2022/01/08 計画プロトコル実行&改良中、買い出しタイムアタックまたはRTA、ベースブレッド、自死という生き方。

・調子は良好。計画の手順書を作り、それをもとに運動計画を作った。報酬感覚プランニングをベースに自分が明確にしておきたいことをすべて明確にするためのマニュアルのようなもの。マニュアルという言葉の響きが好きではないのでプロトコルと呼ぶことにする。

 いつもどおりの運動、まだ若干身体に疲れが残っていたので腹筋のHIITをやった。なかやまきんにくんのやつ。

 食事制限も合わせなければ腹筋が割れることなどないとわかっているので、夢は見ないそれはまだだいぶ先の話だ。腹筋は回復が早いので他の部位が疲れているときでもやって問題なさそう。HIIT-WBのカスタムオプションを増やしたいと思っていたところだったので、これはちょうどよかった。

 なかやまきんにくんさんマジパネェっす。他の動画にも参考になりそうなトレーニングがたくさんありそうなので、飽き始めたら参考にする。

 ジムなど使って本格的にやるようになったらカトちゃんTVだっけ、あの辺も参考にしたい。過去に調べたことがあるので使える情報の心当たりはそこそこある。今回こそは理想の身体に近づきたい。無論無理はせずに、されど適度な苦痛は追い求める。そのバランスが重要、明確な答えはないので経験から予測し、計画錯誤のぶんを修正し、試行錯誤して継続していく。

・計画プロトコルは結局おおがかりなものになった。ただ章ごとに「それを何のために明確化するのか」がはっきりしたし、それぞれの章の質問は多くとも大問4つまで。なので答えやすい。そして実際に使ってみてどこでどれくらい時間がかかるのかもざっくりと把握したので、使い続けるには十分。

 まぁまた使いながら改良していけばいいだけのことよ。これ新しいことが始めたくなったらどんなことに対しても使えるしな。

・手続きに必要な書類が届いた。仕事が早くて助かる、ありがたいねぇ。明日はぱぱっと書いちゃおう。そういえば昨年中に精算したかったことがらが全然進んでないな…どう向き合ったらいいものかね。

 そういえば向き合うのが苦痛なものと向き合うための方法論もあったっけ。そうそう「回避ヒエラルキー」今は運動計画が楽しすぎるので後回しになってしまうが…運動、食事の計画がα版→β版くらいに固まってきたら、その時に回避ヒエラルキーを使って向き合おう、何の策もなしにやろうとするとただただ疲れるのはここ数日でよく分かったから。

・昼飯は肉サラダと「ベースブレッド」、まずいものばかりの完全食界隈でやっと「ふつうに食べれる」レベルのものがでてきたということで早速試してみたのだ。結果、うん普通に食える。特別うまくもまずくもない。

 ただこの手間のかからなさと蛋白質32gは圧倒的にコスパがいい。個人的に食事のコスパは複数の要素から成ると思っていて。味、栄養価、費用、手間、…他にも腹持ちや彩りもあるが重要なのはこの4つだろう。

すべてのバランスを摂るのは本当に難しい。金をバンバン使えば楽なのだが、ケチだし貧乏だし、なにより金で解決することで創意工夫をしなくなるのが嫌なのだ。「今あるものでどうやって目的を達成するか?」を考えたほうが人生は楽しい。もちろんすぐに買ったほうが多くの時間を買える買い物もあるけど、それはまぁ置いといて。

 で、ベースブレッドは味はふつう、栄養価は抜群、手間も最高、費用だけちょい高め、といったところ。個人的にはメインウエポンというよりかは、楽をしたい時に使うサブウエポンといった立場。

 毎日のたんぱく質量を調整するのに、名脇役として活躍してくれることだろう。そこそこ楽しみにしている。まぁ、次回の配送で契約は打ち切るつもりだけどね。これからはもっと節約しないといけない日々になるのでな。

 プロテインや他の選択肢もあるしのう。、まぁやってみないとわからん領域なので上述のコスパをうまいこと取っていく所存。

・家事もしながら、計画もちまちま進めた。きちんと休憩を取り、昼飯前後のルーチン通りに進み、昼寝もしたのでずっと集中力は維持されていた。やっぱり休憩は超絶重要なんやなって。

・昨日の服で買い出し、テンション上がるわ。色々と計測したいなと思いたち、ストップウォッチでラップタイムを取りながら外出した。普段の作業にどれくらい時間がかかるのかを知ると、日常生活のささいなことがゲーム感覚のタイムアタックになるのでかなり楽しい。まさにゲーミフィケーション。

 常々、人生はクソゲーだと喚いてる俺なので「じゃあどうしたら楽しいゲームになるのか?」というのは常に考えている。ノーゲーム・ノーライフの主人公たちのように異世界転生は別に望んでいないのでな。絵柄は好きだがあの溢れる厨二病感はたまに嗜む程度がいい、じゃないとむせる。厨二病成分が濃すぎてむせる。

自死という生き方という本のサンプルを読んだ。相変わらず死への興味は尽きない。最初には著者ではに人の解説が書いてあるのだが、そこから本編「新葉隠」への落差が面白い。

 というのも真面目な解説から「人生イージーモードで割とらくしてきたので、真の意味で儚いとか、孤独だとか感じたことがない」というちゃらんぽらんな感じになるのだ。「えっ、この人ほんとに自殺したの」というようなあっけらかんとした文体。サンプルはそこで終わったのですぐに本編を買った。続きも面白そうだな。

 死というのはいわばゲームのエンディングだ。生きることも、老いることも、病むことも、自分で選ぶことはできない。だがどう死ぬか、いつ死ぬか、どこで死ぬかは選ぶことができる。勝手に始まった人生という名のクソゲーをどう終わらせるのか、それに興味を持たないわけがない。

総括

没頭している時間も長くいい1日だったんじゃないだろうか。運動や食事の計画は想定よりも遅いが(というか想定が実際の5倍くらい甘かったのだが)その過程をとても楽しんでいる。長期的にどうするか、今この瞬間に何ができるのか、未来と今を行ったり来たりしながら"今"を充実させていこう。

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