原因論と目的論 ーアドラー心理学から学ぶー

 「アドラー心理学」は、オーストリアの精神科医であるアルフレッドアドラーが理論化し、体系化したものである。それは、『目的論』に基づいた考え方であり、人によっては苦しく受け入れがたい考え方である。

 例を挙げた方が分かりやすい。例えば、赤面症の女性がいたとする。その赤面症の女性がアドラーのもとを訪ねていき、「この赤面症を直したい。」と言ったとする。アドラーは問う。「なぜ、赤面症を治したいのですか?」女性は言う。「ある男性に告白をして付き合いたいのだが、この赤面症で勇気が出ない。」アドラーは言う。「では、その赤面症は治さない方がよいでしょう。」

 原因論の立場で言えば、赤面症であるから告白ができない、となるだろう。アドラーは違う。「告白をして振られることを避けるために、赤面症になっている」と言い切るのだ。「この女性は赤面という症状を必要としている」と。この女性が一番恐れるのは、「振られてしまうこと」であり、その赤面症をもっている限り「付き合うことができないのは、この赤面症があるからだ」ということができるのである。

 一見、ただの言葉遊びのようであるが、この論理をいろいろな事例を交えてこのアドラーを理解しようとするとだんだんと意味を理解できるようになってくる。引きこもりや不登校の場合も、引きこもることで対人関係からのトラブルから逃げることができるし、場合によっては親からの注目を集めることができる。

 外に出てしまえば、その他大勢の中の一人になってしまい、特別ではなくなってしまうのだ。引きこもりという特別な存在になることで、自分の価値を保とうとしているわけである。彼は一貫して症状や現象は、何かの「原因」ではなく、「目的」であると考えるのだ。

 我々は自分の短所から劣等感を抱き、それを原因にいろいろなものから逃げ、恐れ、新たなチャレンジをしなくなる。上の例でも、振られたり、傷ついたり、あるいは小ばかにされ、拒絶されるよりはずっと自分の短所を原因に生きた方が慣れているし、生きやすく感じる。だから、「変わりたい」とか「チャレンジしたい」と言いながらも行動に移さない人は多い。

 その一歩を踏み出す勇気を出せないのは、人間関係の中で傷つくことを恐れ、また本当の自分の実力を知ることを恐れ、これまで生きなれたライフスタイルを崩すくらいなら、短所があった方がよく、明らかに合理的でない手段を選んだほうがまし、なのである。

 自分も英会話教室に通っているが、時々自分よりも上手な高校生と一緒にレッスンを受けることもある。しかし、著書の中での『重要なのは他者との比較ではなく、理想の自分との比較である』という言葉や、『お前の顔を気にしているのは、お前だけ』という言葉に励まされ(?)今まで続いている。

 「過去を手放す」という言葉が出てくる。今、重要なのは過去でも未来でもなく「今、ここ」であり、また変えることができるのは、「今、ここ」でしかない。過去に縛られ、自分の生育環境や出来事に原因を求めることは、これからの生には全く役に立たない。

 この考え方を身に付けるには、自分の生きてきた人生の半分を必要とするという。自分は26歳で知り、現在7年が経つ。残り6年でどこまで身に付けることができるかわからないが、少しでも近づくことができるよう学びを深めていきたい。


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