生きるか死ぬか
人生を道に例えると、死が身近にある人たちの気持ちが分かるのではないか、そう思った。
お風呂場で急に思いついたこの考え。
何もかも嫌になった今日だから思いついたこの考え。
記しておきたい。
大抵の人の人生は2層構造なのだと思う。
通常歩いて進むのは、上の層の【生きる道】。
大きな出来事があった時、そこに穴が空いて、下の層にある【死ぬ道】に気づいて揺らぎ出す。
そして多くはその穴を飛び越えて、またもとの【生きる道】を歩いていく。
死が身近にある人たちは、そうではない。
至る所に分岐点があり、【生きる道】か【死ぬ道】か、どちらを選ぶか迫られる。
そして2つの道は並行して続いている。
【生きる道】を歩いている間も、横を通っている【死ぬ道】が視界に入る。
やっぱりそっちがいいなと思ったら、ひょいと飛び越えて、【死ぬ道】に行くこともできるし、すぐにやってくる分岐点で【死ぬ道】に変えることもできる。
「なぜあの人が急に…」
それは、"大抵の人"の考え方だ。
"死が身近にある人"にとっては、いつだって【死ぬ道】に進路変更するチャンスがあるのだから。
いかに進路変更を食い止められるか。
突発的に死ぬ手段がそばにないことが大事、
と言っても危険な金属の塊である自動車や電車が毎日隣を走っているのだから、
それは難しいかもしれない。
となると、
【生きる道】の方が少しでも【死ぬ道】より良いかな、
と思ってもらえる他ない気がする。
推しのグッズの発売日が控えてるから、
来年の金木犀の匂いを嗅ぎたいから、
死んだら家の猫が悲しむから、
なんだっていい。
少しでも未練を。
未練を作ること。
それが私たちにできることかもしれない。
誰かの未練の、お手伝いをする。
そして、目の前にチラつく【死ぬ道】ではなく【生きる道】を選択してきた、心の苦しみと努力を知ること。
「そんなことぐらいで、死ぬだなんて大袈裟な…」
なんていう
"大抵の人"の見方で推し図らないこと。
これからも考えていく。
【生きる道】の価値を。
明日も皆さんが、なんとか【生きる道】を選べますように。