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腹が立つ言葉

以前住んでいた家の電気は転居後も少しの間そのままにしておきました。新しい居住者も決まったため、解約することにしたのですが、東電に電話をしたら「こちらで電気を切ったあと、ブレーカーを落としておいて下さい」とのこと。
ところが家具もなんにもないので、ブレーカーまで手が届かず「まあ、そのままでいいや」と帰ろうとしたら管理人にばったり。事情を話し、
「こういうわけでそのままにしてありますがいいですよね」と言ったら
「そう言われても私は電気会社のものじゃないからわかりません」との返事。
「なるほど、そうですね。余計なこと言いました、スミマセン」
と答えたのですが、カチンときたのは「そう言われても」の言葉です。

「そう言われても」は余分でしょう。なにか責められている気分になる。
相手の言ったことを否定している言葉、ではないでしょうか。

ヘルパーをやっているころ、いろいろ苦情を言われました。
「庭の草取り自分じゃできないからお願いしているのになんでできないの?」
答は「生きていくのに必ず必要なことではない、から、介護保険のサービスが適用されない」からです。だからと言って
「そう言われても、決まりだからできないんです」と答えたら相手はますます気分を害する。
「お仏壇の水を取り替えて欲しいのにヘルパーさんは出来ないっていう。替えるのなんて簡単でしょ?」と車いすの方に言われたときも困りました。
確かに簡単だけれど、規則を破ることになる。わたしがいい人ぶってやったら、他のヘルパーにも影響が出る。「あの人はやってくれたのに」と。

だから、介護保険のサービスについて説明し、介護保険のサービスを受ける人が増えて財源も不足しているから制限せざるを得ないことも話し、自費サービスの紹介もして、なんとか納得していただく。「そう言われても」は使いたくなりますが、使ってはいけないフレーズでした。

カウンセラーになるための講座を受けたことがありますが、カウンセラーは本当にしんどい仕事です。相手に寄り添い、ひたすら聴く。自分の意見を言いたくなる気持ちを抑えて。いわば自分との戦いです。30分も聴き続けると(たいていは深刻な相談)どっと疲れます。

数日前、お母さんを亡くして半年、という友人から電話がありました。
「もっとああやってあげたらよかったと思うことばかり。でかければここに母がいてくれたら、と思っちゃってね」
「そうね、長いこと一緒にいた人がいなくなるのは喪失感もあるし哀しいね。わたしも父を亡くした時そうだったけれど、時がたつと少しずつ気持ちも収まってくるものよ、いつまでも悲しんでいたらお母さんも悲しむから
少しずつでも前向いて行こうね」
言い淀みながらでしたが、言ってしまってからはっとしました。相手に寄り添ったつもりなのにちっともそうじゃない。なんとか元気になって欲しいと思うあまり自分のことばかり言ってしまった。後悔と恥ずかしさいっぱい・・・

「そんなこと言われても、哀しいんだから電話したのに」との友人の言葉が聞こえてくるようで、その晩はほとんど眠れませんでした。

               おわり




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