感情のフィルターで作る世界
最近、私は私が好きじゃない。
眉間のシワ、腕組み、唇を噛んで募る思い…。
ストレスが脳裏を支配すると、たちまち世界は色を失います。
楽しいはずのことがつまらなく思えたり。
かけがえのない時間が余計なことに思えたり。
日常に追われ、やらなければいけないことが頭の中を蝕んでいく感覚。
すると、大切な人たちと過ごすやすらぎの時すら「早く終わらせて、やることやらなきゃ」と、願ってしまう。
根底に流れるのは、心の余白の少なさ。
私に足りないものはなんなのか。
ある方からヒントをいただき、自分自身を振り返ってみました。
「やらなきゃいけない」こと
主婦の日常は、細かいタスクの連続です。
毎日こなさなければいけない、ルーチンワーク。
掃除、洗濯、食事の支度、後片付け、買い物、雑務…。
放っておいたらあっという間に家の中がめちゃくちゃになるし、家族みんなが困ってしまう。
だから「私が守らなきゃ」そんな思いで、日々、家事と向き合っているのです。
ひとつひとつは、難しいことではありません。
いちいち「めんどうだな」「早く終わらないかな」「かったるいな」そんなことを考えていたら、何もできなくなってしまう。
だから、私はできるだけ淡々とそれらを片付けるようにしています。
ルーチンワークにおよそ感情は必要ない。
それよりも、ワクワクすることを考えながら手だけ一生懸命動かしていたいのです。
ところが、タスクが溢れてしまうと無言のプレッシャーに知らず知らず圧迫されていきます。
10時までに洗濯を干したいのに、まだ終わらない…
買い物の前に、皿洗いと風呂掃除をしておきたい…
今日は通院の日だから、早くやらなきゃ…
「やらなきゃいけない」感情が、無言の圧力となって迫りくる。
それが焦りや苛立ちといった負の感情を連れてきて、私の胸に巣食っていく。
そうなると眉間にシワを寄せながら、目の前のタスクにイライラしている自分に気づくのです。
「義務感」は心の枷になる
「やらなきゃいけない」は義務感です。
就学の時期が来たら、子どもたちは義務教育を受けなければいけない。
親は子供の成長を促し、成人まで育て上げなければいけない。
私達には納税義務があり、国の定める税金を納めなければいけない。
誰もが知っている当たり前のことは、私達に課せられた「義務」です。
なくてはならない「義務」は、心にとっての重荷です。
それは日常においても同じこと。
洗濯しなくちゃ
ご飯作らなきゃ
掃除しなきゃ
そう思うと、なんとなく憂鬱な気分になってしまう。
それは「やらなきゃいけない」という義務感がそうさせているのです。
だから、いまいち乗り気にならないし、ついダラダラしてしまう。
洗濯物を干しながら「かったるいなぁ」と思っていたら、その後に控える風呂掃除も買い物も、どんどんしんどくなっていきます。
「やらなきゃいけない」その思いが、私の心を縛り付ける。
でもそれは、心の持ちようで変化するものなのです。
主婦は我が家を「プロデュース」する!!
私の根幹には、大前提として「家族を守らなきゃ」という思いがあります。
柔らかな日差しに洗濯物をさらし、食卓を毎日違うおかずで彩る。
水回りを清潔に、庭先にはお花が笑っている。
家族みんなが笑顔でくらせる、そんな当たり前の日常を私はプロデュースしたいのです。
これは大げさか?
いやいや、主婦の頭の中はみんな少なからず同じ思いでしょう。
本来ならそこに義務感はなく、あるのは期待とワクワクと達成感。
考えようによっては「私の暮らしは私が作り上げるんだ!!」そんな向上心と開拓心すら抱くことができます。
ところが、さきほどのように「やらなきゃいけない」に囚われていたらどうでしょう?
心は途端にやる気をなくして、やることだらけの義務的な日常に不満をこぼし始めます。
そうじゃないよ。
日常はこんなにも自由で、豊かで、輝けるものに満ちていて。
私の力で変えられることもたくさんあるよ。
そう心に教えてあげるだけで、私はかなりスッキリしました。
私のこなさなければいけないタスクは、つまらないことなんかじゃない。
日常を守るためのステップなんだ。
そう思えたのです。
私達が当たり前だと感じている日常は、誰かの手によって守られている。
その視点でいうと、私も家庭という名の社会の一員なんだよって、誇らしく思えるのです。
体と心をたっぷり甘やかす
そうは言っても、一日の中で「疲れたな」と思うことはあります。
たくさん働いているのだから、疲れるのは自然なことです。
義務感にとらわれているとき、私は休憩をとらずにタスクをこなしていました。
休憩=サボりではないか?
そんな気持ちからくるものです。
いやいや待ってよ。
休憩はサボりじゃないんだよ。
体と心をリセットするのに、必要な時間なんだよ。
こう考えてみます。
すると昨日は、いつもなら座らないソファで体を休めることができました。
10分だけ休もう!
そう決めて、休むことに集中する。
それだけで不思議とソファの弾力が疲れを吸収し、次のタスクに向かうための元気をわけてくれたのです。
「やらなきゃいけない」に囚われた以前の私は、次のタスクに向かわなければいけない焦りから、休憩に集中できませんでした。
休憩するくらいなら、やることやってたい。
いつしかそう考えていたのです。
そうじゃない。
休憩をするのは、心と体のネジをゆるめる貴重な時間。
そのたった10分が、あとの作業を圧倒的に効率化する。
つまりはモチベーションアップなのです!
なーんだ、そんなことだったのか。
よく頑張ったぞ、私!
今はちょっと休んでいいぞ。
そうひと声かけて、自分で自分をリラックスへ導くだけで身体が芯から休まる感覚に満たされる。
心の在り方ひとつで、私のイライラはかなり解消されたのです。
感情のフィルターで作る世界
憂鬱な気持ちを抱えていると、空はどんより曇りがちです。
日常がタスクで埋め尽くされた、無限ループのつまらないものに見えてきます。
ところが、前向きな気持ちでとらえるだけで、空には虹が輝くのです。
目の前にあるタスクをこなして「よしっ!」と、達成感にひたる。
家族の笑顔をプロデュースする。
期待とワクワクに満ちた毎日は、自分の心が作り出すものだったのです。
日々の喧騒に埋もれていたポジティブな気持ち。
私は私が好きだし、この世界も好きだと思う。
それを再確認することで、ニコニコ笑える自分に気づく。
「幸せだな」という感覚に包まれながら、今日も家事に向き合います。
感情のフィルターが世界を変える。
いま、私の世界は明るく輝いています。
あなたにもある、感情のフィルター。
みんなに等しく与えられたこの世界が、あなたにはどう映りますか?
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