足りない

本を読め、と言われる。
日本では言われたことのない言葉。むしろ、本を読むのもいい加減にしろと言われていたくらいだった。
この国で生活する上で、会話能力にそれほど困ることはない。でも読み書きが非常に苦手だ。文法と語彙が不足しているのも自覚している。
この国に来てからの日々を考えると、自分の状況はごく自然であるとも言えるのだが、いささか情けない。そして困る。
困ることはいろいろあるのだが、その一つとして、日本語では容易にできていた読書というストレス発散方法ができないことが困る。最近マシになってきたが、自分にはその能力がまだ足りていないのだ。
自分にできない事や苦手な事は億劫になりがちだ。億劫になると自分から遠ざけたくなる。
それが良くない。
逃げれば逃げるほど辛くなって、情けなくなって、苦しい期間が続く。自分の状況を把握して立ち向かえばその分楽になる。まずは気持ちが多少楽になるし、続けることができれば結果的にできる事が増えて楽になる。
会話が得意な要因は、こちらに来てからかなり短期間で外国人集団の中から抜け出さざるを得ず、現地人集団に入り込んでわけがわからないながらももがいていた事があるのだと思う。
常にラジオが流れており、誰かしらの会話や喧嘩を耳にし、時には演劇のセリフを耳にし、ドラマや何かをつけている。あの時はもうとにかく必死だった、と思う。
誰かに紹介される度にフランス語も英語もできない日本人だと言われるのも嫌だったし、君の言いたいことはわかる。こういうことだろうと返される内容が全て真逆なことにも、それを訂正できない自分にも腹が立ち、もどかしく、とにかくなんでもいいから聞いていた(それなのにニュースは特に聞いていなかった)。
代わりと言ってはなんだが、読み書きを行う場面はほぼなかった。強いて言えば去年度、CAPのプログラムを受けていた一年間で、否応なしにノートを取らなければならない(取れない)、資料を読まなければならないという時間を過ごして初めて「自分はこんなにも無能なのか」と思い知った。
まあ読み書きは期間を凝縮したとしても一年にも満たないレベルのものしか書いていない/読んでいないのではと思うので無理もない。
ところが最近、自分の中でこの国の言葉で行う読書のハードルが下がったような気がして、改めて自分に足りなかったのは所謂インプットなのだと気がついた。
多分、今までやっていたひたすら聞くという作業をひたすら読むに変換したら多少の結果は出るのではないかと思う。
ただ母語である日本語だって、何を持って「わかった」とするのかよくわからない中で、外国語は果てしない。外国人であるが故に、フランス人だったら「ああごめん説明の仕方が悪かったわ」で済むところを「まだわか流ほどの語学能力ではないらしい」と判断されてしまうことも残念ながら多々あるので、外国人だからこそより完璧に近づける必要があると感じることがある。本当に果てしない。
まああまり先のことを考えて鬱々とするよりは、足りないものがわかっているのだから、多少なりともその穴を埋める作業をしていく方が賢明で、精神衛生上もいいだろうなと思う。

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