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孤島の窓辺から #011「残すべきもの、変えるべきもの

今日は孤島の浜辺から海を眺め、
日本で話題になっている
「はんこ文化」について考えていました。

その昔、
祖父の教えで書道に夢中になっていた頃、
僕の家では「はんこ事件」なる出来事があったんです。

多くの方がすでにご存知かと思いますが、
書道には「落款」という朱色のはんこがあります。
作者の証という役割でもありますが、
その小さなはんこの存在が、モノクロの書道作品を引き立て
作品の魅力を更に高めていくことがあるんですね。

書道の世界では、
落款を押す場所で、その作風が大きく変わると
言われているほど大切なもの。

その落款を巡って、
祖父の考えに触れることになった事件。

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祖父は書道の学会や団体にも属さず、
自由気ままに、自分のペースで書を嗜む人でした。

そんな中、
祖父の書のことを知る近所の人たちが、
近々、ある「大きな公募展」が行われるということで、
祖父に書道作品の出品をすすめたことがあるんです。

お世話になっている人々のお願いです。
祖父も無下にはできませんので、
書の作品を出品することになりました。

普段書く祖父の書は、自由そのもの。

ある時は禅僧のように、
ねっとりと濃く磨った墨で禅語を書くこともあれば、
小筆でサラサラっと、詩や手紙のような文章を、
軽やかに思いのままを表現することも。

厚手の手漉き和紙に書くこともあれば、
中国から取り寄せた高級紙に
緊張感をみなぎらせて書くことだってあります。

祖父が作品を出品して、数日が経った頃でした。
作品に対して「一次の選考会で落選」との
通知が送られてきたんです。

祖父の書にはいつも見る人の心に響くものが
ありましたから。みな驚きです。

どうも、話を聞いてみると、
審査の段階で「落款がない」作品は認められないということで、
予選で落選してしまったようなんですね。

書の作品の見所は墨で書かれた部分であるはずが、
落款があるかないかのことで、
作品が評価されてしまうことに、
僕は子供ながらに怒りを感じたものです。

実は、数年後になって、
後から祖父にその作品について尋ねたことがあります。
どうも、祖父はあえて「落款」を押さなかったのだそう。

いくら周囲に頼まれて、
出品した公募展とはいえ、
「落款を押さない表現」とは、
祖父なりの考えがあっての表現だったのではないか。

既成団体や世の中への
祖父なりの対応だったのだと、
そんなことを今になって感じるんです。

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その後、僕も社会人になり、
気がつけば「はんこ」と呼ばれるものに
違う形で触れる機会が多くなりました。
もう実務的な必需品として、、、。

会社では、まさにハンコ三昧。

月末の出退勤表には本人の認印が必要だし、
クライアントへの見積り提出には上長の承認印。
銀行から融資を受ける際も本人の印。

古い仕組みの中で
「ハンコ」と呼ばれるものが、
介在することに違和感を感じ、
業務的にも、何度もそこで足踏みをしたものです。
でも、何事も「儀礼的に流れる社会」の中では、
「はんこ」というものは世の中にとっては
不可欠なものだったのでしょう。

そして現代。
長い年月を経て、
はんこのあり方が大きく見直されようとしていますね。

ブロックチェーン技術などの台頭もあり、
「承認」ということがますます客観的なものへと発展。
人が何かを「認める」という概念そのものが
大きく変化していくのを感じます。

はんこのない世界とはどういうものか。

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ちなみに、
祖父はハンコが嫌いだったわけではありません。

たとえば、
昔の時代の書作品を図録で眺めている時でも、
歴代の皇帝が記していった数々の落款に
見入っていましたし。

祖父自身も象牙を小刀で削りながら
自分の落款を作っていましたから。

むしろ、その内面に迫っていくような
緻密な小宇宙にのめり込んでいたこともありました。

だから、あの時の祖父は
ハンコそのものの存在を否定していたわけではないのでしょう。

違う「何か」に反抗するように、その姿勢として、
祖父はあの時、自分の作品に「落款」を押さなかったのだと思うのです。


現代の「はんこ騒動」を眺めながら、
祖父は何を思うのだろうか。


それが不要な場所もあれば、
必要とされる場所もあるのではないか。

そんなことを、
孤島の窓辺で考えています。



最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。