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芥川賞「荒地の家族」佐藤厚志氏(新潮社)を読んで…景色&思考

「厄災」は喜怒哀楽ではわりきれない、多様で複雑な感情を、個人にも、公共にも生んできました。
(民俗学者 畑中章宏)

類語
・大災厄
・厄災
・大厄災
・大難
・凶事
・災い
・災厄
・災禍


作家(佐藤氏)は「東日本大地震」をあえて災厄と言う。津波も「海が膨れる」「舐める」しか表現しない(心象) 出来ない!



震災直後、テレビで大写しにされた津波をたとえた表現が聞き苦しかった。

そのアナウンサーを東北在住の著名な作家が、非難したのを傷む気持ちが覚えている。

まるで部外者。 


被災者の心は想像以上に繊細です。無神経な言葉でさらに傷付く。


阪神・淡路大震災(1995)から28年。震災は起こった季節や時間帯で内容も大きく変わる。時に被害は増大し、命も落として仕舞う。



阪神・淡路は朝の夜明け前で、家族と一緒に居ても即死(圧死)が多かった。


東北の海沿いの震災はお昼前で家族は仕事場と学校に別々に居た。アレは金曜日でした。

土曜日だったら不憫な小学生達は家に居て家族と一緒だったに違い。

年数が経っても、家族や友達は今頃元気だったらとずっと考えてしまう… それが家族です。


何が言いたいのか…

作家はロスジェネ世代と言われている世代に該当し高度成長期世代のジュニアに当たる。就職氷河期でもあった。

・酒鬼薔薇聖徒(神戸バラバラ殺人犯)
・バスジャック犯
・秋葉原無差別殺人犯
・PC遠隔操作犯

人生に期待することもなくだからと言って、不満がある訳でもなく、どこか怖いほど冷静でもある。

高度成長期の親を見て育ち、親と同じ暮らしが出来ると大人になり、失望もした…と想像する。


コレらの事件が報道された時、説明のできない涙が溢れた。

彼らも精一杯生きているけど…けど…社会は簡単に受け入れてくれなかった。

「またっ!」とゾッとするその度に起こった感情があった。(喜怒哀楽に表現できない)


丁度同世代の方が、芥川賞を受賞した。心が晴れる。

本当は語りたくないはずの厄災です。風化させないで語り続ける事が出来きる。


割り切れない感情が、しばらく住んでいた、戻らない東北の風景と共に心に沈む。

まるで死ぬ順番を待ちながら生きている…やっと40に達したばかりにして景色は老人のようで…す。


何方も家族の病気や死には直面します。コレは予期したり諦めたりしますが厄災は平等ではない。

東日本大地震は地震・津波・原発事故と幾重にも厄災が重なってしまった。

日本は3桁経っても元に戻らないのです。

多くの日本人は忘れようしますが、いつも自分に聞かせながら生きています。


比較的近県に住み、いまだに山菜・キノコ・薪の灰の放射線量(定点計測)を測っています。

生きていても、汚染されて住めなくなった家族バラバラになった
家族

災厄をあげると人の数だけあります。
精神を病んでいる方も多くいます。


作家も繰り返し、繰り返し津波のように自己承認をして生きている。


しかしながら、この度のコロナ禍の災厄は世界中のどの国の人々にも平等に降りかかっている。

世界を旅しながら「fukushima」に住んでいると言うのは恥ずかしい」作家と同世代の知人が話していた。(安直に原発を受け入れた県だから…)


コロナは平等です。先のアナウンサーのように人事(ひとごと)ではない。


願わくば、これから折り返し点のこの世代の方々に安寧で希望の持てる社会(国)になって欲しいと切に祈ります。

文中、セイタカアワダチソウ・アレチマツヨイグサ・オオバコ…

植物や樹木の一つ一つの名を告げながら、しっかり見つめる優しさが救いです。まだ大丈夫と…


#読書感想文
#芥川賞

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