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【#001-前編】分人ってなんだ? 読書会「複雑な世界の歩き方を知る」|課題図書:平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

「複雑な世界の歩き方を知る」は、30代を目前に控えた悩める労働者、高橋イワイチャプ太郎(以下チャプ)の三人が毎回一冊の本をテーマに、脱線したり自らの人生に引き寄せたりしつつ、これからの生き方について模索していく読書会企画です。


収録日:2024年2月24日
池袋のレンタルルームにて



「はじめまして」ではない自己紹介


高橋
それでは、よろしくお願いします。今さら自己紹介する間柄でもないんですが、いちおう。今回の発起人、高橋です。千駄木にある往来堂書店で働いています。その往来堂で、去年の暮れに初めて読書会をやったんですよ。課題作品はケン・リュウ「紙の動物園」で、20ページくらいの短編なんですけど、90分の会があっという間だったんですね、密度が凄くて。それで、これはすごいぞと。自分でも読書会開いてみたいなと思って、それでお声がけした次第です。よろしくお願いします。

イワイ
どうも、イワイです。肩書きとしてはフリーランスのUIUXデザイナーですかね。企業向けのアプリケーションのデザインとかをやってます。その傍ら「ハイパーパンチ」というバンドでギター弾いて歌ったりしてますね。

高橋
関係性としては、僕の妻の高校時代の友人、ですね。

イワイ
そう、軽音部からのね。

高橋
読書会って、やったことあります?

イワイ
読書会、と銘打ってるのはないかも。大学の研究室とかでは、「この本読んだけどどうだった?」みたいな話は頻繁にしてたような気がする。そういう議論を頻繁にする研究室ではあったね。

高橋
具体的には、どういう本を読んでました?

イワイ
まあそれこそ、教授からお題として挙げられるような本だよね。企業と共同研究をするような研究室で、『Society 5.0』の本とかを読んで、ここがこうだったよね、とか、そのくらい。サービスデザインの研究室だったから、社会におけるデザインがどう活きるか、その上でいうUXを作るには、みたいな話が多かったかなあ。そうじゃなくても、面白そうな話題とか、ごちゃごちゃ話してた気がする。

高橋
なるほどなるほど。勉強会みたいな。

チャプ
「ゼミ」ともまた違う感じなのかな?

イワイ
うーんそうだね、全体で、じゃなくて適当に集まった人たちでぽつぽつ始める感じだったな。

高橋
ふむふむ。
普段は、どんな本を読んでます?

イワイ
その時々で気になってるトピックが違うんだけど、最近はあんまり読めてなくて。二年前くらいが一番読んでたかな。キャリアで悩んでる時期に。

高橋
転職、というか、フリーランスになるあたりですか?

イワイ
その直前くらいかな。仕事とは、とか、生きるとは、とか、そういうところに関心があって読んでた。『ブルシット・ジョブ』読んでうわ〜〜ってなったりとか。あとは普通に仕事に直結するような、ビジネス書とか読んでたね。ただ最近は、そこら辺のビジネス的な悩みがめっきりなくなって、エンタメをいろいろ消化したい気持ちになってる。マンガばっかりだなあ。

高橋
アウトプットを見越さず、いろいろ摂取したい、みたいな。

イワイ
そうそう、なんか、「役に立つものを取り入れたくない」っていう気持ちになっちゃって。即物的なやつ。

チャプ
わかるわかる。

イワイ
「自分が創作物に向き合ってどう思うか」を、自分の中での「仮説の仮説」を立てているフェーズだと思う、かなあ。

高橋
一時期、noteに読書記録みたいなのあげてませんでしたっけ。

イワイ
まさに2年前だね。力を入れて読んでたなあ、あの時は。月に10冊いかないくらいだけど。キャリアで悩んでた時期ですよね。コロナ禍で大企業入って、けど全然うまく動けなくて、お袋の介護もあって、今20代中盤だけどどうすればいいんだろう、みたいな。そういう時期だった。さっき出た『ブルシット・ジョブ』とか『コンヴィヴィアル・テクノロジー』、『暇と退屈の倫理学』とか。すごい読んでるなあ。『東京藝大美術学部 究極の思考』も同じ月だ。「生きるを考える」ってセクションで書いてる。

チャプ
まさに「生きる」を考えてる。

イワイ
そんな感じですかね。

高橋
ありがとうございます。じゃあチャプ太郎さん。

チャプ
チャプ太郎です。高橋くんは、僕のゼミの友人の夫、ですね。一年半前くらいにはじめて会ったんだけど、もう最近は二人で飲みに行ったりしてるよね。

高橋
そうですね、この前は4軒ハシゴしましたね(笑)

チャプ
お互い趣味も合うしね。そんな関係性にありながら今回声かけてもらって、めちゃめちゃ楽しみにしてたよ。

高橋
僕の妻も変な目で見てますよ、なんでこいつらこんな仲良くなってるんだろうって(笑)

イワイ
(笑笑)

チャプ
そうだね(笑)
本の内容にも触れちゃうけどさ、友人(高橋妻)も僕に対しての分人と高橋くんに対しての分人って違うわけで。こうやって別の繋がりができてくると、また変わってきたりするのかなって、思ってます。いやあ、この本読んじゃうとさ、何につけても分人に絡んだ話をしたくなっちゃうよね。

高橋
この前飲んだ時もうっかり喋っちゃいそうになって、「あぶないあぶない、来週までとっておこう」って(笑)

普段はどういうことをしているのか、ざっくりでいいので喋ってもらえますか。

チャプ
それこそさっきイワイくんがUXデザイナーという話があったけれども、僕はそういう人たち、エンジニアとかプログラマーとかの人たちを派遣する側の立場の会社で営業をしてます。日々、Slerとか通信キャリアとか、そういう会社の課長とか部長にあたる人たちとオンラインで挨拶して、みたいな感じで。

高橋
じゃあ、日頃関わる人の数はわりと多いですね。

チャプ
そうだね〜〜いろんな人いるなってのはいつも思ってるね。ただ、近い周囲には文化的な人があんまりいないなとは思ってて。みんなその感じを出してないだけかもしれないけど。社内でも、本の話をできる人はあんまりいないかも。ドラマとかは話題になるけど。だから今回のは、ほんとにいい機会なのよ。

高橋
じゃあ、読書会自体も……。

チャプ
初めてだね! そういえば、大学のゼミはそういう話が好きな人が多かったかなあ。今でも交流が続いてるのは、それもあるかも。男女比でいうと4:6くらいだったのもあって、ドラマの話はよーく挙がってたね。本でいうと、示し合わせたわけでもないのになぜかみんな森見登美彦読んでたね(笑)

高橋
チャプ太郎さんは、普段から小説を結構読んでますよね。

チャプ
そうだね、ならすと月3冊くらいのペースだから、年間で4〜50冊くらい読んでます。ジャンルとしては小説とエッセイが多いかなあ。僕もイワイくんみたいに、自分のキャリアに悩んでる時期があったんだよね、2〜3年くらい前に。まあ年齢的にもクォーターライフクライシスとか言ったりする時期だね。実際転職もしたし。そのころは結構ビジネス書みたいなのもわりと読んでたかな。キャリア形成がどうとか、スキルがどうとか。で、転職したら、そういう本が全然文章が入らなくなって。

イワイ
同じ同じ(笑)

チャプ
それから2年弱くらい経つけど、やっぱり割合はガクッと減ってて、今では読書は娯楽と割り切ってるふしがあるね。そういう意味では、昔の方が幅広く読もうと思って本を選んでたかも。3、4年前は、読んだことのない作家さんの小説とか結構買ってたんだけど、最近はもう自分の好みがわかってきたから、話題作をちゃんと拾えるようにしよう、くらいのスタンスだなあ。

高橋
ありがとうございます。本屋としてはありがたいお客さんですね笑。

この会のきっかけですけども、僕とイワイさんで飲んでた時に読書会やってみたいって話をしてたんですよ。往来堂での読書会の直後だったかな。それでじゃあ課題図書考えてきますってその日は終わって。で、翌日出勤したらたまたま個人的に注文してた『私とは何か』が入荷してきたんですね。で、これちょうどいいじゃん、と。そしたらチャプ太郎さんの顔がすぐ浮かんだので、お誘いした、とそういう経緯ですね。

チャプ
ちょっと前の本なんだよね、これ。

高橋
そうですそうです。2012年。

チャプ
ふつうに、コロナ以降に書かれててもおかしくない内容だよね。古びてない。

高橋
文中、実名SNSの例としてFacebookと一緒にGoogle+が挙げられていて、懐かしくなりました。

イワイ
ぐぐたすね、なつかしい(笑)

高橋
調べたら2019年にサービス終了してますね。

チャプ
頻繁にCM売ってたのは2013年とかかねえ。時代を感じる。

高橋
それに比べて中身はまだまだこれからな感じですよね。平野啓一郎がライフワーク的に取り組んでいる問題ということもあって、強度がある。あと、すごくタイムリーだとも思ったんですよね。最近の時流として、自己責任論とか、ひとりに対して矢が向いちゃう感じとか、「個人」に対する意識が悪いように強まってきてるじゃないですか。そういうところに居心地の悪さを感じてもいたので、この本は時間をかけて考えていきたいなと思って。今日はよろしくお願いします。

イワイ
いいですね〜〜よろしくです。始まる前にひとつ断っておきたいんだけど、僕記憶力が悪いのもあって、どっかで読んだものを自分の意見のように言っちゃうことがあるのよ。多分脳内で自分の声で再生して読んでるから、頭の中で考えたのと区別がつかなくて。受け売りを自分の言葉のように喋っちゃってたら、指摘してくれると助かります。

チャプ
(笑)

高橋
大丈夫です、記事にするときにいくらでも修正できますから(笑)


課題図書『私とは何か』について



高橋
手始めに僕から、この本について簡単に紹介しますね。正式タイトルは『私とは何か 「個人」から「分人」へ』です。平野啓一郎氏が作品を通して追い続けている「分人主義」という概念について書かれた本ですね。刊行は2012年で、その後の作品においても核となる概念になっています。「分人」というのは「相手との反復的なコミュニケーションを通じて自分の中に形成されていくパターンとしての人格である」と定義されています。分けられない「個人」に対する、分割可能な「分人」、ということですね。対人関係ごとに分けられる人格をそう名づけて、そこに軸足を置いていろいろ考えてみよう、というのが本書です。

イワイ
お見事。

高橋
どうですか、読んでみた感触としては。

チャプ
すごくすんなり受け入れられた感じがするなー。

イワイ
引っかかるところも少なかった気がする。

高橋
ですよね〜。個人的に、平野啓一郎氏のことはかねてより信頼できる作家だなあと思ってたんですよ。作品はそこまでたくさん読んでいるわけではないですけど、まあツイッターとかでの発言を見ていても、至極真っ当だし大人として信頼できるなあと思っていて。それもあって、すごく落ち着いて読むことができた気がしてます。

チャプ
うんうん。

高橋
後半の、特にジャズのところとかは、知識がないもんでピンとはこなかったですけど笑

イワイ
ジャズ??そんなとこあったっけなー。

高橋
167ページくらい、マイルス・デイヴィスの名前が出てくるあたりですね。名前は聞いたことあるけど、比喩としてはわからず。不甲斐ない。

イワイ
ああ、ここね。

高橋
これは知識不足なんで、こっちが悪いですね(笑)

というわけで、この「分人」という考え方に軸足を置いて、身近な人間関係に限らず、文化とか愛とか人の生き死にとか、まあいろんなことを考えていこうという本なわけです。「愛」と「死」に関しては平野作品内で特に重要なテーマに位置付けられる要素ですよね。

ここでひとつだけ補足情報として触れておきますと、平野啓一郎氏の父親は、かなり若くして亡くなっているんですよね。36歳でぽっくり亡くなってしまったようで、だからかなりの早逝ですよね。平野氏は1歳のころ。直接的な記憶はないにせよ、この体験が彼の根っこのところにあって、創作にも影響しているようなんです。このことを念頭に置いて彼の作品を読み解くことには、一定の意味があるのかな、と。


読んでみて、どんなことを考えた?


高橋
ひとまず一周読んでみて、なんというか、「究極の自己啓発」だなって思ったんです。救われることがたくさん書いてある。「裏表のある人」とか「八方美人」とか、そういう身近な人間関係の悩みもそうですけど、謙虚でありつつ正しく批判する、そんな人間でい続けるための陶冶の書だなって。特に印象的だったのは、自殺についてのところ。

イワイ
アイデンティティを壊したい、という願望に起因する自傷行為、だね。

高橋
ですね。自殺というのはつまり、自分の分人すべてを殺してしまうことじゃないですか。「死にたい」と思う分人はたしかに存在しているけれど、同時に「生きたい」と思う分人も存在している。すべてを断たなくても、落としどころは見つけられるはずですよね。実際にはそう簡単にはいかない問題ですけど、いくらか踏みとどまる足場になるんじゃないかと思って。イワイさんは読んだ感じどうですか?

イワイ
内容としては結構すんなりと入ってきたんだけど、だからこそこれまでどうやって考えていたかがあんまり思い出せなくて。読む前/読んだ後の境界があいまい。

高橋
紀元前/紀元後みたいな(笑)

イワイ
うーんなんだろう、言ってしまえば「分人主義」の入門書なわけじゃない。もちろん内容は当然めちゃくちゃ良かったんだけど、基本的にはミクロの話をしてるよね。それが、もうちょっと大きな文化圏でどう作用するのか、みたいな話をしたいなと思ったかな。

高橋
ほうほう。

イワイ
たとえば、芸能人に対する誹謗中傷の問題。芸能人とか著名人、人前に出る人たちって、たくさんの人に覚えられなきゃいけない、たくさんの人に対して分人を作らないといけない職業だよね。そういう人たちって、自分を単純化すると覚えられやすくなる。たとえば、ファーストサマーウイカさんは、前髪を上げてヤンキーで関西弁の女ってキャラクターを自分で定義づけて、それで自分を売り出したっていう話があって。そうやってわかりやすく自分の分人を切り出して届けるっていうのが芸能人だよね。ただ、その分人にちょっとでもそぐわない、ずれたことをしてしまうと「私の知ってる〇〇さんじゃない!」と齟齬が生じる、だから炎上すると思ってて。難しいけどさ。

高橋
なるほど、一対一で双方向のコミュニケーションで生まれた分人ではなく、多対一の一方向で形成された人間像。これも分人と呼べるかもしれないですね。

イワイ
広く遠くに届けるためにはシンプルにならなきゃいけないけど、シンプルでいると人としての本来の複雑さが失われるな、ってことを考えながら、読んでました。

高橋
チャプ太郎さんはどうですか、読んでみて。

チャプ
さっき「救われる」という言葉が出たけど、まさに同じことを思ってて、高校生の時の自分に読ませたかったなって。

高橋
あ〜〜わかります。

チャプ
実際いま高校の教科書にも載ってるらしいね。この「分人主義」という考え方に出会ってたら、あの頃の自分も救われる部分があったはずと思う。というのも、実際僕も高校一年生の時に仲よかった子とうまくいかなくなったり、無視されるようになったり、人間関係で思い悩んだ経験があって。

イワイ
学生時代は、家と学校がすべて、みたいな感じだもんね。

チャプ
高校って、偏差値でどこ受けるか決めたりするじゃないですか。僕が行ってたところは県で一番偏差値の高いところ、優秀なところだったんだけど、そうなると各中学校のトップが集まってきてるわけよ。だから似たもの同士かと思いきや、案外そんなこともなくて僕も含めてプライドが高い節もある(笑)

高橋
そうそう、結局どこの学校行っても同じようなグラデーションがある。

チャプ
入学してからもしばらくはなかなかうまくいかなくて、そんなこともあるんだなあって思い悩んでたんだよね。その真っ只中の時期に読んでたら変わってたかなと。ただその一方で、これは正当化してるだけかもしれないけど、思い悩んだ時間でもって、「うまくいかない」ことを学んだ面もあるんだよね。ほかから与えられるものではなくて、自分の頭で獲得したというか。だから逆に、当時この本に出会ってたら、それはそれでうまくいかないことを正当化しちゃってたような気もする。うまくいくように自分をアジャストするんじゃなくて、うまくいかないねえ、仕方ないねえ、で終わっちゃう。そうなると、友達がまったくいないまま卒業してた可能性まであるね。だから本って「読むべき時期」ってのがマジであるなって、改めて思った。

高橋
閉じたコミュニティだからこそ、「じゃあどうしたら……」ってなりそうですよね。大人になって所属するコミュニティも増えてくると、どれかひとつの分人がダメージを受けてても、他が健康であればそんなに全体を引っ張らない。まあ引っ張る時もあるんですけど、若ければ若いほど、心を逃がせる分人を見つけにくい、というか。

イワイ
小学校とかだと、ほんとに「そこ」しかなかったりするもんね。

高橋
まあ僕は、その頃読みたかったなあと思いましたね。自分ひとりでは多分、こういう考え方には辿り着けなかったと思う。

イワイ
僕は逆に、中学高校くらいの時にこれを読んだら、「うるせえよ」と思っちゃいそう。

チャプ
(笑)

イワイ
そうはいっても、そこで生きるしかないんだから。それが苦しいって言ってんの、野菜は美味しいから食べるの、になってたんだよね(笑) 僕はそういうひねくれ方をしちゃうから、読むタイミングは今で良かったと思ってる。「本当の自分/嘘の自分」なんてものはないというけれど、小さい頃身近な人間関係で苦しんでる時って、ここではないどこかに本当の自分があることがある種救いになってるところがあるから、その存在を否定されちゃうと、「神は死んだ」的なことを言われたような気になると思って。だから、今出会えたからこそ良かったのかなと。

チャプ
なるほどね。

イワイ
まあ、似たようなことを考えてはいたんだよね、中学生の頃とか。人の性格は多面的というか、三次元の物体のように存在していて、他者から見える二次元の部分がその人として出てる、みたいな。

高橋
まさにこの本ですよね。

イワイ
そうそう、そうだね。

高橋
平野氏も、割とみんながぼんやり思っている概念ではある、と言ってますよね。まるきり新しい概念ではない、と。ただこうやって名付けて考えていくことで、整理されるという。

チャプ
言語化されるという事に意味があるんだと。

イワイ
すでに起きてる事象について解明していくという意味では、理学的とも言えるよね。


生活の中で感じる「分人」


高橋
この会を開くにあたって、事前にいくつか「これ考えてきてください」みたいなお題を出したんですよね。初めてだし、事前に準備できた方がスムーズかと思って。で、そのひとつに「実体験を交えた分人エピソード」を持ってきてくださいというのがあったと思うんですけど。

イワイ
エピソードトークね(笑)

高橋
すんません(笑) 言った手前僕からいきますね。まあエピソードってほどでもないんですけど。普段接客業をしているので、関わる人の数は他の業種と比べて多いわけですね。まあいろんな人がいるわけです。レジでのやりとりもそうですけど、レジに来る前の振る舞いも見える。たとえば、家族とかカップルとかでいらして穏やかに本を見ていた人が、レジに来ると急にぶっきらぼうになったり。逆も然りで、連れ合いと話すときは不機嫌そうに見えるのに、レジでははきはきにっこり話してくれたり。別にそれでどうこうということではないんですけど、店員の僕からはどちらの分人も見えてしまうわけですね。対人関係ごとに分人が形成されるということが、まさしく目撃できてしまうんです。

イワイ
なんかジェラードンのコントであったなそういうの(笑)

高橋
レジの例で言うと、お客さんもそうですけどこちらもまたそうで。基本は接客マインドの分人ですけど、お客さんによって微妙に切り替えてますね。何度も喋ってる常連さんであればくだけた口調になるし、まあ普通にマニュアル的なレジを打つこともある。あと、あんまり言葉を交わしたくなさそうだな、と感じたらこちらも合わせて口数を減らしたりとか。まあ接客のテクニックと言ってしまえばそれまでなんですけど。

チャプ
まあ、あるあるだよね。

高橋
実は今のお店で働く前に、二店舗ほどチェーンのお店で働いてた時期があるんですよ。最初は駅ナカの中規模店で、二つ目は駅ビルの大型店。前者は接客についてはあんまり言われなかったですけど、後者は結構バチッとマニュアルが決まってたんですね。お客さんによって対応を変えない、全部均一にする。「接客用の分人」ってのがひとつバシッと決められてしまうわけです。それが、寂しくもあって。本来相手によって分かれていく分人が、分かれることを拒否する時の苦しみというか。往来堂ではマニュアルがまったくないんで、ストレスなく接客できてる気がしますね。

イワイ
なるほどねえ。

高橋
それで、数年前に印象深い出来事がひとつ。仲の良い常連さんがいて、よくお子さんを連れていらっしゃるんですね。当時はまだ保育園に通っていて、お店ではじいっと本を読んでいて、年のわりに静かで落ち着いた印象で。ある日シャッターあげて開店作業してる時にお散歩で通りがかって、その子がこちらを指差して「本屋さんだぁ!」って声かけてくれたんですよ。初めてのことですごく嬉しかったんですけど、普段とのギャップを感じたんですよね。いつもお店では寡黙だし、その週末にお店にもきてくれたんですけどやっぱり静か。お店に来る時/お父さんと一緒にいる時の分人と、保育園で先生や友達と一緒にいる時の分人がはっきり違うんでしょうね。お父さんの前ではそんなにおちゃられないけど、友達と一緒にいると大きな声で楽しい感じで話す。そこが変にぶつかっちゃったバグみたいなのを感じました。

イワイ
それマジで俺。学校でははしゃぎ散らかしてたけど、家で自分の話しなかったもん。聞かれるまでしなくて、それを変なことだとも思ってなかった。

高橋
結構みんなそうですよね。学校の自分と家の自分は違いますよね。そこが変にぶつかっちゃったみたいなところとかないですか? 授業参観とか。外で遊んでる自分をたまたま親に見られた時みたいな。それはやっぱり家での分人と違う分人を見られたことによる照れですよね。

イワイ
俺、めちゃくちゃ大声出して笑うじゃん。それをたまたま家族でご飯を食べに行った時とかに出ちゃって、親父に「そんな下品な笑い方やめなさい」って言われた。しかも別に小学生とかじゃなくて高校とか大学ぐらいで言われて、本当に落ち込んだ。

高橋
たしかに飲んでる時の笑い声うるせーもんなあ(笑) こっちも笑ってるから気にはなりませんけど。

イワイ
分人から身体的な癖になって、他のところに出てくることもありそう。それが行動に落ちてってよりプリミティブなものに変換されてって他のところに還元されるみたいなのありそう。笑いの話とか結構それじゃないですか。

チャプ
笑いはまさに。前職、予備校で働いてて、日々通ってる生徒や新しく来た生徒とも面談してたけど、生徒や保護者と面談して入学してもらったり講座を買ってもらったりする必要があった。その過程で自分を信用してもらう必要があるから、アイスブレイクで冗談を言ったりするんだよね。当時の上司がそうだったっていうのもあるんだけど、そのアイスブレイクの時に自分で言ったことに自分で笑うようになっちゃって。笑わそうと思って、誘い笑いをさせよう、笑いやすい空気にしようと笑うように気づかないうちになってた。バイトの子に、「自分で言ったことに自分で笑いますよね」って言われてショックだった。

高橋
技術としてやってたことが他でも出てると。

チャプ
初対面の高校生とか初対面の保護者みたいな人に対して自分が意識的に作ってたその分人、そこから出る身体的な仕草が癖になっちゃってるんだなと思う。それを改めて言語化されるとすごい恥ずかしいなって思った。

イワイ
多分よっぽどつまんないことで笑ってたんじゃない? 予備校で言うと僕も持ってきたエピソードがあって。半年くらい英語を教えてた。一通り研修が終わって来週から始まりますよっていう時に、塾長と副塾長が生徒役として座ってて、その上で授業をやってくださいと。あれすっごい嫌だった。生徒の前ではできるんだけど、判定されるというか、コントに入らなきゃいけないじゃん。あれってちょっと違くない?

チャプ
塾長とか見られる側の人とは面識があるわけだよね。

イワイ
1、2回くらいかな。初めましてよろしくお願いしますって言って、じゃあ来週模擬授業でみたいなレベル。だって違うし、そんな感じにならないし。

高橋
ちょっとずれちゃうんですけど、小学校とかでたまにあった研究授業でしたっけ、普通に授業している後ろで教頭先生とかが見ているやつ。あれだったら生徒という対象がいるから自分を出せるけど…。

チャプ
でもやりづらかったんじゃない、実は。

イワイ
先生たちにとっては評価的な意味もあるし、真っ当に生徒に授業していれば問題ないけど、入れ替わっちゃうと。分人が変わってしまうよね。

チャプ
マジで同じような話だけど、転職してすぐの時って1ヶ月ぐらいは研修期間として業務知識を入れるための動画見たりとか営業のロープレをやらされるんだよね。お客さんと話すパターンとか、派遣営業だから派遣スタッフさんと話すシチュエーションとか。これが嫌だったね。先輩にロープレお願いしますって頼んで。普段はバカ話みたいな感じでフラットに話してる人に対して営業の姿を見せ、評価されるのがね。

イワイ
似ているけど違うなって思ったのが一つある。大学生の時とか研究室でフランクに喋ってる教授と卒論の審査会で喋った時、オフィシャルなやり取りをするのは俺は全然平気だったの。それは多分分人の一部として見えてるからだと思う。違う人の分人を出さなきゃいけないわけじゃないから。割合を変えるだけというか。8対2だったのが2対8になるだけみたいな感じで大丈夫だったけど、塾のやつとかロープレのやつとかがもうまるっきり違うのが出てくるから結構きついのかなと思った。

高橋
その人に対する分人の、さらに中の分人か、こんがらがってきた……オフィシャルな感じとくだけた感じの比率ってことですよね。

イワイ
そうそう。

チャプ
そう思える人はいいけど、思えない人にとってはしんどいかもね。

イワイ
比率じゃない人もいるからね。

チャプ
人間の性格って多面的でみたいな話の時に、「多面」ってその角が綺麗に線が入っているわけじゃなくて、グラデーションがかってるんだろうなと思ってて。そう思える人にとってはいいけど、思えない人にとっては結構違うことからすごい嫌だなって思ったりもしてるかなって。

イワイ
シチュエーションで変わるのが大変なのかな。人が変わっても平気だけど、場面が変わって分人を変えなきゃいけないっていうのがしんどい。

チャプ
僕それ意外に嫌かもな、人が変わった方が、コントみたいに設定が決まってると思えるし。

イワイ
「設定変わりましたよ」はきついのか。

高橋
チャンネル権を握っていたい、みたいなことなんですかね。

チャプ
人によって変えられてる節はあると思うね。

高橋
受け身でチャンネルを切り替えるのか、自分でリモコン持ってるのか。

チャプ
例えば教授と雑談してる流れで、それってこうじゃない?みたいに議論が白熱して発表会みたいな話になる分にはしんどくなさそうな気がする。勝手に人によって、環境によって決められるとしんどいのかも。

イワイ
チャンネル権っていうか、分人が切り替わることのハードルみたいなもんかと。相対する人が変わるって状況がめちゃくちゃ変わるからハードルが低いと思うんですよ。けど人はそのままで環境を変えたと思ってくださいだとハードルが高くて、切り替えが困難になるみたいな。だから主導権っていうよりは分人が変わる要因の多さ少なさが鍵なのかな。


〜しばし休憩時間〜

高橋
僕はお二人それぞれと飲みに行ってるわけじゃないですか。平野啓一郎がエピソードで話してたのが、高校の友達と大学の友達を同じ場所に集めて飲み会みたいなやったらちょっと気まずかったみたいな。お互い居心地が悪いみたいな。お互い違う分人を発揮してたから。そういうのって感じますか?

イワイ
別にこっちから見てる分にはそんなに。

高橋
どちらに対しても敬語でしゃべってるっていうのはあると思うんですけど。岩井さんとはもっとそうじゃない時もありますね(笑)

もうかれこれ一時間くらい喋りましたけど、どうです、今日みたいな会は。

イワイ
こういうの好きだよ。考え事とおしゃべりが好きだから。
中高の話で思い出したんだけど、俺あんまり変わんないなって。分人分けている感覚全然ないな。高校以降の友達は。中学はちょっとヒエラルキーが下すぎたからそういった振る舞いになるけど。ヒエラルキー的に言論の通らなさがすごい。

チャプ
こんなに声でかいのに(笑)

イワイ
中学の時は何を言ってもまたなんか言ってるよくらいの感じだけど、高校以降はそれがなくて、不思議だなって。省エネしてるのかなと思う。

チャプ
そういう友達を選んでるからじゃない?

イワイ
それは絶対にある。これが出せない人はしんどいなって思ってしまう。

チャプ
高校以降って友達選べるしね。

イワイ
たしかに。

高橋
今こういう友達付き合いをする時の分人が一番しっくりきている、ということですね。

イワイ
バンドのアカウントはそういう下ネタも言うしなんか真面目なことも言うけど、大学の友達、高校の友達、中学の友達も一応何人か、あとは小学校の友達もフォローしてるから本当にこれでやってるんだと思う。


後編はこちら


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