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ホームパーティーを抜け出した夜

部屋の中央には「HAPPY BIRTHDAY KYLE」と書かれたカラフルな横断幕が飾られていた。
色とりどりの紙吹雪がテーブルに撒き散らされ、派手な風船が壁に貼られたり照明からぶら下げられたりしている。

私はアイランド型の台所で同世代の女子達と集い、ワインを飲みながら談笑していた。

もう2時間も続いている女子達の恋愛話に少し飽きてきた私は、手で自分を仰ぎながら視線を外にやる。

私の位置からはいろんな人たちの様子がよく見える。
噂好きな親達が誰かの秘密を暴露している様子や、台所の冷蔵庫に向かう人々の絶えない往来、背景で点灯するテレビの光。その光景を見ていると段々と頭が痛くなってきた。男子達がパーティーゲームをしている最中の張り合う声が、ひどくうるさく聞こえる。

私は酔い醒ましに外の空気を吸おうと、水の入ったペットボトルを持って台所を離れた。カーペットのあちらこちらにポテトチップスやポップコーンのかけらが落ちていて、掃除が大変そうだと思った。

外に出ると、夏のぬるい夜風が頬を掠めた。
目の前には、真っ黒な空と紺色に光る芝生が広がっている。日本では考えられない、アメリカならではの庭の広さだ。私もいつかこんな家を持ちたい。

ふと花壇の方に目をやってみた。そこにはデッキチェアで酔いつぶれている人の影が見えた。
私は影へとゆっくりと近づき、その顔を覗き込んだ。

私と一緒に同じ家族の元でホームステイをしている、日本人の男の子だ。

「何してるの」

私は上から見下ろすようにして話しかける。

「びっくりした」彼はこちらを振り向き、少しかすれた声を出した。「ちょっと疲れたから休んでました」

「大丈夫?水あげる、飲みなよ」私は部屋から持ち出した水を渡して、彼の隣に腰掛けた。

彼はペットボトルを受け取ると、無言でごくごくと飲んで、「ありがとうございます」と言った。

どういたしまして、と言い、私は靴を脱いで裸足になった。素足に当たるひんやりとした芝生が心地よい。

「うわ、急にそんなことしないでくださいよ。服脱がれるかと思った」彼は私の足元を見ながら言う。

「ん?」私は笑いながらわざとTシャツを脱ぐそぶりを見せた。

彼が少しぎょっとしたので、嘘だよと言って、私は彼から少し離れるようにして座り直した。彼も椅子に座り直し、肘を膝につき背中を丸め、咳払いをした。

「そういえば昨日夜、ズボンのポケットから手紙が出て来たんですよ。授業中にポケットに入れたでしょう」彼はぎこちないような表情で言った。

「うん入れた。読んだ?」

「読みましたよ。やめてください、ああいうことするの。俺あの手紙読んで、少し好きになったんですよ」彼は下を向いたまま言った。

「あれくらいで好きになるかよ」

「本当なのに」彼はそわそわと手を組んだり解いたりして言った。彼が黙りこくってしまったので、私は話を続けた。

「そういえば、うちから学校に向かう途中にタトゥースタジオあるの分かる?」

私がそう言うと、彼は少し長く息を吐いた後、「ありますね」と答えた。

「留学した記念にさ、なんか彫らない?私タトゥー入れてみたかったんだよね」

すると彼は少し怪訝そうな顔をして言う。「本気ですか?派手すぎませんか」

「ええ、かっこいいじゃん」

「何彫るんですか」

「シンプルなのがいいな。自分にしか分からない場所に小さく彫るのってワクワクしない?でもちょっとゴツいのもいいなあ。the1975のマシューみたいに、体中に柄入れちゃおうかな」

「ええ、女子であれはキツいですよ」彼は苦笑いをした。

「だから何?私だってカッコいいタトゥー欲しいもん」

すると彼は呆れたように笑った。「そう言うと思った」

家の方から、ポテトチップスの入ったボウルがひっくり返る時の様々な音が聞こえた。私達は目を合わせて、やってるねえと笑い合った。

それから私達はいつものように音楽の話や映画の話をした。

彼とは趣味が合う。何度でも同じアーティストの話ができたし、その度に何度でも盛り上がることができる。彼と話していると、「この気持ちを人と分かち合いたい」という欲求を満たすことができた。こんな弟がいたらどんなに楽しかっただろう。正直で裏表のない会話をできる、身近な存在だ。

そんな彼とひとしきり趣味について語り尽くすと、彼は急に話題を変えた。

「俺、こうやって自然の中で時間を過ごすの、すごく好きなんですよね。」

「急にどうしたの」私は思わず彼の方を見る。

「今音楽の話をしててふと思いました。それに、自分と同じような考えを持った人に出会えると、こんなに嬉しいんですね。」そう言って彼は、街灯に照らされたオレンジ色の瞳でこちらを見た。綺麗な瞳だ。

「あと、一緒に食べたことのない食べ物に喜んで挑戦するのもワクワクするし、知らない文化や街について勉強するのも自己啓発になるし。日本を出ると、自分の知らなかった自分に出会えていいなって思いました」彼は話し続ける。

彼の言葉を聞いて、私と考え方がそっくりだと思った。きっと物の見方や捉え方や感じ方も似ているのだろう。私も、彼を見て気づいたことを話したくなった。

「すごい。私も全く同じ風に思うよ。私、君のことどう思ってるか言っていい?」

「どうぞ、言ってください」彼は少し身を乗り出して言った。

「君、偏見をあまり持たないし、好奇心が強いから、次はどこへ行って何をしようかと考えるのが好きでしょう。あと小うるさい人に我慢ができないから、人目を気にせずに新しいことに挑戦できるこの国が、楽しくてたまらないでしょ」

彼は目を丸く見開いて、すごい、確かに。と言った。私は言葉を続ける。

「この前一緒に学校に行く時、立ち止まって花の香りを嗅いでいたじゃない。それを見て、気長に行動する人だなと思った。それから観光に行ってもお土産をほとんど買わないよね。ものよりも経験を大切にする人だなって思った。この1ヶ月一緒に過ごした印象は、マイペースだけど、足取りが軽くて、今日を生きてるって感じ」

彼は口をぽかんと開けていた。そしてゆっくりと瞬きをし、私に向かってこう言った。

「あり得ないくらい当たってるけど、あり得ないくらいあなたとそっくりだなって、客観的に思いました」

「そう思う?」

「思います。話聞いてて思ったんですけど、そんなに俺のことが分かるなんて、きっと俺たち性格がそっくりなんだと思いますよ」

その言葉さえも、ついさっき私が思っていたこととおんなじだ。私は彼の目を見つめた。すると今度は彼が話を始める。

「授業で自己紹介ゲームみたいなのが始まると、いつも自分から人に声をかけていますよね。自発的で、愛想が良くて、リスクを厭わないなって見てました。と同時に、計画を練りすぎるのが苦手なだけなのかなとも思いましたけどね。内にこもるより外に出たいタイプでしょ」年下とは思えない洞察力と表現力だった。

「は?」私は顎を高く上げて言った。ぴしゃりと言い当てられたのが少し悔しい。「新しい経験ができるなら喜んで自分からやるでしょ。あと私インドア派だし」

「そうですか?放課後一緒に出かける時の顔、きらきらしてますよ」彼はニヤニヤしながらこちらを見る。

「なんかさっきから急によく喋るなあ」私は彼の肩を叩いた。彼は大げさによろめいてみせた。

「小難しい話はやめようよ。頭使って疲れちゃう。芝生に寝っ転がっちゃお」
私はそう言って立ち上がり、芝生に身を投げる。すると彼も私に続いて隣に寝転んだ。

「今、絵に描いたような青春してますねえ」柔らかい表情で彼はそう言って、足首辺りで足を軽く組んだ。

「ほんと、こんな格好、青春映画みたい」私は頭の後ろで指を組む。

「日本に帰るまでの間に、一本撮ります?」

「君となら一本と言わず何本でも撮れそうだね」

私はそう言いながら、穏やかな充足感と、胸に温かいものが溢れる感覚に満ちていた。
芝生が全身を受け止め、手足の感覚がなくなり、重荷が消えたような軽い気持ちが、心地よい。

私は少しの間、過去に没頭した。
ここへ来る直前に別れた恋人のことを思い出した。
あの時別れていなければ。ひょっとしたら違う人生を歩んでいたかもしれない自分を思い浮かべた。
思い通りに人生は進まなかったが、結果的には楽になったと思う。
今の自分を省みると、人生これで良かったし有意義だったはずだ。

ふと彼に目をやると、彼は物静かになっており、遥か彼方を見ているような眼差しをしていた。

無意識に彼の手を取りそうになったが、我に返りさっと手を引っ込めた。
私はもう一度彼の方を見る。

彼の弱々しく、物思いに沈んだ表情に、思わず釘付けになった。



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