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デリカシーの欠片すら持たないぼくが、僕になるまで

★協定:家の物は何でも使っていいが、使った後は元の位置に戻す。

「今日は家で食っていってもいいんだよな」
「今、世の子供達の大半は夏休みだ。あんたは知らないだろうけど、どのご家庭でもぼくら小動物へ与える餌で悩んでいるよ。その権利を奪ったからって誰も文句を言いはしないさ」ぼくは四つ足の、バランス養成器具から降りて台所へと向かった。


「何か食べたいものはあるか?」
 ぼくは甲野さんに出会った初めの頃を思い出して、肩を耳たぶの高さまですくめてやる。
「じゃあ何が作れる?」
「パスタを茹でてそこに粉チーズと卵を絡めてベーコンで彩を加えたもの。トマトケチャプでコーティングしたお米に、それに合うバターで炒めた野菜諸々を投入。はたまた卵で包んで隠ぺいした料理」
「じゃあ、ナポリタンなんかどうだ」ぼくは賛成の意を表してうなずいた。
「よし。じゃあお前が作れ。俺はサポート役に回る」


 前線に送られてきた最初の支給品は玉ねぎだった。シンク下のネットからこの家の勝手を知る助手が抜き取ってきたものだ。何枚もの皮で身を包んだ丸い野菜。見た目には大きいけれど、皮をむけばもう少し小ぶりになるはず。「例えば、旅行にでも行こうとしたとする」冷蔵庫に向かいつつ甲野さんは話す。「国内にしようか、はたまた外国にでも足を伸ばそうか。お前は色々と候補を上げる。沖縄、広島、名古屋、大阪。お金があるようならイタリア、フランス、スペイン。でももしかしたらその中には正解がないかもしれない。エーゲ海に浮かぶサントリーニ島という絶景の孤島が、お前の疲れた心根を何よりも労わってくれるかもしれない」冷蔵庫からはソーセージとピーマン半分。半分もあれば十分こと足りる。主役ではないんだから。
「わかった、わかった。ぼくがそのことを知らなければ、候補にすら上がらないといいたいわけね。でも、そんなのインターネットを使えば一発さ」具材をまな板に載せると、さっそく具材を切り分ける作業に移った。玉ねぎは薄切り、ピーマンは輪切り、ソーセージは斜めで厚切り。


「もちろんそうだ」甲野さんは壁に取り付けられたフックから鍋を取り外し、そこに水を注ぎはじめた。手ごろな大きさの両手鍋。この狭い家で行われるほぼ全ての煮込み料理は、この鍋とフッ素加工のフライパンに任せられているのだろう。甲野さんの食生活にとって、この二つの調理道具が受け持つ役割は非常に大きいと言える。「今のご時世、ネットを使わん奴はいない。でもな、敷居はずいぶんと低いがネットにすらやり方がある。まずもってパソコンでそれを調べることができることを知らなければならないし、立ち上げる際スイッチの在処を知っていなければならない。その上キーボードの打ち方に通じていなければならない」
「そんなの誰だって知ってるさ」
「お前の周りは特にそうだろうな」甲野さんは蛇口をきゅっとひねって、捻れば捻るだけ出てくる水に制限をかける。水をたっぷり飲み込んだ鍋をガスコンロの上に乗せる。「でも全員ではない。なぜならこれは後天的に学び取るものだからだ。皆知っていると言ってもそれはどこかで学んだからに過ぎない。誰かから学んだり、自ら学び取ったり」甲野さんはガラスのケースを開けると、鍋の中に塩を何掴みか放り込んだ。決まりになっているかのようにそっけなく。ぱっぱっぱっ。「そうした事柄が人生の全てにかけて降りかかってくるんだ」
 ぼくは冷蔵庫を開け、開けたドアの横からバターの入った箱を取り出した。バターの入った包装箱は残りの用量に合わせ、端から切り詰められていた。銀紙を剥がし、そこから二かけらバターを切り出し、その内の一個で玉ねぎを炒め始める。もう一個は仕上げのためにまな板の上で待っておいてもらう。


「でもわざわざサントリーニ島にまで行く必要はないだろ?身体を休めたいんなら、他でも事足りる。他のところでも同じぐらい満足することもある」
 甲野さんはお湯に揺さぶりをかけ、塩が自分のタイミングで溶けるように促していた。「俺はそういうことを言ってるんじゃない。満足なんてのは主観的だ。だから測りにくいし気を付けていないとごまかされてしまう」甲野さんは倒れ込む様に横の壁へと寄りかかった。沸騰するまで助手はお役目ごめんというわけだ。いい意味でも悪い意味でもサポート役ってわけ。 
 しんなりと透き通った玉ねぎの元へ、ピーマンとソーセージを投入する。「具材に入れるソースを作っといて」ぼくは助手に仕事を与える。


 少しして甲野さんは壁から背中を剥がすと、冷蔵庫からケチャップと牛乳、ウスターソースを取り出してきた。まずまずの選択だ。コックのぼくでもそれを選んできただろう。甲野さんはそれらをテーブルに置き、鍋の様子を見に行った。沸騰した鍋にパスタを放り込み、手のかからなくなるまで傍にいてやる気構えをみせる。「例えば毎日カップラーメンを食べているやつがいるとする」と甲野さん。「そいつはその生活に十分満足しているかもしれないが、もしフランス料理を食べることができたとすれば、果たしてどちらを選ぶだろう」甲野さんは割りばしでくるくると鍋の中の水に気ままな円を描いていた。まるで水槽の中で泳いでいる小さな小魚たちに、今日一日分の餌を振りまいてやるかのように。「その存在があるかどうか知らない状態で評価するのは危険なことだ。知っている、どこかで目にしたことがあるってのは意外と重要なことなんだ。最終的にそれを選ぶ選ばないのは個人の自由だが、知っていてそれを選ばないのか、それとも知ってすらもいないのかは雲泥の差だ。そして俺が一番嫌いなのは幸せかどうかってことになんでもかんでも簡単に結び付てしまう風潮だ。本人が幸せでありさえすればいい、と公言している輩が多すぎる。そうなるために巷にはハウツー本やら指南本やらがわんさか溢れている。だがな、そんなもんは全部一貫してクソだ。いいか、もし幸福度のためだけに生きるんなら自分の快楽のために生きていればいい。脳内に吐き出される快楽物質の量とその質だけを問題にすればいい。お前はそんな簡単な自己満足な、画一的な指標には飛びつくなよ。そういう誰にでも納得のいくものほどかえって危険なんだ。俺は人生のピークをおおよそ八十歳ぐらいに想定しているが、その齢に至った時に自分自身がどのようでありたいかを常に念頭に置いて日々生きている。幸せになりたいだなんて、俺には逃げの言葉にしか聞こえないね」


 甲野さんは割りばしを鍋から引き上げると、鍋の縁のところでパンパンと叩き、割りばしについていた水を払い落とした。まるでパスタを茹でる際の一つの流儀であるかのように。それを行うことによって、急ぐ余りに崩してしまったテンポをまた元の心地よいテンポに引き戻すかのように。叩いた割りばしは濡れた部分が宙に浮くようシンクの上に置かれた。「例えばだな、こんな場面にもかかってくる」下顎をカリカリ掻きつつ甲野さんは言った。「お前が途中で勉強が嫌になって放棄し、大学に行かなくてもいい、まあバイトでもしてどうにか食いつないでいこうと考えたとする。そんな人生も人が言うほどには悪くないんじゃないかと。お前は持ち前の辛抱強さをいかんなく発揮し、与えられた仕事に一生懸命精を出す。荷物運びもやるし、客が来れば大きな声で挨拶をする。上司からの根拠ない批判も、一つの戒めとして素直に受け入れる。貰える給料は大学出の奴らよりはやはり少ない。だがそれは最初から織り込み済みだからさほど気にはならない。仕事はそれでもいいと思う」甲野さんは言葉を切った。「でもその他は?」 


 こびりついていた玉ねぎをフライパンの端にからこそげ取り、炒め終わった具材にこれなくしてはナポリタンは語れないケチャップ、単調な味付けにならないようにウスターソース、まろやかになるよう少量の牛乳の混合物を加える。やっと成功しそうな色合いになって来た。食べておいしい料理はその前段階で食欲がそそられるようでなくっちゃ。全ての企画と同じだ。期待がなければ、十中八九が自分への言い訳で終わる。「たぶん好奇心旺盛なお前のことだ、これからいろいろなことを知りたくなるだろう。経済、美術、化学、物理、工学、美術、歴史、数学、医学、考古学、言語学。それにだ、上っ面のことだけじゃなく深くも知りたくなるだろう。だが学ぼうとしても色々なところで支障が出てくるに違いない。なぜなら基本的なところが出来ていないからだ。躓いて諦めてしまうのが目に見える。何かを学ぼうとしても相当な努力と根気が必要になる。文字をただ読むだけでも時間がかかるし、読んだ内容を頭にストックできない、読んだそばからすぐに忘れる。作者が本当に意味していることやその言葉の響きや広がりや厚み、前後との有機的な繋がりが見えてこない。花や木のイメージがわかないし、登場人物が語るユーモアや蘊蓄もさっぱりだ。まあ小説を読まなくってもいいのならそれまでだが、そうしているとどんどんやれることは狭まっていく。毎日ビールを飲んでテレビを見ていて満足するならいいが、それよりは本を片手に上質のワインを飲んでジャズで気持ちを落ち着けたい。少なからずそんな日もあるはずだろ」


 ソースを薄めるために、助手が手がけている鍋からパスタの煮汁を二匙ぶん分けてもらった。パスタが茹で上がるまでは火を止めておく。「何をするのにもメリットとデメリットがあることを知らなければならない。もちろん知らなくてもいいが、後悔するのは自分自身だ。もしお前が浮かれて飲めるだけの酒をじゃんじゃんと飲めば、一つしかない大事な肝臓ちゃんがやられる。ゆくゆくは豚みたいに太って生活習慣病の悪循環に入り込むことは明白だ。身体が悲鳴をあげたところでやっと医者にかかりに行くが、入院費をがっぽりと取られるし、同じ体型の男どもが集まったグループに日曜ごとに通うことは避けられない。そこで心を入れ替え、上手く自制して酒ときっぱり縁が切れればそれでよしなのかもしれないが、いずれにせよもう酒とは一生おさらばになる。少しでも飲めばまた男どものいるグループに逆戻りだし、家族からの信頼も復活することはない。肥大するお荷物とみなされて、気にかけてくれる者は事情を知らない飼い犬たった一匹だけになる。だがそういう弊害を事前に知ってさえいれば飲酒は適正な量で自主的に止めるだろうし、煙草に手をつけることもない。煙草ってのは肺がんのリスクを高めるだけと思ったら大間違いだ。なによりも悪いことは娘たちからのキスがもらえなくなるってことだ。口が臭くなって、その臭いと日がな一日付き合わなければならなくなるからな。万が一キスを受け入れてくれる許可が得られたとしても、それは頬っぺたの、耳の横の辺りに限定されてしまうだろう。それがもっと柔らかい位置へと昇格することはまずない。期待するだけ無駄だ。長期にわたってどういう効果が及ぶことになるか考える頭も同じく重要だ。これらは全て頭が使えているか、勉強でその素地が、そういう風に考えられる習慣が根付いているかにかかっている。おうっ」甲野さんは素早く鍋からザルにパスタを移したが、ほったらかしにされていたパスタは伸びに伸びて、水をたっぷりと吸いこんでいた。

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