「敵を作らないようにする」は心の中の話だったのかも
敵はいないことにこしたことはない。だから苦手だったり嫌いな人にも、表面的にイヤな顔をせずにお付き合いしたりしますよね、それが大人と思ってました。
でも実際そう思いながら対応してしまう自分に自己嫌悪したりしてました。
でもでももしかして「敵を作るな」というのは、心の話だったんじゃないかと。
自分の中に、好きじゃない部分、要らない自分の要素とか、人には見せられないけどひどい悪態部分の自分とか、はなから可能性を潰すような否定的で逃げ腰の自分とか、見せたくない自分がたくさんいます。今もいます。
でも、今ラクなのは、そういう自分の要素を「いけない自分」「嫌いな自分」というカテゴリーで、捨てるように処分品扱いしなくなったこと。もっというと「誰かを嫌いな自分」もすべて自己嫌悪の対象ではなく、オールOKにできてること。そういう自分がすべてじゃないことも知っているし。
「敵(処分品の自分)」として意識していると、「他人に見せても大丈夫な自分」との葛藤や対立が一生続く(^^;
だから、回りに同じようなことをしている人に拒否反応していたのかー。その人は、その人の信念に添ってただ生きているだけなのに、私には嫌いな要素としてクッキリ映像化されて見えてしまっていた。ここでも自分の心の中で起きていたことが現実にも表面化している例があった(^^;
現実だけに反映させようとするからムリが出る。内側にあることを外側には隠そうとすることで矛盾が生じ、葛藤し、自己嫌悪だったり無限ループだったわけか。
外側にオープンにするということではなくて(したいならしてもOKですが)、内側にあるものをすべて認めると、「嫌い、消えてほしい、隠さなければいけない」から自由になるので、内側も外側も「あって大丈夫」で一致します。そうすると、回りの人にもOKな人が増えるから、人生にイラっとすることが減る気がします。でも上書き更新してくる人は必ず現れたりしますが(^^;
過去と一致し、なんかまた理解が深まった。
自分が心地よくいるために、敵を作らないように心掛けたい。それは、どんな自分も嫌わず、理解してあげることで叶う。それが子供にはちょっと複雑だけど、人生経験豊富な大人ができる本来の姿勢なのかもしれないなー
みなさんのそれぞれの道を応援しています✨