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「多くの人が正しいと思っている、間違った知識」の見分け方


はじめに


かつて、ウサギ跳びで筋力トレーニングしていた時代がありました。

巨人の星ウサギ跳び

(アニメ『巨人の星』より引用)


アタックNo1うさぎ跳び2

(アニメ『アタックNo.1』より引用)


ヒーリングっどプリキュア12話

(アニメ『ヒーリングっどプリキュア』より引用)


私も小学校のころ、ウサギ跳びをやっていました。
運動負荷が高く、かなりの効果を得ている実感がありました。
また、実際、運動能力もアップしました

ウサギ跳びでパフォーマンス向上


しかし、アスリートの動きの研究をしている関西大学教授の小田伸午氏によると、「ウサギ跳びはトレーニング効果が無い」そうです。

ウサギ跳び(ウサギとび)は、<略>1980年代以降はトレーニング効果が無く故障のリスクが高いと周知されて廃れた(出典:小田伸午「ウサギ跳び信仰とは何だったのか」『スポーツゴジラ』第2013-11-05号、スポーツネットワークジャパン、 12-14頁。 )。(Wikipediaより引用(太字引用者) )

「トレーニング効果が無い」と「故障のリスクが高い」のどちらが廃れた原因なのかというと主に後者でしょうが、それはそれとして、ここでは「トレーニング効果が無い」ことについて考えてみます。

どうして私は、ウサギ跳びが効率的なトレーニングだと信じてしまったのでしょうか?

よくよく考えてみると、私は、ウサギ跳びと並行して、それ以外のトレーニングもやっていました。

パフォーマンス向上の複数の原因


つまり、ウサギ跳びとは関係のない要因で運動能力が高まったのに、ウサギ跳びも、運動能力を高めた重要な要因の一つであると誤認したのです。

しかも、ウサギ跳びが非効率で有害なトレーニング方法であることは、長い年月の間、多くの人によって気が付かれないままでした。
非効率なことをやっている本人は、それを非効率だと自覚することができないのです。

こういう風に、「正しい知識のように見える、間違った知識」のことを、この記事では「ニセ知識」と呼ぶことにします。

実は、こういうことはたくさんあります。
たとえば、私は学生時代、家庭教師をたくさんやりました。

家庭教師

もちろん、生徒に対して、ただ一つの学習指導だけをしたわけではありません。
さまざまな学習指導を同時並行して行いました。
子供たちの成績は伸びていきましたので、私は、私の学習指導が正しいと、ずっと信じていました。
子供たちも、私の指導方法が正しいから成績が伸びたのだと信じていました。

しかし、今にして思うと、その学習指導の中に「ウサギ跳び」がけっこう混じってしまっていました。
この場を借りて、お詫びいたします。

お詫び


ここに、経験則の限界があります。
「経験的に、この方法は効果があることが分かっている」というニセ知識は、以下の二つの合体によって生まれるパターンが多いです。

(1)複数の施策の同時並行の実行

(2)その成功


実は、こういうニセ知識をネットで発信している人はたくさんいます。
そういう情報はYouTube動画で何万回も再生され、ツイッターで何万リツイートもされ、はてなブックマークの人気エントリのランキング上位に入り、ネットに拡散しています。

ニセ知識を発信している人たちは、その方法を自分がやって上手く行ったから、それが効率的だと信じて発信しています。
しかし実はその学習法や仕事術のおかげで成功したのではなく、別の要因で成功したのです。
それにも関わらず、その学習法や仕事術のおかげで成功したと誤認しているのです。

… と書いている私自身もニセ知識をネットで発信してしまったことがあります。
この場を借りて、お詫びいたします。

お詫び


さらに厄介なのは、最新の学習ツールや仕事ツールが、ウサギ跳び的に非効率なものであることが多いということです。
例えば、多くの実験で非効率だと確かめられている学習法を前提に、いくつもの英単語学習アプリが作られています

ニセ知識は、学習ツールや仕事ツールの開発者にまで蔓延しているのです。




専門家の書いた本にはニセ知識は含まれない?

では、どうすれば、ニセ知識を回避できるでしょうか?

専門家の書いた本なら大丈夫?

必ずしもそうとは言えません。
なぜかというと、経験則に基づいて仕事をしている専門家の多くは、同時並行して複数の施策をするので、そのどれが効果を発揮していて、どれが無意味な施策なのかを区別することができず、無意味な施策を重要な施策だと誤認しやすいからです。

一方で、査読付きの論文をたくさん書いている専門家は、少なくとも自分の研究分野に関しては、ニセ知識に汚染されにくいです。

なぜかというと、厳密な比較実験をすると、実際に有効な施策なのかどうかを、データによって客観的に判別できるようになるからです。

比較実験

科学実験は、ニセ知識検出装置なのです。

ただし、査読付きの論文を書いている専門家が全て信用できるかというと、そうではありません。

実際、専門家の書いた本にも地雷がたくさん埋まっています。
たとえば、ノーベル経済学賞を受賞した認知心理学者のダニエルカーネマンの書いた『ファスト&スロー』には、再現性のないor低い実験に基づいて論を展開している記述がたくさん含まれていることが知られています。
スタンフォード大学心理学部教授のキャロル・ドゥエックの書いた世界的ベストセラー『マインドセット:「やればできる!」の研究』が根拠としている研究も、他の研究者が同じ実験をしても同じ実験結果にならないことが問題となり、その後さまざまな検証が行われています。
ベストセラーを連発している行動経済学者のダン・アリエリーの本も、再現性のない実験に基づいた記述があったことが、割と前から知られています。

これらは海の向こうの研究者だけの話ではありません。
日本の研究者が書いた一般向け書籍でも、根拠とする論文からは言えないことを主張している本や、読者が非効率な学習法を効率的だと誤認するような書き方をしている本はたくさんあります。
どうしてそうなるのかというと、研究者というのは、かなり狭い分野の研究をしているのに対し、一般人が求めているのはより広い範囲の知識なので、専門家が一般書を書こうとすると、自分の専門外の論文まで調べて書かないといけないからです。
そして、ほとんどの研究者は多忙なため、自分の専門外の論文をじっくり吟味している時間などありません。




専門家の書いた書評を読めばいい?

この問題を回避する方法の一つは、同じ専門分野の専門家の書評を読むことだと言う人もいます。

一方で、予備校の講師をしている人が書いた本に対する、同じ予備校の講師の書評は信用ならないなどと言われることもあります。
「昼飯をおごるから、僕の本の宣伝をしてよ」みたいに言われて、実際以上に持ち上げた書評を書いてしまったりするからでしょう。

しかしながら、査読付きの論文を書いているような研究者の場合、こういうことは比較的起きにくいです。
自分の専門外の本についてならいい加減なことを言う研究者はけっこういますが、自分の専門分野の本になると正気に戻ることが多いです。
なぜなら、自分の専門分野において、問題のある記述がある本を持ち上げる書評を書くと、その研究者のアカデミックな世間での評判が下がるからです。
彼らは世間一般の評判よりも、アカデミック世間での評判の方を気にするのです。




ブロガーやYouTuberの書評は?

私はもう15年もブログを書いていますが、過去に自分のブログでお薦めした本のうち何冊かが、ニセ知識がたくさん含まれる本であることに後から気がついたことがあります。
私の書評を読んで本を読まれた方にはほんとに申し訳なく思っております。
この場を借りてお詫びいたします。

お詫び


ただ、これは私に限った話ではありません。
実際、深い教養と良識があると大勢の人に思われている人気ブロガーのお薦めしている本と、その本が根拠としている論文を読み比べてみたら、根拠としている論文からは言えないことが書かれていたことが何度もあります。




複数の専門家の書評を読めばいい?

また、一人の専門家がお薦めしているだけでは、信用なりません。
その分野の複数の専門家が良書だと言っていて、かつ、その本の問題を指摘している専門家が見当たらない場合にはじめて、その本は、地雷率が低くなります。

しかしながら、「複数の専門家による書評」が見つからない本の方が多いです。
見つかるには見つかっても、ざっくりした書評で、本当に細部までクリティカルに検証しているかどうか怪しい書評ばかりだったりします。




極めて有用な本でも、ニセ知識が含まれている本は読むべきでないのか?

もう一つの重要な問題は、一つの本の中に、非常に有益な知識と、ニセ知識が混在していることです。
たとえば、『ファスト&スロー』は、いくつもの問題のある論文を根拠に書かれているため「この本は、人に勧められない」と言う人がけっこういます。
しかしこの本には非常に有益で信頼性の高い記述もたくさん含まれています。

本の中に少しでもニセ知識が紛れ込んでいるだけで、「この本は信用ならない」とか「この作者は信用ならない」と決めつけて、その本全体、あるいは、その作者が書いた本全てを否定してしまうと、たくさんの良書がダメということになり、有用な知見を効率よく得る機会を、あまりにも多く失ってしまいます。

この問題を回避するには、本のどの部分に問題があり、どの部分が信頼できるのかを、高い解像度で評価している書評が必要です。
しかしながら、そういう書評は、ごく一部の世界的なベストセラー本以外では、まず見つかりません。

もちろん、英語の原著を翻訳した本なら、原著に対する専門家の書評を探せば、日本語の書評よりは、はるかに見つかりやすいです。
しかしながら、原著に対する専門家の書評も、なかなか、信用できそうな高解像度のものが見つからないことの方が多いです。



素人には書評をしている専門家自体が信頼できるかどうかの判断が難しい

また、素人には、書評をしている専門家自体の信頼性を評価するのが難しいという問題もあります。
多くの一般人は2人の心理学者を見ると、「どちらも同じ心理学者でしょ」と思いますが、「心理学」に含まれる知識の体系は膨大で、その全てをカバーできている心理学者などいません
心理学のごくごく一部だけの専門家なのに、まるで心理学全体の専門家であるかのように誤解してしまうと、失敗のもとです。
専門家の多くは、カバーしている専門分野の範囲がすごく狭く、少し分野がずれると、とたんに発言の信頼性が下がることがよくあるからです。

さらに言うと、日本人の研究者が書いた本の場合、それがかなり売れている本であっても、専門家のまともな書評がほとんど見つからないことが多いです。

もちろん「だから古典を読むべき」と言うのは、典型的なウサギ跳び的アドバイスです。
今となってはニセ知識に満ちあふれていることが分かっている古典などいくらでもあります。



ニセ知識を指摘しても、その指摘が正しいのかを第三者が判別できない問題

以前、根拠とする論文からは言えないことを主張している書籍の記述を見つけたので、それをツイートで指摘したことがあります。
そうしたら、その本の著者のファンらしき方から、「誹謗中傷している」として執拗な嫌がらせをうけ、これ以上それに時間をとられるのが嫌になって、結局そのツイートを削除したことがあります。

これは、相手の間違いを指摘したこと自体が問題なのではありません。
たとえば、経歴詐称のような分かりやすいインチキは、第三者もインチキだと簡単に分かるので、むしろ炎上するのは相手です。
だから、そういうわかりやすいインチキを指摘するコストはほとんどありません。

問題は、「根拠とする論文からは言えないことを主張している」という指摘のような、第三者が真偽を判別するのが非常に困難なケースです。
なぜ困難かというと、数千円出して根拠とする英語の論文を購入した上で、その論文の実験手続きと実験データを丁寧に分析・吟味しなければ、指摘の真偽の判断がつかないからです。
ほとんどの人は、そんなことをやらずに、単に、その人が信用できそうな人かどうか、あるいは、自分がどちらの人が好きか、嫌いかだけで真偽判定します。
そして、多くの人に深い教養・見識・良識があると思われているか、もしくは、単にファンの多いブロガー・YouTuber・著者がニセ知識を拡散すると、人々はそれを正しい知識だと信用しますし、それをニセ知識だと指摘する人を、誹謗中傷している人だと認識するのです。

もちろん、医療分野に限っては、医師クラスタの方々がかなり頑張っているおかげと、薬機法などの規制強化がなされているのと、人の命や健康にかかわる重大問題であるため、かなりニセ知識の除去が進んでいます。
しかしながら、それ以外の分野、たとえば心理学・行動経済学・教育学・社会学等のニセ知識は蔓延しまくっており、とどまるところを知りません。
このため、いくらネットの評判を見ても、ニセ知識かどうかを判別することは、一部のケースを除き、ほとんどできないのが現状です。



ウサギ跳び本を検出する効果的な方法

では、どうやってウサギ跳び本とそうでない本を見分ければいいのでしょうか?
もっと言うと、良書の中に紛れ込んだニセ知識と信頼できる知識を見分けることができるのでしょうか?

実は、再現性のない実験を根拠としているためにウサギ跳び本になっているケースよりも、そもそも根拠とする論文からは言えないことを主張しているためにウサギ跳び本になっているケースの方が多いです。

どうしてそうなるのでしょうか?

第一に、一般向け書籍は、簡潔にわかりやすく書かないと、一般人には読んでもらえません。
しかし、本質的に難しいため、どう説明しても簡潔にわかりやすく説明できないことは多いです。
もちろん、単にわかりやすく書くだけならできます。
しかし、わかりやすく書くと何万字にもなってしまい、読者は途中で読むのをやめてしまいます。
簡潔にわかりやすく説明できないものを無理矢理簡潔にわかりやすく説明すると、結局、それは一種のウソになってしまうのです。

第二に、面白い内容でないと、一般人には読んでもらえません。
しかし、実験結果を誠実に解釈すると、刺激的で面白いことは言えなくなってしまうことが多いです。
このため、一般人に説明するときは、その実験から刺激的で面白いことが言えるかのように「演出」しないと、なかなか読んでもらえないのです。
よくよく読むと断言していないし、ウソはついていないのですが、読者が勝手に刺激的で面白い実験結果だと誤読するように、巧妙に誘導する文章の書き方にしている本は多いです。

つまり、以下のジレンマがあります。

●論文から言えることだけを誠実に書く → 分かりにくく、長ったらしく、つまらないのでろくに読まれない

●多くの人に読まれるために、簡潔に分かりやすくおもしろく書く → 論文から言えない事や意図的に誤読させるようなことを書かざるを得ない


このジレンマからは、専門家であっても逃れることはできません。
このため、専門家の書いた一般向け書籍であっても、よく売れている本は、根拠とする論文からは言えないことや、読者を意図的に誤読させるようなことが書かれていることが多いのです。

これは、ウサギ跳びのところで説明したのとは異なるパターンのニセ知識の発生メカニズムです。

では、根拠とする論文からは言えないことを主張しているかどうかは、どうやって確かめればいいのでしょうか?

その最もシンプルかつ強力な手段の一つは、その本が根拠としている論文を、自分で読んでみることです。

素人が論文を読んでもどうなるものでもない?
それが、意外にそうでもないのです。

素人であっても、実験手続きと実験データを注意深く吟味しながら、本の記述と突き合せれば、根拠とする論文からは言えないことを主張しているかどうかが明確にわかることは多いです。
また、自分で論文を読んでから、元の本を読み返すと、その論文から自説に都合のいい部分だけを切り取っていることが判明することも多いです。
少なくとも、「えーっ。話が違うじゃん」と驚くことはたくさんあります。




論文は読むのに時間がかかるのでは?

論文の分野や種類によりますので、ここでは心理学・教育学・社会学などの分野で一般的な論文について述べます。
基本的には、論文を読み慣れると、一般書よりも論文の方が短い時間で読めます
その理由は、以下の通り:

(1)ページ数が圧倒的に少ない。
多くの論文は10~20ページぐらいしかないです。

(2)簡潔な概要説明がある。
たいていは、論文の「概要」がありますので、概要だけ知りたい人はそれを読むだけで済みます。

(3)親切なチュートリアルがついてくる。
概要の次には、その論文を理解するために必要な前提知識のチュートリアルがあります。
「LITERATURE REVIEW」などと名前の付いたセクションでは、関連する論文や文献の簡潔なまとめになっていて、これも一種のチュートリアルです。
これらのチュートリアルを読むだけで、その分野の背景知識がある程度得られ、使われている専門用語の意味もけっこう分かるようになります。わからない専門用語もググればわかることも多いです。

(3)情報が整理されているので、拾い読みや斜め読みでも内容を把握しやすい。
たとえば「そもそも、どんな被験者よ?」と思ったら「Participants」のセクションを見ればいいですし、どんな実験器具でどんなタスクをやらせたかは「Apparatus andTask」のセクションに書いてありますし、実験手続きは「Procedure」、実験結果は「Results」、実験結果の解釈についての議論は「Discussion」を見ればいいです。
こういう風に、論文は概ねフォーマットが決まっているので、すごく読みやすいです。

(4)ゴタクが少ない。
一般書だと、根拠があるんだかないんだかわからない主張や体験談が延々と続いて「ゴタクはいいから、さっさと根拠となるデータを出せよ!」と言いたくなりますが、論文はこの手のゴタクは少ないです。書いてあるものもありますが、一般書よりははるかにマシです。
一般書と違って、読者の時間を無駄にされないので、読んでいて非常に快適です。

(5)非ネイティブにも分かりやすい英語で書かれている。
娯楽小説では、英語圏で生まれ育った人でないと分かりにくい、生活に溶け込んだ繊細なニュアンスの表現が使われることがよくあって、非ネイティブはなかなか読むのに苦労します。
ところが、論文の場合、非ネイティブも読むことを前提に書かれているので、ネイティブじゃないと分かりにくい表現はほとんど見かけません。

(6)共通の専門用語が使いまわされている。
同じ分野の論文を集中的に読むと、専門用語と背景知識が共通しているため、少なくともその分野の論文に関しては、簡単に、速く論文が読めるようになります。
ソフトウェア開発で言うなら、便利な共通ライブラリと共通フレームワークを多くのエンジニアが使いまわすので、業界全体の生産性が高くなるみたいなものです。

(7)時間当たりに得られる情報量が多い。
一般書だと、専門概念や専門用語を使わずに説明しなければならないので、無駄に説明が長くなります。情報量が多いわけでもないので、時間当たりに得られる情報量が少ないです。
これに対し、論文は専門概念と専門用語を使って説明するため、短い言葉で大量の情報が伝わります。このため、読者が時間当たりに得られる情報量が多いのです。

(8)論文を読むためのハードウェアとソフトウェアが充実している。
論文を読みなれていない人が論文を読むと時間がかかるのは、論文を読むためのハードウェアやソフトウェアの環境が十分に整っていないことも大きな要因の1つです。
通常は、論文をたくさん読んでいるうちに、少しずつハードウェアやソフトウェアの環境を整備していくので、たくさんの論文を読んでいると、論文を速く快適に読むのに適した環境が育っていきます。
また、その環境を使いこなすスキルも育っていくので、それによって論文を読む速度が上がっていきます。




論文よりも本を読む方がコスパがいい?

多くの人は、論文を分析・吟味することに時間をかけるより、良書をたくさん読んだ方が、はるかに多くの知識を得られます。

本をたくさん読む

時間当たりに得られる知識の量は、論文よりも一般書の方がはるかに多いのです。

しかし、論文を分析・吟味せずに、どうやって「ニセ知識」とそうでない知識を「見分ける」のでしょうか?
本・動画・学習ツール・SNS・上司・教育者・同僚がみな「ニセ知識」に汚染されているというのに。

知識自体は、本さえ読めばいくらでも得られます。
だから、たくさん読書をすれば、知識自体はいくらでも増えていきます。
しかし、本に書かれたことの中から「ニセ知識」とそうでないものを「見分ける」作業をしなければ、どんなに知識が増えても、延々とウサギ跳びをやってしまうことになります。

「ニセ知識を見分ける作業」をやっていると、自分の中のニセ知識にどんどん気が付いて、時間とともに自分の主張や意見が変わっていくものです。
ところが、たくさんの読書をすることをウリの1つにしているブロガーの書いた本を読んでみると、その主な主張が十数年前とほとんど変わっていなかったりします。ちょっと論文を分析・吟味するだけで、その主張が間違いであることを示すデータがたくさん見つかるのにもかかわらず。
本をいくら大量に読んでも「見分ける」作業をやらない限りニセ知識はなかなか除去できないのです。

この「見分ける」という作業をするかどうかが人生の分かれ道です。

分かれ道

「見分ける」ことで、当たりくじを引く確率は飛躍的に高まります。
逆に「見分ける」という作業をしないと、「ウサギ跳び」をやってしまうかどうかは運任せになってしまうので、よほど運がいい人以外は、結局、いろんなところでウサギ跳びをやり続けてしまう人生になります

「見分ける」作業をせずに、大量の読書をするのは、一見効率がいいように見えますが、人生全体がニセ知識に汚染されてしまうため、結局、非効率なのです

もちろん、ろくに本を読まずに「見分ける」作業にばかり時間をかけていても、人生は貧しくなります。
重要なのはバランスです。
「良書の読書」と「その中からニセ知識を取り除く作業」のどちらか片方にだけ時間を集中投下すると上手くいきません。
その両方にバランスよく時間配分することで、トータルでは上手くいくのです。




素人が論文を読むときに陥りやすい落とし穴

素人が論文を読む場合、いくつか落とし穴があるので、注意が必要です。

たとえば、一般人の多くは「科学的新発見」が大好きですが、「研究者たちにとっても驚くような結果が出ている」実験で、かつ「ぎりぎり統計的有意である」ような実験は、地雷率が高いです。
つまり「数年後に再現実験をしてみたら再現しない確率」がけっこう高いということです。

どうしてそうなるのかというと、その実験をした研究者に統計リテラシーもしくは倫理観もしくはその両方が欠けているために、知らず識らずにp-hackingやHARKingのような、実験結果の解釈を歪めるようなデータの扱いをやってしまったり、もしくは、単に不運にも、たまたま変なデータが出てしまったりするせいです。
「研究者たちにとっても驚くような結果」というのは、新発見ではなく、単なる実験結果の不適切な解釈の産物であることが多いのです。

こういう地雷を避けるためには、いくつもの再現実験で効果が確認されている確実性の高い心理現象を、さらに深堀りして調べた論文を読むといいです。

たとえば、学習効率を大きく左右する「テスト効果」という心理現象を深堀りしたカーピキーらの論文が、2008年のサイエンス誌に掲載されました。

しかし、テスト効果自体は、厳密な科学実験ではないものの、既に1620年にはFrancis Baconらはそれに気がついていましたし、その後、長きに渡り、さまざまな実験で、その効果が調べられて来ています。

こういう論文は手堅いです。

また、信頼できる学術誌に掲載されている論文の場合、それなりに「おもしろい結果」が出ていても、比較的安全です。
もちろん、超一流の学術誌といえども、過去に何度も再現性の低い実験を掲載してしまうやらかしをやってます。
だから、絶対に安全とはいえないですが、それでも、彼らはその問題を十分に認識しており、少なくとも相対的には安全性が高いです。




一本の論文だけから何かを分かった気になるのは、なぜ危険なのか?

ある実験で効率が良いことが判明した学習法を、自分の学習に適用すると非効率になってしまうことはよくあります。
なぜそうなるかというと、その実験と自分の学習では、前提条件が異なるためです。
ある実験から得られた知見を、自分の学習に適用する場合、実行条件を完全に同一にすることはできません。
そして、実験条件の細部が変わると、実験結果も変わってしまうのです。

どうしてそうなるのでしょうか?
これ、分かりにくいので、説明します。

ビジネスでも創作でも学習でもシステム開発でもなんでもそうですが、いろいろな成功パターンがあります。
成功パターンというのは「鎖」です。

成功の鎖

その鎖の1つのピースが1つ欠けるだけで、その成功パターンは成立せず、失敗してしまいます。
よく「成功パターンには再現性がない」と言われるのは、成功パターンを真似しようとしても、その全てのピースをそろえきれずに、どれかのピースが欠けて鎖がちぎれてしまうことが多いからです。

一方で、失敗パターンは再現性が高いです。
なぜなら、失敗パターンというのは鎖の1ピースだからです。
さまざまな成功パターンに共通して使われているピースがありますが、それが失敗パターンです。
そのピースが1つ欠けるだけで失敗することは、とても多いです。
だから失敗パターンは再現性が高いです。

1つの実験で効率がいいことが証明された学習法というのは、1つの成功パターンです。
その実験の実験手続きを完全に忠実に再現すれば、鎖のピースが全て揃い、同じ実験結果になります。

しかしながら、実験手続きを忠実に再現しても、実際の学習には役に立ちません。
実験というものは、特定の心理現象の特定の側面だけを計測しやすくなるように、通常の学習では行わないような特殊な条件をそろえるからです。

論文を読んだ人が、その実験から分かった「条件」を自分の学習に適用したとします。
しかし、その「条件」は学習効率を上げる成功パターンを構成する鎖のごく一部のピースでしかないことが多いです。

実験手続きの細部を念入りに分析・吟味すると、実はその実験で効率が良かった学習法の効率がいい理由は、さまざまな前提条件を満たしたせいである可能性が考えられ、そのどれが重要かは、その実験だけからは判然としないのです。
1つの比較実験というのは、たいてい、たくさんのピースのうちの1つか2つだけしか特定できないように実験がデザインされているのです。

もちろん、論文を1本だけ読むことは、無意味ではありません。
なぜなら、鎖の1ピースというのは失敗パターンだからです。
少なくとも、その論文から得た知見によって、非効率な学習に陥るパターンの1つは避けやすくなります。

また、そのピースだけが欠けていたために非効率な学習をしてしまっていた人は、その論文を読むだけで学習効率が大きく上がるケースもあります。

しかしながら、現実には、たくさんの論文を読んで、いくつものピースを洗い出さないと、なかなか鎖がつながらず、学習効率や仕事のパフォーマンスがたいして高まらないことはよくあります。

実は、これは先ほど説明した、「本質的に難しいため、どう説明しても簡潔にわかりやすく説明できないこと」です。
つまり、この鎖の比喩は「簡潔にわかりやすく説明できないものを無理矢理簡潔にわかりやすく説明したもの」であり、厳密に言うと一種のウソです。なので細かいことを言い出すといろいろ無理がある点が出てきますが、まあ、あたらずといえども遠からずなので、書く意味はあると思って書きました。



いきなり論文を読む前に、先に入門書

たとえば、学習心理学ではstudyという専門用語があります。これは勉強という意味ではないです。
またtestという専門用語もテストという意味ではないです。
massという専門用語も塊という意味ではないです。

このように、素人からすると日常語に見える専門用語を日常語だと勘違いしないようにするためには、いきなり論文を読む前に、入門書を一冊読んで、専門用語を一通り頭に入れておく必要があります。




論文なんて難しくて読めない?

「論文なんて難しくて読めない」と言っている方の多くは、以下のいずれかであることが多いように見受けられます。

(1)論文の英文を理解できるだけの英文読解力がない。
→ 英語力 and/or 英語ツール駆使能力の問題であって、論文そのものの本質的な難しさとは別の話です。

(2)論文のデータ処理に使われている統計学の知識がない。
→ 単に統計学の知識の問題であって、論文そのものの本質的な難しさの話ではありません。

(3)論文に使われている専門用語と背景知識が分からない
→ その分野の専門書や、論文の導入部にある背景説明や、関連論文を読み込めば、専門用語と背景知識を理解するのはそれほど難しくはないことが多いです。

(4)論文の実験手続きと実験データを分析・吟味する方法が分からない。
→ その方法をわかりやすく解説している良書を読むと、だいたいコツが分かります。


もちろん、どんな論文でも一般人が読めるというものではありません。
たとえば、私が数学の論文を読もうとしても、むりむりむりむりカタツムリです。

かたつむり

しかし、少なくとも心理学や教育学や社会学のような分野の論文の多くは、一般の方でも読める方は多いと思います。




論文のお値段の問題

でも、論文はお高いのでは?

そうなんです。
実は、これが非常に大きな問題なんです。
論文はページ数が少ないくせに1本数千円もするのです。
ほんの十数ページ程度しかない論文が4~5000円することもあるので、ページ単価は下手な情報商材よりも高かったりします
だから、論文をたくさん読むと、怖くなるほどの勢いでお金が溶けていきます

溶けるお金

ただ、自分で本を書くとなると大量の論文を読まなければなりませんが、本を書くわけでもなく、単に知りたいことを調べるだけなら、そこまで大量の論文を読む必要はないです。

また、その論文を読むことによって得た知識で、ニセ知識とそうでない知識を見分けられるようになれば、十分に元はとれます。
論文代をケチると、ニセ知識で学習や仕事をやってしまい、それ以上の時間とお金を損することになります。
何事につけ、ケチってはいけない必要経費をケチると、ろくなことになりません。



論文だけでは判定できないウサギ跳びツールをどうするか?

また、論文からは得られない知識も多いです。
たとえば、最新の学習ツールによる学習やオンライン学習サービスの学習効率を調べた実験はほとんどありませんので、論文を読むだけでは、新しく登場した学習ツールやサービスの学習効率はわかりません

一方で、単に新しい学習ツールを闇雲に使ったからといって、学習効率が上がるというものでもないです。
前述したように、ニセ知識に基づいて開発された学習ツールも多いからです。


では、ウサギ跳び的学習ツールとそうでないツールは、どうやって見分ければいいのでしょうか?

基本的には、専門書や論文から得た知識を使って、新しい学習ツールの仕様の詳細を、一つ一つ吟味していきます。
もちろん、無料の学習ツールを使うだけでは、有料の素晴らしい学習ツールの存在を見落としてしまいます。
また、有料の学習ツールを無料の試用期間だけ使っても、その学習ツールの効果を十分に引き出せないことも多いです。

このため、最初の数ヶ月だけでも、お金を出して実際に使い込んで調べる必要があることは多いです。
月額数千円~数万円程度のものであれば試すのに、そこまで多額のお金はかかりません。

「使い込んでみないと分からない」のはハードウェアやソフトウェアも同じです。
だから、必要経費と割り切って、どんどんハードウェアやソフトウェアを購入して使い込んでみる必要があります。



自分だけでは集めきれない情報にリーチする方法

しかし、それでもなお、最近登場した素晴らしい学習ツールや仕事ツールを見落としてしまっていることは多いです。

それを回避する強力な手段の一つは、自分の仕事や勉強に使っているツールの情報を発信することです。

たとえば私は、自分で調べた学習ツールや学習法についてまとめた本を出版したら、その本を読んだ読者の方から、さまざまな強力な学習ツールの情報を教えてもらえるようになりました。
徹底的に調べてから本を書いたつもりだったのですが、それでも重要な見落としがいくつもあったのです。
そこで、それらの学習ツールを片端から購入して、念入りに調査し直し、それによって、私の学習効率はさらに大きく上がりました。
(こんなことを書くと、新しく得られた情報が本に盛り込まれていないかのように誤解されかねないので補足しますが、追加で得られた情報はすでに本に反映させてあります。電子書籍オンリーの本なので、アップデートと再配布が簡単にできるのです)



結言

まとめると、ニセ知識を除去するには以下をやるのが良さそうです。

(1)複数の信頼のおける専門家の高い解像度の書評で、高く評価されている本を読む。

(2)専門家が出版した本を複数、比較分析する。

(3)それらの本で気になった部分に関しては、根拠としてあげられている論文を自分で分析・吟味する。

(4)必要な論文は、潔くお金を払って、購入して読む。

(5)良さそうな学習ツールや仕事ツールは、サービスであれ、ハードウェアであれ、ソフトウェアであれ、どんどん購入して、使い込んで、本と論文から得た知見と突き合せて、その効率を分析・吟味する。

(6)それらで得た情報を記事や本にまとめて発信する。


ニセ知識は日常的に発生し続けます。
したがって、上記のような除去作業を意識的にやらないと、知らず知らずのうちに頭の中がニセ知識だらけになります。
話す内容もニセ知識を前提とした痛いものになります。

しかも、ニセ知識には感染性があります。
家族の一人が感染症に感染すると家族全員が感染してしまうように、管理職・教職・親のニセ知識は、部下・顧客・生徒・子供に感染拡大していきます。
それをうっかりSNSに書くと、ネットでも感染拡大していきます。

感染症の拡大を防ぐために三密の回避、マスク、手洗いが欠かせないように、
ニセ知識の感染拡大を防ぐために、ニセ知識を「見分ける」作業は欠かせないのです。


こんなに長い記事を、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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※この記事は、文章力クラブのみなさんにレビューしていただき、ご指摘・改良案・アイデア等を取り込んで書かれたものです。



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