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火山の噴火で埋もれた町 ポンペイ遺跡を練り歩く。"イタリアぶら旅④"

ヨーロッパ旅行するならどこがおすすめかとフランス人の友だちに聞いてみるとナポリそして、ポンペイをやたらと推していた。地図を見てみるとけっこう南だったので距離的に若干渋っていた。しかも南に行けば行くほど治安が悪いしマフィアがいるやんと言うと日本にもヤクザがおるやんと言われた。フランスにはマフィアとかいいひんし、みたいなこと言われたが、なんであんなデモで店壊しまくるやつとかいるのにマフィアおらんねんウソやろ、、と思ったが、せっかくだから行くしかないとそんなかんじで来た。しかしながら、子供のころにテレビで見ていた世界ふしぎ発見というテレビ番組があったが、幼心に"こんな世界にいつか行ってみたい"そう思ってた自分が今まさにその世界に足を踏み入れたんだとわくわくし始める。

ピザを食べた12時頃から少しナポリの街をぶらぶらし、13時半頃にナポリ駅から電車に乗り30分ほどでポンペイ駅に到着。

駅を出るとマップを持っていたナビゲーターがいたので欲しいと言ったらマップが必要ならこっちだと言われ、異様に優しく話してくるのでなんぞやと思ったらやはりポンペイの歴史の解説本を40€ぐらいで売ろうとしてきた。さすがに本一冊にこの値段は高い。ポンペイの遺跡までは歩いて10分ほど。その間にもたくさんの黄色い色の服をきたナビゲーターの案内所があり、客引きをかなりアグレッシブにしてくるので注意が必要だ。

そんなこんなでポンペイ遺跡の入り口に到着。

当時の街を上から見た図

入り口は写真の右下辺りから入り、入ったところからまず初めに(円形闘技場(アンフィテアトルムともいうらしい)がある。それがこちら。

ここで大勢の観衆が剣闘士の殺し合いを観戦していたようだ。スポーツ観戦と言っていいのかわからないが娯楽のために大きな施設を作ることができたなんて自分の想像以上の文明があったことがわかる。

今から約2000年前の街並みを見れるという不思議な感覚。

大昔の人たちが亡くなった瞬間を再現されたもの。非常に生々しい。当時に人からすれば2000年も後の人間たちに見られるなんて思ってもみなかったであろう。

この日は天気に恵まれ、石畳が太陽に照らされ一層に神秘的に映る。そして、石畳の一つ一つの石のサイズがでかい。昔の人はこんなでかい石を運んでははめということをしたんだろうか。とんでもない苦行だろうが、自分のした仕事が2000年もの年月を経て今の人間たちに"当時の人すげぇ"とか何らかの感情を抱かせてるなんて思うとやった人々の苦行も浮かばれるような気がする。

ポンペイ遺跡のことについて下調べはそこまでしていなかったので歴史については復習のような形でこの記事を書いているが、下のナシュジオの記事を参考にした。

そして、同時にこのポンペイが栄えていた時と同時期の日本のことについても気になって調べてみた。いつも歴史について知りたくなった時に読んでいるこのユーザーさんの記事を引用させていただく。

上の記事を参照してこの時代の日本とポンペイを食文化の面で比較してみると、

ポンペイ:現代社会にそっくりと言われるほど多様な輸入食材が出回っていた。ファストフード店があるなど商業的にも食を扱っていた。

日本:稲作で米の生産量が増え、集落の規模が大きくなり小国ができていた。

こう見ると当時の日本はまだ食を生きるために必要なもの以上の価値はないように思える。しかし、シルクロードの図を見ると一番右端と左端で繋がっているので日本にも様々な輸入品が入っていたが、一番の違いはポンペイのように決まった範囲に大勢の人が密集し、大都市を形成できたことが食への関わり方に多様性を生んだのは言うまでもない。

こうして、思い切りで行ったポンペイであったが行ってみると非常に感動も多く、歴史についても少し書いてみたが、遺跡を見て食文化の面で自分なりに”ふしぎ発見”できたことは良かった。今後も歴史と食文化についてどこかに訪れた際は書こうと思う。

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