「将来の夢は?」 という質問に、なぜ職業を答えなければいけないのか。
「将来の夢を聞かれているんだよ?仕事とは言われていない。人生のことでしょう?日本人は、仕事が人生なの……?」
以前、フランス人の友人に言われた、印象に残っている言葉です。
「将来の夢は?」
この質問、私たちは物心ついたときから、定期的にされてきたのではないでしょうか。
最近の教育がどうなっているのかは知りませんが、少なくとも1993年生まれで、公立の幼稚園、小学校、中学校に通っていた私はそうでした。
そして、当たり前のようになぜか「職業」を答えるように仕向けられていました。
女の子で多かった回答は、「お花屋さん」「ケーキ屋さん」だったと記憶しています。(ちょっと変わっている私は「和菓子職人」と答えて、周囲は困惑。)
さらに、年齢を重ねるにつれ、「現実的な職業」であることをどこか強いられているような気がしました。
ピアノが弾くのが好きだから、「ピアニスト!」なんて答えると、「食べていくのが大変なのよ?」みたいなお説教が始まる。
そうやって、教育の中で何となく「何かしら既存の職業につかなくてはいけない」ような気になっていて、それが当たり前のことだと思っていました。
しかしフランス人の友人から言わせれば、「将来の夢」を聞かれているのだから、「自分がどんな風に生きていきたいのか」を答えるべきだ、とのこと。
大きな家に住みたい、絵を描きたい、外国に行ってみたい、
それらは全部答えになりうる、と。
(フランスでは、そもそも「将来とは?」「人生とは?」「夢とは?」と物事を一つずつ考えていくところから始まります。さすが哲学の国。)
そして、「職業にしても『パティスリ—を作りたい』=『パティシエになりたい』が夢ではないでしょう?『パリに店を持つ』が夢かもしれないし、『レシピ本を出版する』が夢かもしれない。夢はもっとたくさんの種類があるはずだよ。」
と、言われたのです。(当時の私のフランス語能力で理解できた範囲で、おそらく。)
職業ではなく、自分の人生を「将来の夢」にするべきだ。
こんなに当たり前のことに、フランスという国に出会い、文化に触れていなければ、私は気づいていませんでした。
当時私は就活生で、暑い中みんなお揃いの黒いスーツを着て、「何かの職業につかなくては、何者かにならなくては」と焦って、携帯とパソコン片手に都心を走り回って、全然楽しくない毎日だったけれども、
そんな私を支えたのは、「シューカツセー!」と笑いながら、人生を謳歌しているように見えた、遠く離れた地に住む友人たちの存在でした。
だから私は、色んな文化の人たちと出会いたいと、思い続けています。
読んでいただきありがとうございました😊 素敵な一日になりますように!