ついに、日記を、捨てた。
もう何年も、悩んで迷って捨てられなかったものがあります。
それが日記です。
多分中学生くらいから付けはじめ、ほぼ毎日のように何かしら書こうと決めて始めた日記。
大学生や社会人になると、毎日ではなくなりましたが、感情の喜怒哀楽を何かあるたびに日記帳に綴ってきました。
実家の片づけをしたときに、ふと自分にもいつかこういう日が来るんだと思ったのがきっかけで、
元気なうちに日記を処分しなければ!
と、強く思いました。
引っ越しや部屋の片づけの度に「どうしようか」と思いながら、中身を読み返しては「あぁ。こんな恥ずかしいもの娘に見られたら大変だ」と思っていました。
ただ、読み返すたびに、当時を懐かしく思い出し、日記を捨てたら思い出も消えてしまうようで決心がつかず、また押し入れの奥にしまわれていたのです。
しかし、心のどこかにいつも引っかかっており、
両親のように介護が必要になったり施設に入るのは先かもしれないけれど、事故や災害などで突然いなくならないとも限りません。
そんな日はそう遠い日ではないんだということを、急に身近に感じるようになり近いうちに手を付けなければと考えていました。
職場の夏休みが9月末で消滅することから、慌てて休暇消化のために休みをとったのが水曜日から今日まで。
前半は鳥取旅行のプランを考えるのに費やされ、昨日の午後からやっと時間ができたので思い切って着手することにしました。
いつものように黴臭い開かずの箱を開けて中身を取り出します。
パラパラとランダムに開いては読んでいきます。
進級や進学の時の心細さから始まり、そのうちに好きな人のこととか、友達や部活動、学校でのあれこれが記されていました。
あの頃の感性でしか書けない言葉で記された日記は、稚拙な文章のなかに、幼さや若さと同時に、今の自分からは決して出てこないような表現があり自分でも驚きました。
しかし今回いつもと同じように読み返していたはずなのに、懐かしさよりも恥ずかしいという気持ちの方が大きかったのです。
高校時代などは、ほとんどが好きな人のことばかり。笑
しかも相手は入学早々、上級生が見に来るほどの学校一のモテ男子でしたから当然片想いでした。
廊下ですれ違ったとか、会話を交わしたとか、些細なことで喜んだり落ち込んだりしたことが書かれていて、懐かしさより恥ずかしくて読んでられない!
と我ながら感じてしまったのでした。
社会人になってからの日記は、仕事の悩みなども書かれていましたが、いつも似たようなことが書かれていて、進歩のない自分にがっかりしたのでした。
万一のとき、こんな日記娘に見られたくない! という気持ちの方が懐かしさを大きく上回ったのでした。
そして段ボールから日記を取り出して、今までの迷いは何だったのかと思うほど、ぽんぽんとゴミ箱に放り込み始めた私がそこにいました。
最初は日記帳の様相を呈したものでしたが、2冊目からは普通のノートにも書いていました。
懐かしいものを何冊か。
ちょと色が変わっているものもありますね。
1番上の段のペンギン2冊は、当時CMで人気のあったサントリービールのキャラクターですね。
CMソングの聖子ちゃんの歌「Sweet Memories」が大ヒットしました。
真ん中のキティちゃんは初代のころかなぁ。 今とは少し違いますね。
私はキキララが好きだったので、日記帳もキキララですね。
他のノートは当時読んでいた漫画雑誌「りぼん」の付録です。
懐かしいなあ。
このほかに14冊のノートがありました。
大人になってからの日記も他に3冊ほど出てきましたが、おとなになってからのものの方が未練なく捨てられました。
りぼんの付録といえば、こんなものも。
ルーズリーフを挟むファイルですね。
学生の頃、使っていたような気がします。
多少色が変わっていますが、意外ときれいに残っていました。
日記の間からは、こんなものも出てきました。
年号は日記にも書いてなかったのでもうわかりませんが、たしか教育実習の後だったので大学生のころです。
初めて尾瀬に行った時の記録でした。
10月8日に上野発の沼田行の夜行に乗って出発したと書かれていました。
1日目が雨のため予定が変更になり、燧ケ岳に登れなくて残念だったと記してありました。
山小屋(第二長蔵小屋)は15人1室で、ぎちぎちだったけれど、よく眠れたと書いてあり、昨年の尾瀬の時と同じように、疲れてぐっすり寝たんだろうなと思いました。
映画を見た日の日記には、映画の半券やチラシが挟んでありました。
当時は紙のチケットでしたから、受付で小さな切符のような紙を半分ちぎるのです。
席は指定席ではなく早い者勝ちでしたから、みんな劇場に入ると良い席を確保しようと走ります。笑
「駅」懐かしいですね。高倉健さん、渋い!
「ビルマの竪琴」 中井貴一さん、若いです。
「化身」はかなり官能的な映画だった気がします。
ストーリーは全然覚えていないのですが、黒木瞳さんがものすごく瑞々しくて綺麗だったのだけが鮮明に脳裏に焼き付いています。
たしか黒木さんが宝塚を退団して、最初の映画デビュー作だったと記憶しています。
ストーリーを知らずに藤竜也さん推しの女友達と見に行って、見終わった後顔を見合わせましたね。
そしてこんなものまで出てきました。
映画の台本です。
高校生の頃は、三浦友和さんの大ファンでした。
この映画を見に行こうと何人かの友達を誘ったのですが、誰も首を縦に振ってくれず、しかたなく生まれて初めて一人で映画を見に行ったのが「聖職の碑」でした。
なぜ台本を持っているのか覚えていないのですが、映画のチケット購入の際のプレゼントか何かに応募して当たったのかもしれません。
台本の裏には、雑に映画館のはんこが押してありました。w
「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」
これはたしか上映時間が3時間位の、とても長い作品だったような気がします。
いわゆるギャング映画ですが、ロバート・デ・ニーロさんが渋くてかっこよかったですね。
その後、リチャード・ギアさんの大ファンに!
「愛と青春の旅立ち」などは3回も見に行きました!
もちろん「プリティ・ウーマン」も見ています。
「天国の日々」はもっと若い頃1978年の作品です。
「ブレスレス」は「愛と青春の旅立ち」の翌年(1983年)の作品ですが、「天国の日々」も「ブレスレス」も日本で公開されたのは「愛と青春の旅立ち」がヒットした後だったような気がします。
こちらは「COTTON CLUB」のパンフレット。
当時、映画を見たら必ずパンフレットを買っていました。
パンフレット集めが趣味のようなものだったのです。
当時集めたパンフレットもたくさん出てきました。
これは捨てません!
けっこう綺麗に残っていました。
老後はDVDでも見ながら、パンフレットを繰ってみたいですね。
1982年のオフコースのコンサートチケットも出てきました。
Overの写真集も出てきましたが、とてもきれいなままで嬉しかったです。
そうそう、あのころはリチャードクレイダーマンがめちゃくちゃ人気がありました。
ピアノの貴公子、などと呼ばれていたように記憶しています。
そして今はなき豊島園!
友達の会社が「木馬会」という法人会員になっていて、はっきりとは覚えていませんが、無料だったか格安だったかで、よく友だちに便乗して遊びに行きました。
初めてフライングカーペットに乗ったのは、豊島園でした。
めちゃくちゃ怖くて、悲鳴を上げて声がかすれたのを覚えています。
そして今では見ない、うすっぺいら紙の乗車券。
よくみてください! JRじゃありませんよ!
国鉄、です!(≧▽≦)
黒磯ってどこだっけ? と思って調べたら、栃木でした。
何しに行ったのか、全く覚えていませんw
日記も捨ててしまったので、マジで何しに行ったんだろう。
夏なので、テニス旅行かもしれません。
当時、若者といえばテニスでしたからねぇ。
大磯ロングビーチの半券も出てきました。
今では考えられない、こんがり日焼けしたお肌ですね。
この頃、母の会社で安いチケットをもらっては、車を出してもらい職場や学生時代の仲良しグループで毎年のように行っていました。
日記を整理するだけなのに、一緒に詰められていた思い出の品まで発掘してしまいました。
他にも教育実習の日誌や、生徒から送られた寄せ書きなどが出てきて、当時の必死だった2週間が蘇りました。
たしか1週間目が終わったところで、ほっとしたのか職員室で急に涙があふれてきて、周囲の友達や先生を驚かせたことを思い出しました。
送別会だったのか、先生たちと飲みに行って「先生も人間なんだな」と思ったことも。笑
当時の日誌を見ると、すごく一生懸命に授業計画を立てたり、教材を作ったりしたことが記録されていて、若くて夢と希望にあふれていたんだなぁと思いました。
振り返ると、あっという間の40年ですが、改めて若いっていいなぁと思いました。
いろんなことに情熱をもって生きていたはずなのに、いつ、どこで道を間違ったんだろうか……。
気づけば人生も終盤です。
あらためてもう日記は必要ないと感じました。
ただ、映画好きや書くことが好きなのは、ずっと変わってないんだなと思いました。
書くことでストレスを発散したり、胸に秘めた思いを吐露したり、そういうことで自分は救われてきたのだと感じました。
もう紙の日記を書くことはないと思いますが、もし今後何か書き残すとしたら、後にそれを読んだ家族が笑えるような、楽しいことだけを書き留めていきたいと思います。
日記と一緒に、手帳も全部処分することにしました。
何冊か、手帳の中に育児日記を書き留めていたものがあったので、それだけは残しておくことにしました。
育児日記の処分は、娘に任せることにします。
(「いらない」って言うのが目に浮かびますがw)
さて、大量の日記、かなりの嵩と重量で、そのままビニールに入れたら破れそうでした。
我が家にはシュレッダーがないので、地道に手で破って燃えるゴミに出そうと思います。
これまで私を支えてくれてありがとう。
さようなら。日記さん。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ここ数年、ずっと気になっていた日記を、ついに処分する気になれました。
これでいつ何があっても、安心です。
娘に若い頃の日記を見られるなんて、絶対嫌ですもの。
あとは紙の写真だけです。
写真はまだ捨てる勇気がありません。
でも、死後も葬式とか出すつもりはないので遺影も必要ありませんし、ましては若い頃の写真など何の役にも立たないですしね。
若い頃の写真を見て懐かしむ老後も想像できませんが、日記と同じで、ある日「もういらない」と踏ん切りがつく日が来るのかもしれません。
とりあえず体が動くうちに、少しずつ物を減らして、老後の生活空間を整えていこうと思います。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
私の夏休みも終わりました。
5連休後のたまった仕事が恐ろしいですが、明日からまた頑張ります。
みなさまにとっても、良い一日となりますように。
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