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【社史】リサーチ会社の奇妙な35年の歴史を振り返ってみた

こんにちは。フォーミュレーションnote編集部の今野です。

初めて会う人に「どんな会社で働いているの?」と聞かれた時、「テレビのリサーチ会社です」と説明するのですが、あまりピンときていないような表情をされることがよくあります。

「テレビのリサーチ会社」ってなかなか聞きなれない言葉ですよね。
私もフォーミュレーションに入社するまでは、そもそもそんな会社が存在することも知りませんでした。
ですが、会社のHPを見てみると・・・

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設立は「1986年10月9日」とのこと。30年以上も前に存在していたとは! 意外と歴史のある会社なのかも。

そこでこの度、実は社員もよく知らないフォーミュレーション社の歴史を探るべく、ひとり社史編纂委員会を勝手に発足!

お話をうかがったのは、会社の創業者の妹にあたる井出明美さんと創業当時からフォーミュレーションを支えてきた清水香里さん。おふたりは総務部のメンバーで社内の色々なことを気にかけてくださる、フォーミュレーションのお母さんみたいな存在です。


① 創業時は英会話教室だった

はじまりは1986年10月のこと。大学生の時にアメリカ留学から帰国した創業者が渋谷・道玄坂に英会話教室を開校しました。その名も「246インターナショナル」。246とは教室の近くにあった通りの名前だそう。外国人の先生数人と、英会話の他に翻訳業務なども行っていました。英会話教室の傍ら、人とのつながりから放送作家の仕事を請け負ったりもしていたそうです。


②リサーチ会社になったワケ

英会話教室として始まった会社がどうしてリサーチ会社になったのか?
そこには意外な理由がありました。

1992年頃、TBSで放送が開始された「上岡龍太郎VS 50人」。この番組は、テーマに沿った50人と司会の上岡龍太郎さんを中心とする出演者たちがトークを繰り広げていくというもの。テーマは毎回異なり、「極道の妻」「霊能者」「若ハゲの人」「探偵」・・・など、結構せめた内容でした。

番組を制作するにあたり、当時の番組スタッフは「出演してくれる50人をどうやって集めるか」に頭を悩ませます。
そんな時に見つけたのが電通リサーチという会社。「リサーチ」の文字から「なんかやってくれそう!」という理由で声をかけたそうですが、電通リサーチはマーケティングの調査会社でテレビのリサーチとは分野が違う・・・。そこで、当時の電通リサーチの部長(弊社顧問)は、知り合いのツテをたどって放送作家業もしていた弊社の創業者と出会い、創業者が番組のリサーチを担当することになりました。

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※電通リサーチがあった建物

そう、まさにこの顧問との出会いが、フォーミュレーションがテレビのリサーチ専門会社へとシフトするきっかけになったんですね。

ちょうどこの頃に社名が「フォーミュレーション(Formulation)」へと変更されました。
社名は、「プランニングして実践して形にする」という意味を持つformulateの名詞形・formulation。「企画だけでなく実践する」という意味を込めて名づけられたそうです。

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③【裏話】素人50人の探し方

社史の本筋とはずれますが、30年前のリサーチ、しかも素人を50人も集めるって、いったいどうやって探していたのでしょうか?

例えば「看護師」を50人集める場合。まずは病院にFAXを送り、番組に協力してくださる看護師の方に声かけをします。お返事をいただいた方に電話で詳細を説明し、出演OKの方にはアンケートに回答してもらっていました。
このアンケートは番組で話せるエピソードを聞き出すもの。「風呂場の椅子がお尻にくっついたまま全裸で運ばれてきたおじいさんがいた」などの衝撃エピソードを書いてもらい、50人から集めた分厚いアンケート用紙をパソコンやワープロで打ち込み、番組の資料にしていました。
出演OKの人がひとりいたら知り合いに声をかけてもらい、毎回50人(+当日ドタキャンのための予備5人)をなんとか集めていたそうです。

当時、番組に携わっていたリサーチ会社は3社あり、番組のネタ会議に参加してリサーチャーが50人のテーマを提案していました。どのリサーチ会社がどのネタをやりたいか、挙手制で決めていたのだそう。「葬儀屋」「探偵」「国際結婚」「Mr.レディー」などの50人を1か月かけて集めていました。
「若ハゲの人」を50人集めた時は、インターネットも普及していなかった時代だったので、地道に街中を歩く人に声をかけていたのだとか。

当時は3人程度しかいなかったスタッフが交代制でリサーチを担当し、素人の方への出演交渉、収録当日の招集管理も行っていたそうです。

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※担当していた番組のテレフォンカード


「上岡龍太郎VS 50人」以外にリサーチが記憶に残っている番組としては、アントニオ猪木が1000人ビンタしていくという日本テレビで放送されたお正月の特番。学生1000人を集めて、猪木さんに片っ端からビンタされていく、という企画があったとのこと。(時代を感じます・・・笑)
その他、鉄棒に何時間ぶら下がっていられるかを競う番組で長時間ぶら下がれる人を探したり、太った女性50人くらいが全員違うダイエット法で毎週体重をはかり、誰が一番減っているかを発表する、フジテレビの「恐怖の体重計」の出演者を探したりと、おもしろい企画がたくさんあったようです。

また、ある番組で「東京に出稼ぎに来たりんご農家のお父さんと、青森の家族を中継でつなぎたい」という企画が立ち上がった際は、実際に青森の五所川原まで行ってりんご農家を一軒一軒まわって探したことも!
青森まで実地調査に行ってしまうとは・・・今だったらSNSで探す方法もありますが、昔はリサーチがとても大変だったことを実感します。


④総合リサーチ会社として成長

さて、この「50人の素人探し」から始まったリサーチ業ですが、次第にフォーミュレーションは「素人探しが得意なリサーチ会社」としてテレビ業界で知られていくようになりました。
1990年代後半から関わるテレビ局もTBSのみならず全局に広まり、日本テレビ「特命リサーチ200X」「伊東家の食卓」「恋のから騒ぎ」、テレビ東京「ASAYAN」「愛ラブSMAP!」、フジテレビ「サタ★スマ」など、数々の人気番組のリサーチ業務を担当していくことになります。

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※「サタ★スマ」グッズ

2000年代に入ると次第に「素人探し」だけでなく、番組に必要な情報を集める「情報リサーチ」、元々英会話教室だった名残りから英語が使えるスタッフが在籍していたため、「海外の情報リサーチ」の発注も増え、総合的なリサーチ会社へと成長していきました。

はじめは電通リサーチ社内の電話を1、2台借りてスタートしたフォーミュレーションも2000年頃からスタッフが増え始め、オフィスを4、5回移転して現在の渋谷区東のビルに移ったのが、今から約20年前のことです。

現在では60名近くのスタッフが10階のオフィスに集結して日々リサーチに明け暮れています。

キャプチャあああ


⑤社長交代とこれから

2010年、フジテレビで「HEY! HEY! HEY!」などの番組を担当してきたプロデューサー・清水さんを社長に迎えます。

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※清水社長がオフィスに掲げた社訓

清水社長は「会社に新しい風を吹かせる」と、グループ会社を次々に設立。
ADを番組に派遣する「フォーミュレーションI.T.S.」、放送作家集団のWrite Clip(ライトクリップ)」、テレビ広告を中心としたプランニングを行うMR」、働き方のプラットフォームを目指すJD」などグループ会社ができたことで、フォーミュショングループ全体で約350名までスタッフが増えました。

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清水社長は「名前と顔を覚えられる範囲の人数でやっていく」がモットー。フォーミュレーション社はサイズは変えず、時代の波にフレキシブルに対応しながら成長を続けていくことを目指しているんだそうです。

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思いもかけないきっかけでリサーチ会社に転身したフォーミュレーションも今年で36年目を迎えるとのこと。
これからもテレビ業界のみならず、リサーチを必要とする方々のお役に立てる仕事をしていきたいと思います。


(おまけ)

会社の昔の写真をさかのぼっていたら、なんと、あのくまモンがフォーミュレーションを訪問している写真を発見!! 会いたかったな~

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