「行動経済学は死んだ」騒動のメモ

まず、Jason Hrehaという人が「行動経済学の死」という記事を書いた。
その記事の日本語訳はこちら

この人は、ウォルマートの行動科学研究のトップ(Global Head of Behavioral Sciences at Walmart)の人


Hrehaさんは、
「行動経済学は死んだ。
その主要な発見は何年も再現に失敗している。
その中核的アイデアである『損失回避バイアス』にもろくな再現性がない。
僕自身、実際マーケティングキャンペーンで研究したから知ってるんだ。」
という趣旨のことを言ってる。


※「損失回避バイアス」とは、利得よりも損失の方を大きく評価する心理的傾向のこと。


その記事を山形浩生さんが知って以下のツイート:



山形さんはそのツイートのスレッドで以下のように書いている:



これの背景と意味を解説する。
山形さんは、行動経済学にも詳しいが、クルーグマンなどを訳していて、とくに経済学に造詣の深い方だ。
経済学は「人は合理的に行動する」ということを前提に構築された理論体系。
つまり、「人間は損する選択はしないし、得する選択をする」というのが前提。
だけど、行動経済学は「いや、人間は非合理的に行動する。損する選択もするし、得する選択をしないこともある。それも、偶然非合理的に行動するのではなく、決まった傾向(バイアス)で非合理に行動する」と言い出した。
これは経済学の大前提を覆すことになるので、経済学者は無視できなくなる。
結局、プロスペクト理論や損失回避などの行動経済学の根幹をなす理論を組み上げたカーネマンとトゥヴァルスキーは世界に認められ、トゥヴァルスキーは癌で死んじゃったけど、カーネマンはノーベル経済学賞を取った。

で、山形さんの見立てとしては、行動経済学の言うようなバイアスはあるけど、それは従来の経済学(山形さんの言うところの「合理性の経済学」)を根底から覆すようなもんじゃないよってところに落ち着くんじゃないかと。


ただ、山形さんは、その記事に対する別の行動経済学者の反論ツイートも紹介している。


これは、Alex Imasという人のツイートだ。


Imasさんは行動経済学の助教授(Assistant Prof)をやってる人っぽい。


実は、「行動経済学が死ぬ」という点では、ImasさんはHrehaさんに同意している。
ただし、死ぬ理由については見解が異なる。
Imasさんの考えでは、行動経済学の数々の発見は再現性があり、有用で、経済学のさまざまな分野に取り込まれていくので、行動経済学はやがてゆっくりと消えていく、とのこと。


Imasさんは、損失回避は何千回も再現したと主張する。


その根拠として、以下の2つの論文を挙げている。
https://myscp.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/jcpy.1156

https://www.nature.com/articles/s41562-020-0886-x?proof=t


上のやつはKai Ruggeriらによるメタアナリシス。
メタアナリシスというのは、一つのテーマについてのたくさんの論文のデータを集めて分析したもの。
これは、損失回避についてのメタアナリシスだ。
この論文では、損失回避バイアスに対する、さまざまな異論・反論・疑義に答えられるように、多様な被験者の多様なデータを集めて分析している。
なんで多様な被験者が重要かというと、たとえば「被験者が学生だったからじゃないの?」とかいうツッコミがあるため。
あるいは「被験者にとって高額すぎる損/得金額だったからじゃないの?」というツッコミもある。学生にとっては大きすぎる金額だからこういうデータが出ただけじゃないのか?と言われたりしている。
なので、富裕層を被験者にしたデータとかもある。
あと、そもそも、「損失回避バイアスは、単に現状維持バイアスが損失回避という形で現れただけじゃないの?」というツッコミもあり、それに答えるため、「何が原因で損失回避バイアスが生じているのか?」の分析も行っている。
実際、損失回避バイアスにはさまざまな原因が考えられ、もし、それらの原因だけで損失回避バイアスを説明できてしまうのなら、そもそも「損失回避バイアス」ではなく、もとの原因の方で説明しちゃえばいいじゃん。損失回避バイアスなんて概念はいらないじゃん、って話になる。
なので、このメタアナリシスでは損失回避バイアスが生じる原因についても分析しているというわけ。

次のネイチャーに載った論文は、カーネマンらのプロスペクト理論を、4089人、19の国と13の言語を話す被験者で再現するか調べたものだ。
結果として、用意した項目の94%で再現し、100%の国で再現した。


というわけで、論文をざっと見た感じ、「損失回避バイアスは大きな損失に対してしか生じないし、それは認知バイアスなんかじゃなく、単なる合理的な行動だ」というHrehaさんの主張には無理があるかな、と。

ただ、Hrehaさんの気持ちもわかる。
立場的に、実際に損失回避バイアスがあることを前提に、ウォルマートの販促実験とかをやってみたら、全然結果が出なかったってことなんだろう。

それについては、行動経済学者のImasさんは、Hrehaさんがフレーミングと損失回避バイアスを混同していると反論している。
フレーミングというのは、ものの見方を変えるだけで、心理学的な効果が変わる現象のこと。
飛行機事故があって「乗客の半分が死んだ」と言うのと「乗客の半分が生き残った」と言うのとでは同じ現象を指しているけれども、与える心理学的な効果は異なる。

Hrehaさんは、「太ってるとこんなに損します。この商品で痩せましょう」みたいな損失を強調するプロモーション実験でもやったんじゃないだろうか。ようは、損失に意識が向くようにフレーミングを変えた。
で、結果がでなかったんだろう。

Imasさんに言わせれば、これが上手くいかなかったとしても、それは損失回避バイアスが働かなかったせいじゃなく、単にフレーミングが上手くいかなかっただけでしょ、って話になる。

また、フレーミングが上手くいかなかったのは、たぶん、単にキャッチコピーが下手くそで消費者の知覚を変えるのに失敗しただけじゃないかと。

そもそも、学問における心理現象の再現性の話と、それが実際に役に立つかというのは別の話だ。

それを踏まえた上で、あえて有用性の話をするなら、「損失回避バイアスは製品プロモーションには使いにくい」って話は、あってもおかしくない気はしている。
で、Hrehaさんは絶望してヤケクソになってあんな記事を書いちゃったのでは。

でも、Hrehaさんがやったことって、結局、「行動経済学の知見を使って他人を操ろうとしたけどうまくいきませんでした」って話で、多くの人にとっては、むしろ朗報だとも解釈できる。
しかも、損失回避バイアス自体には再現性があり、未来予測や現状認識や適切な意思決定などの別のことには使える可能ががある。
たとえば、学校が新しいテクノロジーを使った授業スタイルへの移行を検討する場合、それによる利得よりも損失を過大評価するから、なかなか授業スタイルを新しくしたがらないのではないか、とかいう予想や適切な現状認識に使えるのではないか。

つまり、損失回避バイアスは、少なくとも自分の誤った判断を修正するのには使える。

というわけで、現時点では、行動経済学の知見は、その知見が無意味と言うのは、ちょっと違うかなという気がしています。

すげー雑な走り書きなので、間違いとかを見つけたら筆者(ふろむだ)のツイッターアカウントにDMでお知らせいただければ、すぐに対応&修正します。

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