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想像力は生きていく上でとても大事です

人はなぜ子どもを欲しがるのだろうか
子どもを産むことは親のエゴなんだろうか

多くの親は子どもの幸せを願って、愛情をもって育てているだろうし、
必ずしもそうじゃないと思いたい

だけど、ある記事を読んでから、衝撃が走った

世の中には不慮の事故や病気で親を亡くした子どもや、望まない妊娠や育児の問題で恵まれない子どもがたくさんいるんだから、養子にとって育てればいいのに、「自分の子どもが欲しい」と思うことは親のエゴだ
(以上、雰囲気引用でした)

え、なんだこの真正面から正論で殴りに来る感じは!!
「たしかに!」ボタンがあれば100回くらい連打したい!!!

人は”自分の”子どもだから「可愛い可愛い」と言って育てるのだろうか?
他人の子どものことは、どうでも良いのだろうか?
どうでも良くはないと思うけど、責任を持って当事者として育てるのはまた話が別ってことだろうか?
そう考えると、子どもを持つことは、なんだかすごいエゴに思えてきた

と、ここでふと、最近読んだ「出生前診断」についての記事のことを思い出した

恥ずかしながらわたくし、あまり、この手の内容に疎かったのだが、
「出生前診断」とは、要は障害など先天性の異常がないかを赤ちゃんが産まれてくる前に調べるというものだ

私はこの記事を読んだとき、真っ先に「恐ろしいな」と思った
世界は平等だなんだとほざきながら、異分子は産まれる前に排除してしまうのか
それって自分がマジョリティー側にいるから言えることであって、立場が逆転したら同じこと言えるの?って思った

そして、この話は、もしや先の話に通ずるのでは・・・?

要は「子どもが欲しい」の”子ども”にはある形容詞がつくんじゃないかと思っていて
おそらく多くの人が無意識のうちに同じ文脈で話していると思い込んでいるから、わざわざ言葉に出して言わないけど、正しくは「健康で元気な子どもが欲しい」なのでは?
そりゃあ子どもの幸せを願うのは親なら当然のことかもしれないけど、健康なら幸せっていう定義はどこから来るんだ?障害を持っていたら、幸せじゃないのか?それはその人の決めつけでは?その思い込み、ものすごいエゴじゃん!?

まあそもそも自分というのはエゴの塊みたいなものだし・・・といえば議論は破綻してしまうのだが、とにかく私は考えたところでどうにもならないことを、つらつらと考えるのが好きだ

今回の話題は、割とセンシティブだし、友人とこんな雑談になるわけもないので、noteに発散してしまった(気分を害された方いたら、すみません)

でもその意見に賛同できるかどうかはともかくとして、
色んな意見を聞いて、吸収することはとても大事だ、と思うのです

なぜなら、この世界には自分の知っていることより、
はるかに知らないことの方が多いから

それに、人は独りでは生きていけないし、社会的生物だから、直接の触れあいがなくても、何らかの形で多くの人と関わりながら生きているものです

今日食べたカップラーメンだって、無から突然生まれるわけないし、蛇口をひねればすぐ水が出るのも、お湯がわくのも、見えない誰かの働きによって成り立っている

知らないうちに、持ちつ持たれつ生きている
だから、想像力は大事です

なんだか、自分でも思いも寄らない方向でまとまってしまったな
ちょっとの達成感を得られたので、この記事はおしまい

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