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幸福日和 #082「失って得られるもの」

フランスにいた時、
しばらく通っていたカフェがあったことは、
別の投稿でも幾度かお話していたかもしれません。

当時、毎朝の日課といえば、
決まったカフェに通い一杯のコーヒーを
いただくこと。
それがパリ滞在時の大切な習慣でした。

毎朝通っていたからか、
何も言わずとも自分の好みの豆で
丁寧に抽出された一杯のコーヒーが出てくる。

そして、そのソーサーには、
必ず「一かけらのチョコレート」が添えてありました。
それがお店の優しさでした。

その一口のビターチョコの甘さの味わいとともに、
深く焙煎されたコーヒーをいただくとちょうどいい。

ほんのりと甘さの中に
苦味がにじんでくる。

まるで一人の人生をあらわしているようでもあり、
一日が始まる大切な儀式でもありました。

✳︎ ✳︎ ✳︎ 

そんな、
一杯のコーヒを運んでくれていた
一人のウエイトレスがいました。

クロエさんという20代になったばかりの女性。

彼女は日本の文化に興味があるらしく、
いつか、京都の枯山水の庭園や、
緑豊かな回遊式の大名庭園を見に行きたいのだと
日本への思いを語ってくれました。

彼女は大学ではモードの勉強をしていて、
日本の着物の柄や生地については
日本人である僕よりも詳しかった。

彼女からは色々なことを教わりました。
パリで一番、朝日が美しく眺められる場所や、
セーヌ川の流れが穏やかな場所。
ルーブル美術館の中でも特別な絵画の存在や
あの絵画はこの角度で見るのが一番だということまで。

いい年をして働きもせず、
毎朝コーヒーを飲みにくる異国の男に、
なぜ、その理由などたずねる事もなく。

そうした彼女との朝の時間を
幾日も重ねていました。

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ある朝。

彼女はいつものように
その優しい笑顔とともに
一杯のコーヒーを運んで迎えてくれます。

と。
その時、何か違和感を感じたんですね。

「いつものチョコレートが、
ソーサーにのっていない」

どうして忘れてしまったのだろう。
僕はあえて指摘はしませんでしたが、
そんな些細なことがいつまでも気になっていました。

きっと学校の勉強で忙しいに違いない。
それとも恋愛の悩みだろうか。

色々な想いが僕の頭の中を巡りながら、
その日はカフェを後にするのでした。

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幾日かを経た、ある朝のこと。

いつものように僕はカフェで時間を過ごし、
席を立とうとすると、
それに気がついたように彼女が僕のもとまで駆け寄ってきます。
そして、一つの包みを渡してくれたんですね。

そして、
「今日でお別れになりますから」と。

そこには小さな花で作られたブーケと、
いつか教えてくれた一冊を添えて、
僕に手渡してくれたのでした。

どうやら彼女、
しばらくパリを離れ、
家族と一緒に住むために故郷プロヴァンスへ
帰るとのことでした。

学校もやめるらしく、
いつこの街へ戻れるかもわからない。

あれだけ夢を語ってくれた彼女のことを思うと
よほど何かがあったのだろうと思いました。

なぜだかわかりませんが、
ふとあの時、チョコレートを添え忘れられた
一杯のコーヒーのことを思い出しました。

おそらくあの時、
彼女の想いや優しさは、
大切な両親に向けられていたのではないか。

あの出来事を自分なりに理解し、
そんな理由であろうと、勝手に安心をした。

ただ一度のあの出来事が、
どうしてか、いつまでもパリでの記憶として残っています。

彼女は今頃プロヴァンスの地で
どのような毎日を送っているのだろうか。


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昔、お茶会に行った時のことです。

祖父の弟子にあたる方が、
自宅に茶室を作ったということで、
そのお祝いの茶会に、祖父と伺ったことがありました。

お客さんは、社中のお弟子さんや
知り合いが20名ほど集まった一席。

お点前が始まる前に、
深々とご亭主さんの挨拶があり、
その後、主菓子の入った菓子器が
主客である祖父の前へと運ばれました。

さっそく、作法にそってお礼をし、
お菓子をいただこうと祖父が菓子器の蓋を開けた瞬間、
「おや?」と驚いた声。

何事かと思ったら、
そこには、
お菓子が一つも入っていないんですね。

初めての経験でした。笑

亭主さんも初めての茶会で
あまりの緊張に、別の菓子器を運んできてしまった
のだろうとおもった。

その後は、祖父の取り計らいで、
なんとも笑いのある、あたたかいお茶会になったのを
今でも鮮明に覚えています。

その後にきちんと
お菓子を出していただいたはずなのだけど、
お菓子の入っていない菓子器の印象が強烈すぎて、
その時に、どのようなお菓子が出てきたのか
記憶には一切ありません。

ただただ、
空の漆塗りの菓子器の印象と、
笑いに包まれた、あたたかい茶会の印象だけが
今でも鮮明に僕の記憶の中に残っているんです。

ある意味では、
「空の菓子器」が生み出した
あたたかい茶会でもありました。

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何かを失ったり、
当たり前のことがそうでなくなった時。

人はその時にこそ、
何かを得るのかもしれません。

そう思うことがあります。

自分の過去を振り返れば、
日頃から何かを得ることばかりに必死だった気もします。

知識を蓄え、経験を積み、
人脈を広げて、関係を築いていく。
その一方で、知らずのうちに失ってしまった
多くのこともあったかもしれません。

そろそろ、
背負い過ぎてきた一つ一つを、
丁寧に脱ぎ捨てていくこことも
必要ではないかとも思うんです。

失うことは、本質的には
大切な何かを得ることなのだ。

最近はそのような思いで
日常と向き合っています。


最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。