曲線ではないのです。
また、横軸は、目盛りの幅がめちゃくちゃです。
「0分 - 20分」の幅と「6日 - 31日」の幅が同じになってしまっています。
対数変換されているわけでもなく、規則性がありません。
したがって、グラフの形に、なんの意味もなくなっています。
エビングハウスの実験結果をちゃんとグラフに表すと、以下のようになります。
(Ebbinghaus『Über das Gedächtnis. Untersuchungen zur experimentellen Psychologie』の英訳版のデータを元にグラフを作成)
これを見てわかるように、エビングハウスの忘却曲線とは、「節約率」の変化を表した曲線なのです。
節約率とはなんでしょうか?
たとえばある項目を暗記するのに10分かかったとします。
30分後、その項目を暗記し直したら3分かかりました。
この場合、節約率は70%になります。
その項目を新規で暗記するのには10分かかったのに比べると、30分後に復習したら3分で暗記できたので、学習時間を7分節約できた。だから節約率が70%なのです。
この実験データをどうこねくり回しても、以下のようなことは言えません。
この記事で紹介したベストな復習のタイミングは、
1日以内に10分
1週間以内に5分
1か月以内に2~4分
の3回です。
この方法を上手く取り入れて勉強し、大きな成果を上げていきましょう。
(『エビングハウスの忘却曲線で分かる、最適な復習のタイミング』 https://ryugaku-kuchikomi.com/blog/ebbinghaus-the-forgetting-curve/ より引用)
エビングハウスの本をいくら読んでも、どう加工しても、これらの数字は出てきません。
どっから出てきたんだ、その数字は…。
また、そのWeb記事では「ウォータールー大学の研究結果」も根拠にしていますが、その記事が「ウォータールー大学の研究結果」としてリンクを張っているWebページに書かれていることは「ウォータールー大学の研究結果」ではありません。
それは単にウォータールー大学のサイトのWebページだというだけで、根拠となる論文の出典が書かれていないどころか、そもそも実験データに基づいて何かを言っている文章ではないです。
学校の先生がよく言っている、「何度も復習しないと、定着しないよ」という当たり前のことを、根拠を示さずに言っているだけです。
たまたまこの記事がダメなだけでは?
と思う方もいると思います。
たしかに、エビングハウスの忘却曲線を根拠にした勉強法は、YouTube動画でも本でもツイートでもたくさん提唱されています。
しかし、私の知る限り、その全てが、根拠となる実験データから言えないことを主張しています。
どうしてそうなってしまうのでしょうか?
被験者数が問題?
たしかに、エビングハウスの忘却曲線の実験の被験者は少なすぎます。
何しろ、被験者は一人しかいなかったのですから。
この実験は、エビングハウス自身が被験者となって行ったものなのです。
しかし、たとえこの実験の被験者が十分に多かったとしても、この実験を根拠に勉強法を主張することはほとんどできません。
なぜでしょうか?
基本的に、ある特定の学習法の効率がいいか悪いかは、比較実験をしないとわかりません。
しかし、エビングハウスの忘却曲線の実験では『「どのような復習のタイミングだと学習効率がどのくらいになるのか?」を調べるための比較実験』をやっていないのです。
説明します。
一般に、学習効率とは「時間あたりの習得知識量」のことを意味します。
同じ知識を習得するのにかかった時間が長いほど、学習効率は悪いです。
また、同じ学習時間なら、習得できた知識量が多いほど、学習効率は良いです。
式にすると以下のようになります:
ここで、たとえば、先ほどの『エビングハウスの忘却曲線で分かる、最適な復習のタイミング』という記事が提唱する復習タイミングで、100個の英単語を学習したとします。
つまり、以下のように学習したとします。
学習→10分後に復習→1週間後に復習→1ヶ月後に復習
この場合、「習得知識量」を計測するには、計測テストをすればいいです。
たとえば、最後に復習してから1日後にどれだけの単語数を覚えているのかをテストして、何個の単語を覚えていたかを計測すればいいのです。
また、かかった学習時間も、単に学習時間を記録すればいいだけなので、これも簡単に計測できます。
しかし、これだけでは、その学習法の効率がいいのか悪いのかはわかりません。
別の復習タイミングと復習回数でやった方が効率がいいかもしれませんし、悪いかも知れません。
つまり、他の学習法と比較しないと、その学習法の効率がいいのか悪いのかはわからないのです。
たとえば、以下の2つの学習法の学習効率を計測することを考えてみましょう。
(A)学習→10分後に復習→1週間後に復習→1ヶ月後に復習
(B)学習→5分後に復習 → 10分後に復習 → 1時間後に復習
このように、2つの学習法の効率を比較することではじめて、それらの学習法の効率がいいか悪いかについて議論することが可能になります。
ところが、エビングハウスの忘却曲線の実験では、このように複数の復習パターンを用意して、そのどれがどれくらい学習効率が高いかを比較することはやっていないのです。
このため、エビングハウスの忘却曲線の実験からは、最適な復習のタイミングなどわからないのです。
じゃあ、比較実験の論文を読めばいいのかというと、話はそんなに簡単ではありません。
なぜなら、計測テストのタイミングによって、見かけ上の学習効率が異なるからです。
最後に復習してから1日後に計測するのと、1年後に計測するのとでは、結果が変わります。
1日後にやった計測テストの結果と、1年後にやった計測テストの結果は異なるからです。
1日後に計測したら(A)の方が学習効率が良かったけど、1年後に計測したら(B)の方が学習効率がよかった、という結果になるかもしれません。
なぜそうなのかと言うと、学習法によって、保持率が同じとは限らないからです。
つまり、同じ学習時間で同じだけの量の知識を習得したとしても、保持率が低いと、中長期的には忘れる量が多くなるので、学習効率が低くなるのです。
式にすると、以下のようになります。
このため、比較実験を行った論文ならどれでもいいというものでもないのです。
さらに言うと、学習時間も、知識習得量も、保持率も、全て同じだったとしても、「転移」しやすさが異なると、学習効率も異なります。
たとえば、右手でボールを投げるスキルを獲得すると、左手でボールを投げる練習を全くしていないにもかかわらず、左手でもある程度ボールを投げれるようになります。
卓球でゆるい上回転がかかったボールのスマッシュを決める練習をしてできるようになった後、強い上回転、右回転、左回転、無回転、弱い下回転、強い下回転のボールのスマッシュを決める練習をしたら、短期間で習得できます。
構造化プログラミングができるようになると、説明書のような構造化したドキュメントを書くのがうまくなったりもします。
これが転移です。
学んだスキルが、どれだけ広い範囲に転用できるか。つまり、応用が効くか、ということです。
転移がすごく起きやすい学習法だと、1を聞いて10を知るようなことが起きます。
転移が起きにくい学習法だと、1を聞いて1がわかるだけです。
当然、転移が起きやすいような学習法で学習をしたほうが、学習効率が高いことになります。同じ知識やスキルが適用できる範囲が広くなるからです。
なので、学習効率の式は以下のようになります。
さらなる問題は、学習素材です。
英単語の暗記で効率がよい学習法が、数学でも良いとは限りません。
英単語を暗記するのと、回転行列の問題を解けるようにする学習で、同じ学習法が効率がいいとは限りません。
また、英単語の学習と、英語発音の学習で、効率の良い学習法が同じとは限りません。
英単語学習は知識学習であるのに対し、発音の学習は、口、顎、舌を精密に連係動作させる運動学習だからです。
エビングハウスの忘却曲線の実験で使われたのは、「子音・母音・子音」から成り立つ無意味な音節です。
たとえばrit, pek, tasなどです。
無意味な音節を覚えるのに効率の良い方法と、意味のある英単語を覚えるのに効率が良い方法が同じだとは限りません。
これらの理由により、エビングハウスの忘却曲線の実験を根拠に、効率の良い勉強法を提唱しているYouTube動画、Web記事、本、ツイートは、そのほとんど全てが、根拠となる実験からは言えないことを主張しているのです。
じゃあ、どういう実験を根拠にした学習法の本を読めばいいのか?
基本的に、「一つの論文を根拠に提唱された学習法」を複数集めて本にしているような、ティップス集タイプの学習法の本は避けたほうがいいです。
なぜなら、一つの論文だけから効率の良い学習法を主張するのは、無理があるからです。
なので、複数の論文の実験データを突き合わせて、体系的な知識を編み上げるタイプの学習法の本を読むといいと思います。
体系的な知識とは、数学のように「掛け算を理解していない人は微積分も線形代数も理解できない」というような知識のことです。
科学的学習法は、体系的な知識なのです。
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■参考文献
Hermann Ebbinghaus著 『Memory: A Contribution to Experimental Psychology』
(『Über das Gedächtnis. Untersuchungen zur experimentellen Psychologie』の英語訳)
WATERLOO大学『Curve of Forgetting』
https://uwaterloo.ca/campus-wellness/curve-forgetting
留こみ!『エビングハウスの忘却曲線で分かる、最適な復習のタイミング』
https://ryugaku-kuchikomi.com/blog/ebbinghaus-the-forgetting-curve/
ふろむだ著 『最新研究からわかる 学習効率の高め方』 https://www.furomuda.com/entry/2020/10/04/031633
※この記事は、文章力クラブのみなさんにレビューしていただき、ご指摘・改良案・アイデア等を取り込んで書かれたものです。
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