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付き合うのが向いてない

こんばんは。
今をときめくアラサーは
今日はひんやり氷の鳴る
無色透明レモンサワーを傾けて
デスクに向かっています。

付き合うのが難しい。

詳しくいうと
人と契約を交わして
コミットメントして
関係性を構築していくのが苦手です。

俗に言うお付き合い,
って結局
お前以外とはヤラないyo!
って言うお約束をすることかなって。

もちろんその他にも
契約条件として
・誕生日など記念日を祝い合う
・友人や他の用事よりなるべく互いを優先する
・休日の予定を共有し合う
などなど
人によって色々な条件を
「お付き合いしましょう!」
のひと言に含めて
関係を築いているのだと思う。

(契約条件を提示するわけじゃないから
その不和で喧嘩したりするんでしょう。)

その最たる結末として
結婚ていう“契約“をするわけだ。
つまり
「一生一緒にいてくれや」by三木道三契約である。

そういうのがとっても難しい。

かく言うわたしは
試しに結婚したものの
これは向いてねえわ!と
早急に撤退して
シングルです。
(とっても楽しいよ!シングルライフ!)

なぜそれが難しいのか。

わたしは人付き合いは
そんなに苦手な方じゃないし
心を分かち合える長い付き合いの友人も
別段少なくないので
人間関係全般が苦手なわけではないようだ。

恋愛におけるお付き合いや結婚という制度に
向いていなかったんじゃなかろうか。

友人関係には“契約“はない。
なんとなく一緒に過ごしたいから過ごして
会いたくなったらLINEを入れて
そうでない時は
それぞれに自分の集中したいものに
集中してる。


人が1本の線を引きながら
広大な無限の人生というキャンバスを
生きているとすれば
そんな友人関係は
時折お互い求める時に交差して
(14時に待ち合わせてお茶したり,
時には朝まで飲み明かしたりする)
その後はそれぞれ
好き勝手に線を引いて突っ走り
また気が向いたら交差したりする。
そんな関係性だと思う。

だから心の置ける友人とは
たとえ半年~数年会わなくたって平気。
その間,
どんな知見を得たか聞く楽しみもあるし。

一方,お付き合いとなると
“契約“があるからそうはいかないんだなこれが。
当人たちが意識するしないに関わらず
日本の「お付き合い」という認識は
かなり契約の要素が強いと思うし。

お付き合いをスタートすると
それまで自由に引かれていた線だけど
“契約“の中継地点が
大量に散りばめられる。
(たとえば休日のデート,
おはようとおやすみのLINE,
今晩は誰と過ごすのかの連絡など)

結婚となるとその線は
さらに複雑に。
“契約“の条件は増えて
そこに親族なども交わってきて
線は無数の中継地点に立ち寄って
もう自由に自分の意思で
線を引くのは不可能だ。
絡まった毛糸玉みたいに
なんとか余白を見つけて進むのが精一杯。

しがらみだ。
わたしは真っ白いキャンバスに
わたしの意思で自由に線を引いていたい。

誰とも“契約“なんて交わしたくない。

気が向いたら交わって
その他の時間は信頼のもとに
お互い楽しくって素敵なわくわくする線を引いて
その報告会ができるような
いつか,そういう
人生のパートナーに出会えることを祈りつつ
レモンサワーの氷もすっかり溶けたし
今日はこの辺で眠ることにします。

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