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【出版の裏側】編集者に向いてる人・向いてない人

フォレスト出版編集部の寺崎です。

今日は土曜日の記事の続きです。

土曜日の記事はこちら↓

いま、なぜこうした先輩編集者の著書を読み返しているかというと、すでに在籍している編集職を志望する学生インターンを皮切りに、今月から未経験者採用での新人が入社するという事態となり、書籍編集者という仕事を俯瞰して眺め、後輩に伝えるべきポイントを整理しているところだったからです。

そこで私が選んだ教科書が、駆け出しの当時に影響を受けた本である『編集とはどのような仕事なのか』(鷲尾賢也・著)でした。

ところで、もしかしたらもっとも影響を受けたのが、じつは安原顕さん(通称ヤスケン・自称スーパーエディター)だったかもしれないのですが、実際に読んだ本が手元に残っていませんでした(図書館で借りて読んだのか?)。

ヤスケンの教えでいまでも覚えているのは「編集者は淫するものがなければならない。その淫するものに月給のすべてを注げ」でした。「淫するもの」という表現に当時20代だった自分はプルっと震えたのと同時に、ホントにヤスケンの教え通り、1円も貯金せずに当時淫していたものに給料を全額注ぎ込んだものですが、いま思えばそれがよかったのかどうか。おそらく仕事する上での血肉になっているので、その教えは間違っていなかったと思います。

いや、なにがなんでもそう思いたいです。笑

脱線しました。『編集者とはどのような仕事なのか』です。

前回の続きをみてみましょう。

無から有を生み出す仕事

 編集者の機能という面から、もう一度おさらいしてみよう。いうまでもなく、まず編集者はプランナーでなければならない。無から有を生み出す発案者である。プランがなければなにもおこらない。それはいうまでもないことだ。アイディアしだいでベストセラーもロングセラーも、あるいは名著も可能なのである。その誕生に立ち会える特権を編集者はもっている。この業界では柳の下にはドジョウは三匹いるといわれる。あとで詳しく述べるが、誤解を恐れずにいえば、編集者は真似も恐れてはならない。もちろんパクり(剽窃)はいけない。しかし、アイディアというものは、真似をしながら変形させることによって新しくなるものではないか。
 加藤秀俊『整理学』(中公新書)から三十年後、野口悠紀雄『「超」整理術』が、同じ中公新書で刊行される。このような大ヒットは、編集の醍醐味といわずして何というべきか。あるいは、筑摩書房を蘇生させたという臼井吉見企画の「現代日本文学全集」は、戦前、円本ブームをまきおこした改造社版「現代日本文学全集」の継承であっただろう。つまり私たちの発想の源は過去の歴史にあるのである。まったく新しいことはおそらく2、3%もないだろう。テーマが同じでも執筆者が異なれば、まったく別な企画になる。編集者はそのような人材を、どこからか発掘してこなければならない。そのようなカン、ひらめきはプランナーの条件でもあるだろう。

鷲尾賢也『編集とはどのような仕事なのか』(トランスビュー)より

評論家・社会学者である加藤秀俊氏が『整理学』を出版したのが1963年。これを継承した形で『「超」整理術』が約30年後にミリオンセラーとなります。

こうした事例は枚挙に暇がなく、昨年、ビジネス書としては快挙であるミリオンセラーとなった永松茂久『人は話し方が9割』(すばる舎)ですが、これにも元ネタがあります。

2006年に大ベストセラーとなった福田健『人は「話し方」で9割変わる』(商業界)という新書です。

『人は話し方が9割』
『人は「話し方」で9割変わる』

「タイトルほとんど同じじゃん!」と思うかもしれませんが、そこはそれぞれがオリジネーター。『編集とはどのような仕事なのか』の引用箇所に「テーマが同じでも執筆者が異なれば、まったく別な企画になる」とあるべく、タイトルが似通っていても、そこはパクりではなく、過去の作品へのリスペクトとみるべきです。新書と単行本という決定的なパッケージの違いも明確です。

しかも、『人は「話し方」で9割変わる』を当時売りまくった営業マンが『人は話し方が9割』の企画段階からキーマンとして関わっていたというのは、ビジネス書業界では周知の事実だったりします。

編集者に求められる「人たらし」の要素

 優れたアイディアマンでありながら、なかなかいい本ができない編集者がいる。入学試験での偏差値も高く、学識もゆたかである。しかし編集者としては多くを生産できないタイプもいる。大事なことは、原稿を書くのは著者であるということだ。編集者はパーキンズがいうとおり、サポート役でしかない。そこを、学力優秀、学識豊富な人間はまちがってしまう。つまりは、著者が気持ちよく仕事ができないという結果になる。これが、編集者がある面では「人たらし」でなければならない理由なのである。依頼を気持ちよく引き受けてもらい、スムーズに脱稿までこぎつける。これは偏差値の問題ではない。
 編集者は一方で、雑用の管理者という側面を持っている。すべてのことが同時進行になることが多い。企画を考えながら、ゲラを印刷所に返す。装丁家に依頼もしなければならない。営業との打ち合わせも入る。こんなことは日常茶飯事である。どのようにしてリズミカルにいろいろな局面に対応できるか。これも編集者の大事な能力だろう。聖徳太子とまではいかないが、口、手、足、顔をマルチに使えるのが、一流のエディターなのではないか。フットワークのよさは特に大事である。
 先に「人たらし」といった。やや品がない表現かもしれない。しかし、編集者にはコーディネーターという役割が不可欠である。人と人を繋げていく。結び付けてゆく。そこに新しい可能性を見出していくのである。だから人たらしでないといけない。この編集者がいうのだから、ちょっと会ってみよう。そこからいろいろな関係が生まれることも多い。テレビ業界の人間に書店を紹介する。そのことによって、もちろん仕事が即成立するわけではない。ただ、なにかしらの刺激を双方は受けるだろう。その結果、プランがそこから生まれるかもしれない。原稿を書ける人が出てくるかもしれない。ネットワークが幾重にもなれば。取材先も豊かになるだろう。
 私たちの仕事の源は人間なのである。それ以外に資源も素材も、なにもない。つまり優れた人間を見つけるか、育てるかしか方法はないのである。しかし、一人の能力には限りがある。むかしから三人寄れば文殊の知恵という。つまりコーディネーターとは、その古くて新しいことわざの現代版なのである。
(中略)
 そして最後に、仕事をおもしろがりながら、どこか世の中のためになりたいといった志が、根底にあってほしい。こういうことをまともにいうのは照れくさいし、恥ずかしい。「まあ仕事ですから」とか、「給料をもらっているのだから」とか、「べつにそれほどのことでは」と軽く流すタイプも多いだろう。逆に、みずからの仕事をとくとくと語り、志の在りかを表明する編集者もいないことはない。しかし、私はあまり好きではない。優れた編集者は、できあがった刊行物で語るべきだと思うからである。

鷲尾賢也『編集とはどのような仕事なのか』(トランスビュー)より

「私たちの仕事の源は人間なのである。それ以外に資源も素材も、なにもない。つまり優れた人間を見つけるか、育てるかしか方法はないのである」

この2行もめちゃくちゃ優れたパンチラインですね。

「編集者は人たらしたるべし」という点も非常によくわかります。私自身も日々精進です。駆け出しの当時は知識やスキルを磨くことばかり専念していたのですが、編プロ時代に付き合いのあった某文芸版元出身のうんと年上の先輩編集者を眺めていたときに思ったことがありました。

「(編集者としてうまくいくには)人に信頼される人間性を磨いたほうが、遠回りのように見えて、かえって近道では」と。

これは編集者に限った話じゃないのかもしれません。

ただ、人間性というのはなかなか言語化できない。

「【出版の舞台裏】編集者に向いてる人、向いてない人」というお題の結論としては、いわくいいがたいものになってしまいましたが、深い考察はまた改めてということで。(続く)

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