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ソーシャルワーカーとしての成長「自己覚知」を促進する出会い

以前、ソーシャルワーカーの職業選択について記事を書かせていただきました。

私は記事でも書いた様に、「ソーシャルワーカーという職業選択はよかった」と言えるのですが、良かったと言える理由の一つとして、自分が「素敵だな!こんな大人になりたいな!」思える多くの人/指導者に出会うことが出来たことだと考えています。特に、社会福祉学を学ぶ学生やソーシャルワーカーとして活動を開始し始めて10年目くらいまでの時期に自分のロールモデルになるようなソーシャルワーカーに出会うことが私にとっては意味深いものだったと感じています。

ソーシャルワーカーとしての成長は、「自己覚知」にあると言われています。「自己覚知」はソーシャルワーク専門職としての成長でもあり、言い換えれば対人援助職に携わるための自己成長にもつながっているのだと思います。

この記事では、ソーシャルワーカーとしての成長/自己覚知に欠かせない「指導者との出会い」について、私自身の経験等をもとに記載していこうと思います。※個人的見解が多く含まれますので参考程度に。

1 恩師であるソーシャルワーカーについて(大学4年間の出会い)

私が生まれて初めてあったソーシャルワーカーは、大学1年生~4年生まで大変お世話になった先生でした。名前は「ヘネシー澄子」先生。今でも自分自身の恩師です。wikipedia に出てくるのはこの記事を書いていて初めて知りました(笑)

ヘネシー先生との出会いにより、私自身のソーシャルワーク人生のスタートできたと言っても過言ではありません。私は勝手にですが、「私にとってのソーシャルワーカーの母」と思っています。

ヘネシー先生からの学びを少し整理しておきます。通常の福祉系大学での生活ではなし得ることが難しかった経験を積ませていただくことが多くありました。①米国でのソーシャルワーク実習経験、②ヘネシー先生の繋がりの世界中のソーシャルワーク専門職との交流、③様々な研修会、交流会への参加、④NPO法人設立の経験、⑤ソーシャルワーカーとしての姿勢などです。改めて一つ一つ説明します。

① 米国でのソーシャルワーク実習経験

ヘネシー先生は、米国でのソーシャルワーク実践経験を元に授業を展開していました。その講義は大変興味深くいつのまにか「ソーシャルワーカーって素敵な職業だな…また、専門の技術や知識だけでなく、人を理解することの大切さ、人を大切に考える姿勢など…すごいな!」と学生ながらにヘネシー先生の人柄に惹かれていました。

大学3年生になり、ソーシャルワークの実習が開始された時に最も衝撃を受けたのを覚えています。私自身は、社会福祉協議会での実習を行っていましたが、将来の職業選択の一つとして医療機関でのソーシャルワーク実習が出来ないか?とヘネシー先生に相談に行きました。その時の返答は、「現時点では日本ではソーシャルワークの実習機関として医療機関は認められていないのよね…。米国に行って実習してみる!?」との返答でした(笑)私の予想した返答を遥かに超える回答をもらって…「できるならば…したいです。」と回答したのをよく覚えています。そして、大学3年の夏休み期間の1か月半、大学3年~4年の春休み期間の1か月に米国での実習を行うことが出来ました。

今考えると、この提案をしてくれたこと、そしてその経験を積ませることが私の成長にとって大切と考えていたのだと思うと、感謝しかありません。(ある意味でアセスメントされて計画にもとづいてソーシャルワークを実行されていた(笑)のだと思います) 

② ヘネシー先生の繋がりの世界中のソーシャルワーク専門職との交流

ヘネシー先生との繋がりは世界各国で活躍するソーシャルワーカーの方々でした。学生であった自分にとって日本の福祉事情も知らない人間が世界の人とつながることが大切だとは考えてもいなかったのですが、学生の時に当たり前の様に世界中の人と交流することの大切さを教えてくれたのもヘネシー先生とのご縁があってのことと今では感じています。

③ 様々な研修会、交流会への参加

学生時代には、多くの研修会や交流会に先生と一緒に参加させていただく機会に恵まれました。研修会や交流会にソーシャルワーカーがきちんと参加することの意義や意味をその姿を持って示してくれていたのだと思います。

④ NPO法人設立の経験

学生時代の思い出の一つとして、NPO法人設立がありました。私が主ではなかったのですが、同じサークルの仲間の一人に歩行等に支障がある学生がいて、その学生が「スキーをするのが夢」と言ったことがきっかけで活動が開始しました。

「歩行に支障がある」=「スキーは無理/困難」

と、誠に失礼ながら、福祉を学んでいながらも当時の私は勝手にラベリングをしていたのを反省しています。ヘネシー先生は、「一緒にやりましょう!レクリエーションとしてのスキーを日本でも作ってしまえばいいわ!」と笑顔で言ったのです。そして、私を含む仲間数人と「スキーをすることが夢」と述べた学生を連れて、米国コロラド州、Winter parkへスキーを楽しむこと、そして障害を抱えた人でもスキーを楽しめる場所があること&自分たちが障害者スキーのトレーナーになることを目的に行きました。

当時、2000年~2002年位では障害者のスキーを出来るスキー場自体があまりありませんでした。米国でトレーニングを受けたメンバーで日本でも同じくスキーのプログラムを実践したいという想いから、NPO法人を設立し活動をしたことが今ではよい経験になったと感じています。

「なければ作る/創る/創造する」ということを体現してくれた姿は今の私のソーシャルワークの姿勢に繋がっています。

⑤ ソーシャルワーカーとしての姿勢

大学生活の4年間で、私に対して上述の様に「ソーシャルワーカーとしての姿勢」を見せてくれたことは今の私にとっての財産になっています。様々な思い出のエピソードがあるのですが、私にとって今でも心のどこかで大切にしている言葉があります。

「あなたはソーシャルワーカーとして向いている」

言葉そのものが先生の本心だったかどうかは別として、信頼している人からの言葉として心に響いているのは間違いないです。私はソーシャルワーカーとして常にクライエントに寄り添い、私からクライエントを信頼する姿勢を忘れず接することがまずは大切であると考えています。自分が信頼している人からの上記の言葉から、自分の姿勢が定まったと考えています。

2 実践を言語化することについて(大学院での出会い)

私は医療ソーシャルワーカーとして勤務する傍ら、大学院での授業及び研究活動に取り組みました。そこでお世話になって先生が「平山尚」先生です。私にとっての「ソーシャルワーカーとしての父」です。

大学院の3年間は非常に大変な時期でした。しかしながら大変だったからこそ気づきや学びが多く、自分自身でも大きく成長できた期間であったと思います。

平山尚先生には、①ソーシャルワークと科学の重要性、②実践と理論の関連性、③最後まで諦めず取り組む姿勢を学びました。一つ一つ整理したいと思います。

① ソーシャルワークと科学の重要性

私自身がとても苦労したことでした。EBP(Evidence Based Practice)とはどういうことなのか?科学に基づいた実践を行うことが、ソーシャルワーク専門職にとって、クライエントにとって、社会にとっていかに重要かということを知る機会になりました。医療ソーシャルワーカーとして勤務する場所(医療機関)には、医師や看護師、管理栄養士などスペシャリストたちと一緒に仕事をすることになります。その中で感情ベースではなく、科学的根拠に基づいた支援を行うことの重要性を学び、それを実践に落とし込むことが出来るようになったことは成長に大きく寄与したと感じています。当時に学んだ大切な言葉は…「No Emotional Based Practice, EBP with Passion」※情熱と科学に基づく実践 です。今でも大切にしている言葉の一つです。

② 実践と理論の関係性

ソーシャルワークの理論は学部時代にも学習はするのですが、いまいち理解が難しいというのが本音でした(笑)今も大学の講義の中で出来る限り学生が理解しやすいように嚙み砕きながら伝える努力(実践と交えて具体的な例を挙げて説明するなど)をしているのですが、伝わっているのかどうか…心配です^^;

大学院では、平山先生から理論について詳しく学習しました。特に生活モデル理論、システム理論については学習する機会がありました。理論と実践をきちんと理解して自分自身の言葉で実践を説明できることになることは、とても意味深いものであったと思います。

③ 最後まで諦めず取り組む姿勢

平山先生からの言葉で今でも大切にしている言葉の一つに「ソーシャルワーク専門職としての結果は3つしかない。ソーシャルワーカーが介入したことにより改善された、変わらなかった、悪くなったの3つ。専門職として関わるからには、変わらなかった以上の結果を残すことを意識する必要がある。」当然の考えと言えばそうなのですが、自らの実践を振り返る際に本当にクライエントにとって良い実践だったのかどうか?というのは、常に考えなければならない思考であり、今でも常に自分に問いかけています。

また、上記の様な思考は修士論文の指導でも常にありました。研究計画書の書き直しが数十回、修士論文の書き直しも数十回…私自身、論文を書くということ/文章をまとめることが本当に苦手であり、最終的には平山先生の自宅にまでお休みの日にお邪魔させていただき指導いただくなど…出来の悪い学生だった私を最後の最後まで見捨てずに指導いただけたことは、今でも感謝しかないのです。

3 スーパービジョンについて(現場での出会い)

私はソーシャルワーカーとして勤務した1年目から、スーパービジョン体制が整った機関で勤務する機会に恵まれていました。組織の中で勤務するということは、学生の時に想像していた以上に苦労(ケース対応、組織の要求に対する対応、他の専門職種との調整、他機関との調整などなど)が多かったので、スーパービジョンを受けることが出来ていたことは本当に良かったと思っています。

私自身は3年目に医療機関をうつり、実質、ソーシャルワーカーとして一人立ちをしました。そのタイミングで大学院に進学したということになります。個人的な想いとして、一人立ちすることの不安(スーパービジョンを受けられなくなる/自分自身の実践が良いものになっているのかどうか確かめる方法がなくなる…など)が強かったのを覚えています。しかしながら、大学院進学だけでは不安を払拭することが難しく、スーパービジョンを受けたいと思う人を常に捜し求めていました(笑)そこで出会った心療内科の医師が今でもお世話になっている私の指導者です。※実際には同職種以外からの指導はコンサルテーションと言います。スーパービジョンとは、同職種からの指導を言います。

指導者からは今まで色々と大切な言葉をいただいています。一部紹介。

「専門職にとって失敗という言葉はない。失敗はキャリアと呼ぶ」

「できない理由を一生懸命考えない。できる方法を一生懸命考える」

「専門職としての技術の成長は無駄を省いていくことで促される」

「出会いは価値。自ら出会いのチャンス/かけた橋を燃やすことをしない」

自分にとって必要なタイミングで必要な言葉や指導をきちんともらえる環境を整えていくことが重要なんだと思います。

4 スーパーバイザーとの出会いについて

現在は、ソーシャルワークのスーパービジョンの制度も整ってきており、スーパービジョンを受けやすい環境になってきているのだと思います。

スーパーバイザーとの出会いは、ソーシャルワーク専門職としての成長「自己覚知」に役立つものと思います。自分でどんな人からスーパービジョン/指導を受けたいのか、しっかりと見定め、不明な点があった場合には色々な人に相談しながら、スーパーバイザーと出会っていくのがよいです。

5 まとめ

私にとってのソーシャルワーカーとしての成長「自己覚知」は、上記に記述した先生方をはじめとし、学生の時から現在に至るまで多くの人との出会い/交流等によって促されたものと思っています。

対人援助職としての成長というのは、何に役立つのか…。色々と今まで考えてきました。私が考える対人援助職としての成長は、一言でいうと「自分が自分らしくいることの大切さに気付くこと」だったのかな…。と今では感じています。ソーシャルワーカーとしている時の自分、家で家族と過ごしている時の自分、父親としての自分、教員としての自分…全てにおいて常にフラットな姿勢で対応できるようになることこそが、援助職として重要なことで、そのためには、自分の良いところも苦手なところもきちんと理解できることが大切であり、それが「自己覚知」というのだろうなと考えています。

「人」は「人との出会い」の中で成長できるものと思います。

いい出会いを今後もしていきたいものです。

また、いい出会いをたくさん創っていきたいと思います。

長文をお読みいただきありがとうございました。

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