幸福日和 #076「それぞれの時間の中で」
今自分は、
この時間とどう向き合っているのだろうか。
ふと、そんなことを考えることがあります。
何をする上でも(自分にとって)最適な時間
というものがあるように思います。
僕のことで言えば、
朝の時間というのは、言葉を扱う上でとても大切な時間。
たとえ投稿時間が夜になろうとも
多くの記事はこの時間帯に執筆するんです。
また、座右の書に目を通したり、
大切な言葉に触れるのも決まって朝。
いつの日も、その日の始まりには
大切なことで満たしていきたいと思うし、
そうして一日の初めに大切なことを反芻しながら、
昨日よりも自分の中のより一層深いところに
織り込んでゆきたいという思いがあります。
「朝の時間に大切なものに触れる」
思い返してみると、幼い頃からすでに身についていた
習慣なのかもしれません。
幼ない僕にとって、
毎朝の楽しみは祖父の茶室へ向かうことでした。
今日は床の間にどのような掛け軸がかけられているのかを覗きながら、
毎日違う言葉に出会い、その日の密かな心の支えにしていました。
社会人として働いていた時も、自分と向き合っていたのは決まって朝。
自分の手帳や夢ノートを広げて、向かうべき方向を見失わないように
確かな思いとともに一日を迎えてきました。
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その一方で、
世の中の情報に触れていくのは
いつも朝から昼間に向かう間。
家から職場へ向かう車窓から、街並みや道行く人々の表情を眺めながら
少しづつ世の中にフェードインするように情報に触れていく。
そうして、
空になった自分の器に、
少しずつその日の情報を入れてゆく。
目に飛び込んでくる広告に経済の鼓動を感じ取り、
証券会社の前を通りがてら、電光掲示板の株価に目を向ける。
目にするツイッターも、視聴する動画も、
いつも特定の人のものを決めて規則正しく自分の中に入れていく。
ちなみに、
大切なことは静かな朝に向き合っているのだけれど、
僕が情報収集する時、周りはいつも騒々しいんです。
仕方なしに、、、、というよりも、
あえてそんな状況を選んでいるのかもしれません。
そうした中で情報に触れていると、
情報の一つ一つが、時に不思議なかたちで繋がりあって、
また別の情報として自分に入り込んでくる面白さがあるんです。
ある時、日経新聞の記事を読んでいる時に、
となりから聞こえてくる会話とその情報がつながることもあるし、
そんな状況の中でふと視線を上げた先に、
前を歩く女性のファッションとリンクすることもある。
慌ただしく隙間のないくらいの状況の中で
情報を受け止めていくと、思いもよらない形で
自分の中に情報が流れ込んでくる。
だから僕にとって
人々が慌ただしく動き、営みが絶え間ない昼間というのは
情報に触れるための大切な時間。
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一日は24時間。
誰にでも同じように時間が与えられているわけだけれど、
それをどのように使っていくかで
日常の深まり方が変わってくるのだと思う。
ある友人は、恋人とは夜ではなく必ず朝に会う。
カフェで待ち合わせして、ゆったりとした時間を共有できることが
二人にとっての喜びの時間なのだそう。
また、ある文筆家の友人は、
子供を寝かせて、家族が寝静まった深い闇の中で、
じっくりと自分と向き合う。
そんな夜中にこそ自分の世界が始まるのだそう。
ほんとうに人にはそれぞれの時間の使い方がある。
自分の最適な時間との関わり方を
もっともっと見つけてゆきたい。
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そんなことを考えつつも、
こうして浜辺で大の字になりながら、
空を見上げて、ゆったりとした時間に浸っています。
こうしていると、
夜明けだろうと、星降る夜だろうと
いつまでも同じように過ごしていられる気もします。
いつでも変わらない思いで向き合える時間もあるのだと、
孤島生活を通じて、知ることもできました。
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