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【店主のおすすめ映画上映会:第一回目】「太陽を盗んだ男」


店主のおすすめ映画上映会:第一回目(映画コラム)
1979年10月6日に公開された日本の映画

【太陽を盗んだ男】

まず、この映画のことを手っ取り早く知りたい方は、こちらをどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/太陽を盗んだ男


●デヴィッド・ボウイの死
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2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが死んだ。その時は、悲しいというより驚きで「嘘だろ?」という思いで一杯だった。ようやくオイラが淋しい気持ちになったのは、当時よく行っていた近所のスーパーで丸二ヵ月に亘り、BGMでデヴィッド・ボウイの曲ばっか流してやがったからだ。レッツダンス、レディスターダスト、スペイス・オディティ。すべからく素敵な曲だ。ああ、マジかよ、あなたはホントに死んでしまった。

オイラにとってデヴィッド・ボウイの死は、意識的にも無意識的にもことさらショックだったようだ。不意に神経痛のように胸が疼いて虚しくなることがある。そんな時は、AKGのイヤホンを耳に捻じ込んでGalaxyでボウイの曲を聴く。気だるくて低い声。眼を瞑ってじっくりと。で、少しだけ落ち着きを取り戻す。

人はどうせいつかは死ぬワケだけど、近年死んで欲しくない人ばかりがハラハラと命を落して行く。何もそんなに急ぐこたあねぇのに。デヴィッド・ボウイもそうだったし、天才数学者ジョン・ナッシュ氏、日本のレーニンこと塩見 孝也氏、それから保守派の評論家である西部 邁氏の自死のニュースは地味にしんどかった。ごく最近の出来事でいえば、西城秀樹の死もあまりに意表を突き過ぎていて、頭の中がグラグラした。

デヴィッド・ボウイのことを考える時、どうしても頭の中に去来するもう一人の男の存在がある。沢田研二だ。彼は、色んな意味でデヴィッド・ボウイとイメージがリンクしているのだ。これはオイラだけの思い込みじゃない。デモーニッシュで蕩けるような厭世的眼差しと、異彩を放つ中性的ルックスの二人は年齢も一歳違いで、実際に交流もあったようだ。また二人はプログレ、グラムロックという音楽のジャンルで席巻し世間の目を釘付けにして、一時代を築いた。まさに双璧と言っていい。

そういえば、写真家の鋤田正義の代表作にデヴィッド・ボウイと沢田研二のポートレートがあるので、それらの写真が記憶の片隅に残っている人も多いのではないだろうか。両雄は音楽のみならず映画俳優としても多くの人たちに時に甘く、時にほろ苦い印象を残している。まあ理屈はともかく、オイラの心の飛車角のようなメンターだ。人生という不可解で憂鬱な怪物とどう向き合い、どう戦い、どう突き放し、そして、どうもて遊ぶかの手本を鮮やかに示してくれた。西のボウイに東のジュリー。異論があっても絶対に認めない。

デヴィッド・ボウイが亡くなって少し経った頃、沢田研二が醜く歳をとってしまったらしいというような悪趣味極まりない内容の記事をネットで知った。若かりし頃、思わず溜息が漏れるほどのイケメンが、醜く老いさらばえる現象を俗世の人間はことさら好む。なんともアホらしい話に嘆息するばかりだ。確かに若い頃、あのベニスのタジオことビョルン・アンドレセンばりに息を呑む美しさだったジェームズ・スペイダーが、イカツい禿の貫禄オヤジになったのを知った時、絶句して腰を抜かすほど驚いた。そしてオイラは不覚にもゲラゲラ笑ってしまった。

けれども、ビューティー路線からコースアウトすることはむしろ本人的にはハッピーなんじゃないかな、とオイラは思う。経験上言えることだけど、自分が末期的に薄毛になった時、むしろサバサバして清々しいなと感じたものだ。単にエイジングストレスが、前倒しでやってきたに過ぎない。つーか、誰だって老けるものさ。『王様と私』のユル・ブリンナーの名言を思い出す。何故頭の毛を剃るのか?それは「虚栄心を捨てるため」。

確かに恐ろしく見た目の印象が変わった沢田研二をネットで見た時、オイラむしろホッとした。彼はきっと無理をするのやめて、肩の力を抜いて生きることを選択したんだ、多分ね。自己の偶像化のシャッターを下ろしただけの話だ。

その人のファンであれば、どんな形であれ生きてさえいればもうそれで尊くありがたいんである。不幸にも『飛車』は死神に巻き上げられてしまったが、ジュリーという『角』があればまだ戦える…。

変だな。なんだか突然ジュリーがピークで美しかった頃の「太陽を盗んだ男」が無性に観たくなってしまったよ。オイラはおもむろにDVDを取出して、プレイヤーにセットする。そして再生ボタンを押す。一体何年振りだろう。

●ノンポリ
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実はオイラがこの映画を初めて観たのは、社会人になって間もない20代前半の頃。生憎映画館ではなく、当時レンタルビデオ屋から借りたVHSテープでの鑑賞だった。

確か仕事で徹夜明けの週末で、なんとなく当てずっぽうで借りきて真夜中にビデオの再生ボタンを押したんだ。あまりに面白くて眠気が吹っ飛び、観終えるとドラッグでハイになったような興奮を覚えた。(いや、ドラッグなんてやったことないけどさ、多分こんな感じだろう)すかさずテープを巻き戻し、間髪入れずもう一度見直す。二度目を観終えた時、外は明るくなっていた。やばい、胸がドキドキする。オイラはもうこの映画に恋をしてしまったらしい。

そんな『太陽を盗んだ男』による狂躁のマイブームはしばらく続き、返却期限になるまで何度も鑑賞。朝起きて少し観て、仕事から帰って来てまた観る。のべつ幕無しの太陽を盗んだ男中毒。そのせいか、テープを巻き戻す際にピーという何かが弛んでいるような異音が聞えるようになる。そして、返却日にテープを巻き戻すとガサガサという絶望的な音を立ててビデオデッキは止まってしまった。

当時、借りたビデオテープはきちんと巻き戻して返却する、という暗黙のルールがあった。ビデオデッキの中で、磁気テープはお行儀の悪い都こんぶみたいにぐしゃぐしゃに絡まっている。どうすんだ、これ。

幸か不幸かオイラは、このビデオテープを買い取ることになった。絡まったビデオを買い取ったのは、これが最初で最後だった。家に帰ってしわくちゃになってしまったテープ部分をダメ元でハサミでカットしてセッティングし直すと、なんの問題もなく観ることができたのである。失われたのは、映画の開始数分だけだった。そんなワケでしばらくの間、この映画にどっぷりと耽溺することになるー。

学生運動というお祭り騒ぎが終焉し、やりきれない虚無感が徐々に薄れ、無難な形で社会が静かになりかけた頃にこの映画は上映された。

映画というのは、常に時代の缶詰のようなものだ。当時の空気感、文化的背景、ファッション、フィルムに焼き付けられた街並みの郷愁が懐かしい記憶を揺さぶる。
TSUBAKI HOUSEがあった頃の新宿。いまもずっと同じ場所で営業を続けているDUG。予備校が乱立しはじめた頃の代々木。屋上に遊戯施設があった渋谷東急。賑やかな時代だった。

この映画を観ていると、『陶酔』という言葉が頭の中を巡る。プロ野球、ロック、スポーツカー、ハマトラ、アイビーファッション復活、深夜放送のラジオ、デモ行進等々。この映画の主人公である城戸誠が生きていた時代は、現在と比べると圧倒的に流行にビビットで、汗臭く、無垢で熱狂的な陶酔が溢れていた時代だという気がする。

昨今のテロリストはなにがしかの揺るぎない思想を持っているか、ないしは盲目的な価値観に洗脳されているものだが、この映画の主人公である城戸誠(沢田研二)は、見事なノンポリだ。全く覇気のない中学の理科教師。そして城戸は冷めている。世の中のお仕着せの享楽に浮かれることができず、生きている実感が希薄だ。世界と人生は面白いことが溢れているはずなのに、街はとっくに死んでいるし、自分も死んでいるのかもしれないなどと、ある意味文学的な絶望の日常に沈没している。何かビシッとくる手応えが欲しいが、何をしたいのかが皆目分からない。

ある時、この城戸が奇想天外なアイデアに囚われる。彼は発心し、東海村の原発からプルトニウムをかっぱらい、一人で原爆を作ってしまう。小人閑居して不善をなす。あるいは、稀有壮大な理科教師の自由研究。
そして国家を相手にテロ行為を企てちゃうというのが、超大雑把なストーリー。
世を忍ぶ仮の姿は地味な学校の先生だが、実際とんでもない不良というと最近では『ブレイキング・バッド』を彷彿とさせる。今でも色褪せない斬新な設定だ。

この映画の魅力は、視聴者に様々な問題を投げかけるところだとオイラは思う。
生きるための仕事、野心、夢、欲望、無意味、虚無、倦怠、ぱっとしない毎日、いっときのカタルシス、自己表現、自己実現、敗北、この世界の馬鹿らしさ、手応えのない人生、闘うべき敵、理解者、仲間、同伴者、死の恐怖、焦燥、無力、やり残した宿題、後悔、休息、まとまった金、雲隠れ、『核』に対する言いしれない不安、世界はかくも脆いということ。
つまり、人生における諸問題が、玩具のカプセルみたいにぎっしり詰まっている。だから、オイラはこの映画が好きなんだと思う。

漠然と欲しいものがあるとき、それを探している時が幸せなんだということがヒリヒリ伝わってくる。欲しいものの本質は、欲しいと思う気持ちなのではないか?と、感じる。

「死の商人」をテーマとした2005年のアメリカ映画『ロード・オブ・ウォー』の中で、オイラの度肝を抜いたセリフがある。「人生における悲劇は2つ。欲しいものが手に入らないことと、手に入ること」この金言は、『太陽を盗んだ男』(以下:『太陽』と記す)の核心をついているかもしれない。

『太陽』と同じく1979年に公開され、原発がメルトダウンするという映画『チャイナ・シンドローム 』も同年のキネマ旬報の外国映画で9位にランクインしているのは単なる偶然ではないだろう。実は、スリーマイル島原子力発電所事故が同年の3月28日に起きている。現在、チェルノブイリや3.11が放射能事故としては非常に有名だが、スリーマイル島原子力発電所事故は、オイラが高校の時に現代社会の教科書に掲載されるほどの大事件だったことを付記しておく。

ちなみに『太陽』は、その年のキネマ旬報の邦画で2位。チェルノブイリの事故が起きるのが映画公開7年後の1986年なので、ある意味、世界の集団無意識がこのような悪夢のような事故を予言する映画を産んだと言っても言い過ぎではないかもしれない。

●ピカレスク
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あさま山荘事件について、かつて同級生と話をしたことがある。映像史に残るあの鉄球騒動の時、オイラは小学4年生だった。当時、近所のオバサンが自宅を開放して珠算塾をやっていて、オイラはそこに通よわされていたのだ。その日は確か曇天で、塾に入るやいなや先生であるオバサンはこう言ったのである。
「なんか凄い事件が起きてるから、今日はそろばんは中断してテレビをみましょうね。このことはお母さんには内緒で」
そして蒸し栗を散りばめた小ぶりの竹ザルをトンと机に置いて、ボクにその栗を食べるように促すとオバサンは、食器棚にすっぽり収まっている小型テレビのスイッチを入れた。つまり、オイラは栗で買収されたわけだ。栗は大して旨くなかったが、悪くない取引だった。

ボクは無理矢理強要されていたそろばんをさぼれる喜びを噛みしめつつ、放水と鉄球の面白みのない映像を横目に、パサパサの栗を頬張った。まあ、小学4年が傍観する世の中の大事件なんてそんな程度にしか映らない。

そんな話を20代の頃に仲の良かった友人に話すと、意外なリアクションが返ってきた。
「あの事件は胸糞悪かったね」と。
友人は憮然とした表情で、一瞬黙り込む。あれ、そんな厄介な話題を振ったつもりはなかったのだが、オイラはその友人が次の言葉を話すまで静かに待った。
「あの事件で、警官が殺されているんだよね。オレの親父は警察官だったからさ、他人事には思えなかったんだよ。ホントに腹が立った」

その友人とある時、『太陽』の話になった。菅原文太演じる警官は城戸のテロを阻止すべく翻弄された挙句、逮捕することも叶わず最後は息絶えてしまう。警官を父親に持つその友人にとっては、城戸は極めてけしからん存在であるはずだ。あさま山荘事件の話の時のような、あの苦い記憶にそっと触れながら、やりきれない怒りの感情が沸き上がるのではないかと、オイラは内心穏やかではなかった。

すると友人は微かな笑みすら浮かべ、こう言い放った。
「不思議な魅力に満ちた映画だったね。あの映画で菅原文太を応援する人はどれくらいいるんだろう。大半の人はジュリーの味方だよね」

思わず拍子抜けしてしまったが、確かに犯罪者に共感し、肩入れしてしまうストックホルム症候群の症状を起こしてしまうピカレスクロマンは意外と多い。ベタな話だが、ルパン三世が嫌いな人はどれだけいるだろうか、という話だ。同様に、この『太陽』において、城戸の魅力にノックアウトされない鑑賞者はどれだけいるのだろうか。この映画は、糞真面目に群衆の一人として地道に生きていくことの馬鹿らしさを嘲笑う側面と、誰にでも一つや二つあるはずの自己の愚かな暴走から生じる虚しさと切なさの感傷を同時に味わえる。


●オマージュ
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すぐに気が付く勘の良い人もいるだろうが、この映画はパロディとオマージュが随所に使われている。『タクシードライバー』の拳銃の構えるシーンや、 沢井零子(ゼロ) 役の池上季実子を波止場から投げ飛ばすシーンは『青春残酷物語』のオマージュだろう。また長谷川監督の前作『青春の殺人者』の主人公を想起させるようなシーンもある。城戸は言う「親は、とっくの昔に殺した」と。
また、同じく『青春の殺人者』の主役であった水谷豊が、悪人を取り締まる警官役というギャップが痛快だ。

1982年に放映されたTBSのドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』において、西田敏行氏がサラ金の取り立てをやっているのだが、『太陽』においても同じような役柄で西田氏が登場している。これはむしろ『淋しいのはお前だけじゃない』において『太陽』のパロディとして登場しているように見えなくもない。このシーンを映像で見る限りロケ場所の雰囲気までもが酷似している。

以前、オイラが勤めていた会社の3歳年上の同僚に『太陽』の熱狂的なファンがいた。彼は『青春の殺人者』を観て長谷川監督の大ファンになったという。『太陽』の企画が進行し、撮影中であることを当時オールナイトニッポンで知ったらしい。東急百貨店の屋上から一万円札をばら撒くシーンがあり、通行人のエキストラをなんとそのオールナイトニッポンで募っていたそうだ。その彼はエキストラに応募をして、実際に群衆の一人として映っているらしい。ちなみにばら撒いたのは、もちろん本物の札ではなく、お札に見えるように印刷したものだったという話だ。

公開年の1979年は、wikiによると共通第1次試験が初めて施行された年らしい。そういう背景を頭の片隅に入れて代々木付近のシーンを見ると、当時の学生たちが集っていた喫茶店などの雰囲気が伝わってきて、ノスタルジックな気分が味わえる。ドヤ顔でMacを広げている学生がいるような現在のイメージとはまさしく隔世の感があって面白い。


●バックグランド
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古い邦画を観ることの楽しみの一つは、もう死んでしまった昭和の怪優たちに逢えるということがある。イカツイ顔に油ギッシュな演技。『太陽』にも素晴らしい俳優が出演している。神山繁、汐路章、北村和夫、佐藤慶、伊藤雄之助、そして小松方正。
最近の俳優は、油分が少なくてアクのない人たちばかりになったような気がする。上記の面々に現在でも互角に張り合えそうな個性派の俳優ですぐに思いつくのは、遠藤憲一氏くらいしか思いつかない。

また『太陽』のシーンにテレビが放映される所で、林美雄がアナウンサー役で出演している。オイラもパックインミュージックを聴いていた世代なので、今観ると複雑な思いと懐かしさでなんとも切ない気分になってしまう。彼は58歳で肝不全により亡くなってしまったが、オイラはどこで勘違いしたのか、首吊り自殺で死んだと思い込んでいた。どうやら同じTBSのアナウンサーで松宮一彦氏と記憶がスリップしていたようだ。TBSのアナウンサーは、若くして亡くなる人が多いのでそのことも多少オイラの記憶に影響しているのかもしれない。

パックインといえば、エンディング曲として映画『青春の蹉跌』のテーマ(井上堯之)が使われていたようだが、どうもオイラの記憶にはない。気になってYouTubeをチェックしてみると、ジョンレノンの『Mind Games』に酷似していて驚いた。
残念なことに井上堯之も今年、彼岸へ旅立ってしまった。傷だらけの天使や太陽にほえろ、といった広く馴染みのある作品もあるが、この『太陽』でも実に素晴らしい仕事をしている。どの曲も映像を引き立てる素敵なBGMだが、オリジナルサウンドトラックの『カーチェイス』という曲は特に秀逸だと思う。RX-7で昧爽の高速道路を駆け抜けるシーンは、警察に追われるというより、自らの死に向かってアクセルを踏んでいるようにも見えてどこか物悲しさが漂う。インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアのエンディングもそうだが、美しい男が車を気だるく運転するシーンは、香水の残り香のようにセクシーに感じる。

現在改めて『太陽』を見返して、エンドロールに映画監督で作家の森達也の名前を見つけた。一時期、オイラが『太陽』にヘビロテしていた時代には森氏は無名の存在だったので、知る由もない。当時、森氏は映画も制作していなかったし、ましてや書籍もまだ一冊も上梓していない。そういえば2年前、シネマ・ジャック&ベティに『FAKE』を観に行った時、森達也氏がサイン会をやっていた。森ファンの熱気になんとなく気圧されて、かつ、サインを貰うということがどこか気恥ずかしい行為に思えて、オイラは遠くから傍観していた。今になって、やっぱり記念にサインを貰っときゃ方が良かったかも?なんて、ちっぽけな後悔をしてしまう。小心者はいつも損ばかりする。

●エピローグ
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国家を相手に主人公の城戸が無理難題を押し付ける中で、一際笑いを誘うのがストーンズの日本公演のエピソードだ。つまり、原爆をドカンとさせたくなければ、ローリング・ストーンズを日本へ招聘せよ、という要求である。

傑作なのが、公演が決定したと一面に掲載された新聞の紙面がいい。『マリファナは不問!』と題字が踊っているのだ。もし、城戸がヒッピーの残党だったなら、国家に対して『今すぐマリファナを解禁しろ!』なんていうファンキーな要求を押し付けたかもしれない。そういう映画のストーリーでも悪くないだろうね。

さて、ダラダラと個人的な話を垂れ流してしまったが、以前『太陽』を観た時と本質的に自分が殆ど変わっていないということを今回痛感してしまった。今から30年ほど前、『太陽』を観た当時、オイラは何かを始めなきゃという期待と不安でひたすら焦っていた。ただ焦っても何も解決することなく、仕事や雑事の渦に呑み込まれていくばかり。

オイラが20代の頃、通っていた美術系専門学校を卒業する時、一人のアル中の講師が卒業生を前にしてこう言った。「お前ら、社会に出たら絶対に打ち上げ花火を上げろよ。ドーンとな。どこからでも、誰にでも見えるでっかい花火を。オレは遠くからずっと見てるから。キミらが面白いことやるの、凄く楽しみにしてるから。さあ、社会に出てひと暴れしてこい」と。

その講師の熱い檄は、オイラの心の中でチリチリと消えない導火線になった。退屈な日常に、自分だけにしか作れない『打ち上げ花火』を仕掛けて、世の中をあっと言わせてみたい。そうは思うものの、アーティスティックに生きることも、作品や自己のキャラクターで世間の耳目を集めることは非常に難しい。その一方で、オイラのその時の仲間の何人かは、きちんと約束を果たし、今もずっと見事な花火を上げ続けている。

そういう器用な連中を後目に、オイラは今も同じような平凡な日常を生きている。恐らくタフネスとセンスかが圧倒的に欠落しているのだろう。それからこうも思う。花火は、打ち上げる側と、見上げる側が二つあって世界は完結する。オイラはひょっとしたら『見上げる側』の人間だったのかもしれない。馬鹿だな、今まで何を焦っていたんだろう、と。
あのアル中教師の檄は、心のカンフルだと思っていたのだが、ある意味凡庸な人間に施してはならない催眠術だったのではないか、と愚かにもようやく気付く。

実際、その講師に『先生が背中を押してくれたので、こんな面白いことやりましたよ』と告げたところで、多分こういうだけだ。『あれ、オレ背中を押した覚えなんてないぜ』と。

最近になって分かったことだが、そのアル中講師はオイラが卒業して1、2年ほどしたら肝臓がんで無責任にも死んでしまったらしい。これは一般論だが、先生という生き物は得てして嘘つきが多いのだ。けれども、オイラ同様に催眠術から覚めた連中は誰一人イヤな気はしないだろう。ちょっとだけ凄い人間だったと勘違いしたバツの悪さに、ただニヤケるだけだ。

『太陽』の時代、まだ世界はシンプルで未知とタブーに溢れていた。怒りと吐き気を伴う3.11の放射能漏れ事件もなければ、北朝鮮の核の暴走に舌打ちすることもなかった。子供たちはラジオの深夜放送を聴いてマセガキになり、雑誌を読んで一知半解な妄想を膨らませ、少しずつ大人というものに成長していった。今はスマホがあれば、いかがわしい情報に簡単にアクセスできる。原子爆弾を作ることだって、あっけないことかもしれない。

オイラは『太陽』の時代の空気感が好きだ。もうあの頃に戻ることはできない。夢とお金と人口が、世界から徐々に失われていく、と日々ニュースで嘆いている。けれどもそんな今を退屈せずに生きるしかない。それでも落ち込んだら、チューインガムでも噛みながらニヒルに街を徘徊するか、あるいは、また『太陽』観て深呼吸すればいい。

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