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キャメルボーンが割れるとき【オンガク猫団コラムvol.25】

オイラが子供の時分には、犬のフンは往来のあちらこちらに落ちていたものさ。実際、踏んづけてしまったことも数知れない。道路の真ん中にシェパードなんかの大型犬が大便しようものなら、面白いように車がタイヤで轢いてしまったものだ。そういう他人の不幸をウォッチングするとオイラは、なんだか得をしたような気分になったことを思い出す。同情心のカケラもない、底意地の悪いガキだったのかもね。何しろ大型犬の排泄物は、思わず目を背けるほど巨大な時があるし、あろうことか飼い主が2頭連れて歩いていることもある。

運転手が悪い予感に気が付いて、咄嗟に車を停めて悲惨な事になったタイヤを見て、小さな声で咆哮するワケだ。まさにウンのつき。「あっ、やっちゃったよ~」とね。中腰の姿勢でだらしなく肩を落とす。(御愁傷様デス)ジワジワ込み上げてくる落胆と満腔の怒り。彼は血眼で道端に落ちている手頃なサイズの小枝を拾い上げ、タイヤの溝に嵌まり込んだ茶色のペーストをピーク時の霊媒師のようにテンションMAXでほじくり落とし始める。ところが小枝の弾力がありすぎて、茶色の飛沫がポロックのペインティングのように運転手のズボンにピタッと付着! 運転手は断末魔の悲鳴を上げる。「ふざけんじゃねーよ!」

悲劇の事故現場において冷ややかな目撃者となっていたオイラは、運転手の昂る激情に恐れをなして、その場からゆっくり遁走したのだった。小学4年の夏休み直前の、ウソみたいにバカでかい入道雲が出た日のことだ。あれから何年経ったのか、『ポイ捨てウンコの世界』はルール違反というイデオロギーになったお陰で、街は大分キレイになったなあ、とつくづく思う。いや突然どうして尾篭な話になったかというと、ウン(運)の話をしようと思ったからだ。

健康や繁栄、目的達成のパワーを持つとされるラッキーアイテムで、キャメルボーン(ラクダの骨)というのがあって、ずっと以前某アジア系雑貨店で、オイラはその指輪を買ったことがある。気に入ってずっと指にはめていたら、2週間でバッキっと割れてしまったのだ。ラッキーアイテムが壊れたなんてちょっと不吉な感じがするので、おっかなびっくりで、すぐに捨ててしまった。それからずっとキャメルボーンのことは思い出さないよう、オイラは記憶に鍵をかけた。

昨日、所用で出かけた某駅近くで、アジア雑貨店の看板が歩道に立掛けてあるのを見つけた。以前キャメルボーンの指輪を買ったあの店が、引越しをしていたのだ。あーそういえば、店のブログで引越しを告知していたのを見ていたんだっけ。すっかり忘れていた。つい懐かしくなって、テナントで入っている雑居ビルの最上階へ行くために、オイラは、エレベーターのボタンを押した。

店は以前のスペースよりも大分コンパクトになっていたけど、日当たりがよくて駅に近くなった分だけ客の入りもよさげな感じだ。引越し前は、ぽっちゃり気味の看板猫のスコティッシュが、レジの机にチェシャ猫のように不機嫌で丸くなっていたけれど、ご高齢により看板猫業は引退したらしい。今は二代目の猫が、2匹に増えていた。生後4ヶ月の八割れと黒猫で、窓際に置かれている小さなダンボールをベッドにして、暖かい日差しにうっとりしながらまどろんでいた。カワイイので拉致したくなったけど、ぐっと堪える。こういう場合、迂闊にお触りするのはNGだ。いかんせん情が移ってしまうからね。

店内を巡り迷いに迷って、前回の苦いリベンジで性懲りも無くキャメルボーンの指輪を買ってしまった。実はキャメルボーンが割れるのは、身代わり鈴みたいなもので、ふりかかる災いを引き受けて割れるということらしい。店員さんからそう教えて貰った。なんだそういうことだったのか、割れるのはむしろ良いことなんじゃん。というワケで、今朝からオイラの右手の中指に、キャメルボーンの指輪をはめている。どういうことかもう既に割れているぞ! あー、まじか。一体どんな不運から守ってくれたんだろうか。オイラのデフォルトの不運度は、ちょっと浮世離れしているかもしれないな。

オンガク猫団(挿絵:髙田 ナッツ)

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