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向き合うべきことがある喜び

この場所の景色はいつも穏やかで、
それほど大きな変化はありません。

時折、雲が太陽の光を覆い、
雨が降り注いでは、海の表情を変え、
強まる風に木々が音を立てる。

もちろん嵐が訪れることもありますが、
自然界の変化というものは
適度な範囲の中で、とても優しい。

ただ、、

その一方で、僕たちの社会はといえば日々
めまぐるしく変化を続けています。

穏やかな川の流れに、
容赦なく激流が流れ込むように、
世の中をそれぞれの流れが巡っています。

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昨日友人とオンラインで話をしていて気がついたのですが、
そういえば日本は今、
年度末に向かっているんですね。

とくにこの時期は受験シーズンでもありますし、
資格取得に向けても、多くの人々が自分の人生を切り開いて行こうと
日々勉強に励んでいる様子が思い浮かんできます。

人生の節目として頑張る人々に
遥か孤島からエールを送りたい気持ちです。

僕自身、今こうして振り返ってみると、
その時苦しみながらでも「やるべきこと」に
向き合えたことは幸せなことでした。
歩んだ日々が今の自分をつくりあげてきたのだと実感します。

早く勉強から自由になりたい。
自分のことだけを考えられる自由な時間が欲しい。

そう思うこともあるのかもしれませんが、
やるべきことに向き合えているということは
とても尊いこと。

今回は「日常の苦悩」と向き合い続けながら、
その仕事によって、後世の人々を救うことにもなった
ある芸術家に思いを巡らせていました。


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ドイツの詩人・ゲーテさんとともに、
ドイツ古典主義の劇作家・詩人として知られた人物。

フリードリヒ・シラーさんを
皆さんはご存知ですか?

文学好きな人以外には、
一般的にはあまり知られていないかもしれませんが、
不遇な人生を歩みながらも、
不屈の精神の中、自由を求める表現をし続けた詩人です。

以前、別の記事でも紹介させていただきましたが、
彼の詩は後に「交響曲第9番(合唱)」の歌詞にもなったほど
ベートヴェンに感動を与えた詩を残しています。

彼が生まれたのは、1750年代。
フランスではナポレオンが革命を起こし、
世界の覇権を目指して活躍していた時代です。

ヨーロッパでは争いが絶えず、
国境が曖昧になり、世の中が大きく変わろうとしていました。
そんな激しい時代の中で、
ドイツ西南部の小さな田舎町にシラーさんは生まれます。

彼は幼い頃から大変頭が良い少年だったそうで、
将来は神学校へ進学して、
神学と真剣に向き合ってゆきたいと考えていました。

ただ、当時は現代のように個人の自由だけで人生を歩むことが
難しい時代でもありました。
彼は才能こそありましたが、当時住んでいた土地の領主に、
半ば強制的に軍人養成学校に入学させられ、20代早々に(なりたくもなかった)軍医として働くことになります。

そうして彼は、悶々としたおもいを日々抱え込みながら、
ただただ流れていく日常を迷い歩いていました。


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「自分は一体何をしているのか、、、、」

そんな中で唯一彼を救ったもの。
それが「文学との出会い」でした。

シェイクスピアの作品「若きウェルテルの悩み」に自分の姿を重ね、
賛美歌や交響曲の詩の中に自分の居場所を求めていきます。

「自分も文章を綴りたい」

自然と彼の中にそんな思いが募るようになり、
やがて、働きながら作品を執筆を続けていくことに。

彼は数々の物語の中で、自分の人生をなぞりながら、
やりきれない思いを吐き出していたのでしょう。
そうして仕事をこなしながら、
一方では文学の道をひたすら歩み続けることになるんです。

そんな中で、またしても不幸が彼を襲うことに、、、、。
執筆活動を領主に知られてしまうんですね。

彼は一切の作品執筆を禁じられ、
領主は医学書だけを読むことを彼に命じ、
ほんとんど幽閉生活のような状態を強いたのでした。

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彼が自由のために残された道はひとつ。

それは、領主の束縛から逃れるために、
その領地から亡命することでした。

彼は自分の故郷を捨てて、
新しい自分を追い求めるように新天地へと向かいます。

見知らぬ土地で、時には劇場の詩人として雇われて、
その地で医師としてなんとか生活ができないかとも考えました。
試行錯誤の中で、まさに行き当たりばったりの日々を送っていました。

そうした中で、なんとか教員としての仕事を見つけます。
細々と生活を繋いでゆきながら執筆活動を続け、
自分で本を出版することも叶っていきました。

苦しみの生活の中、
彼は「言葉を綴る」ことに、ただひたすら向き合い続けていました。

そうして幾日もの歳月が流れていきます。

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気がつけば彼の作品は、
多くの人々に読まれるようになっていました。

多くの人びとが、彼の苦悩から溢れた自由を求める表現に、
自分の人生と重ねて共感をしていました。
そして世界中から「自由の詩人」「市民を代表する反抗者」として
讃えられるようになります。

彼は今まで歩んできた、長く険しい自分の道を
振り返っては眺めていました。

確かに辛い日々を過ごしてきた。

理不尽なことも数多くあった。


それでも、救われたことは、
そんな中でも「やるべきこと」に向き合い続けたこと。

だからこそ今の自分があるのだと、
彼は空を仰ぎ見ていたのでした。


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自分はくだらない仕事をさせられている。

役に立たない勉強をさせられている。

つまらない時代に生まれてしまった。


そう嘆いている人もいるかもしれません。

自分の才能を活かすことができずに、世の中に疑いを向けるあまり、
人生そのものを呪ってしまっている人も世の中にはたくさんいます。

でも、もしかしたら、
それは自由な時代の「とても贅沢な悩み」なのかもしれません。

ある時代には貧しさの中で「微かな希望」だけを支えに
人生を乗り越えなければいけなかった人もいます。
民族の違いだけで差別を受け、理不尽な日常の中にも
信念をもって生きてきた人たちがいます。

たとえ地の底を這っていようとも、
涙の雨にうたれようとも、
不安の寒さに震えようとも、
「やるべきこと」が目の前にあるのであれば、
それはとても幸せなことです。

いつかの自分のため。
自分と深く向き合うため。

僕たちは、豊かな時代の中に生きているということに、
もう少し目を向けてもいいのかなとも感じます。


思い挫けそうな人のために、
その先を見失いそうな人のために、、、、。

彼の言葉に耳を澄ませてみましょう。


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人は幸運の時に、偉大に見えるかも知れない。
しかし真に向上するのは、不運の時である。
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この言葉は、彼の生き方そのものを表しています。


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僕はこの孤島に来て以来、
日本にいた時や、世界を放浪していた時に比べれば
時間には余裕があるほうなのかもしれません。

ここでは、
やりたくないことは、やらなくてもいいですし、
人から何かを頼まれることもありません。
強制するものもありません。

だから時には、やることを見失いそうになり、
なぜここにいるのかわからなくなる時もあります。

そんな自由な今、強く感じることは、
日本にいた頃、どれだけ忙しくても、
「やるべきこと」が目の前にあったということは、
やはり幸せなことだったのだなということです。

もちろん当時は、多くのことに苦しみ嘆き、
悩んだりしましたが、そこでの想いや考え方が
間違いなく今の自分を支えています。

シラーさんもそのような想いの中で、
苦悩の中で「詩を綴ること」と向き合い続けてきたのではないでしょうか。


さて、僕の今日やるべきことといえば、、、、、

こうして執筆したあとは、
静かに海を眺めることです。

何もしていないように見えて、
こうした時間の中で色々なことが見えてくるんです。

久しぶりにワインでも開けましょうか。


それでは、今日も素敵な一日になりますように。


遥か孤島から感謝を込めて。



いつもありがとうございます。


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自分にないものは
近くの誰かが手にしているものです
手を取り合いましょう
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最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。