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そろそろAIの次を考えようよ

ご存知の通りAIが盛り上がっています。
人工知能は日々進化し、シンギュラリティもどんどん近づいて来る。

じゃあAIが進化して、人が何もしなくても良い時代が来た時に、
僕らは何をするのか?

AIの波は僕らを飲み込んでいく。

そこで、AIのひと波が過ぎ去ったあと(AIが社会に浸透しきった世界)で重要になるのは、アートと哲学、そして、スポーツやアウトドア、レジャー、エンターテイメント、だと思う。

キーワードは「身体感覚や感性の拡張」

僕は中学高校と剣道をやっていた。始めた頃は何もわからなかったが、稽古を重ねていくうちに相手の気というか見えないものが見える感覚になった気がする。

芸大受験でデッサンを勉強し始めた時は、ミロのヴィーナスの石膏像は全部真っ白と思っていたのだが、何度も何度も描いていくと、何十何百もの様々な色や質感があり、微妙な変化や色味の差異に気がづくようになっていた。

数値化できない感情、言葉にできない感動、あらゆる身体感覚、美しいもの・いままで見たことないものを目にした時の衝撃、発見、新しい気づき。「心踊る」とも表現できるこれらの感覚は、磨けば磨くほど研ぎ澄まされる。これを味わえた時の感動は、何にも代え難いものだ。

現代人は、身体感覚、美的感覚、あらゆる感覚が鈍っているのではないかと思う。「お腹が空く」という感覚を忘れている人もいるのでは?

ある猟師の方は、こんなことを言っていた。子供は身体感覚が鈍っていないから、体全体を使って急な崖を登ることができる。都会で身体感覚を十分に使わず暮らしていると、そういう感覚は次第に鈍っていくから、登れなくなってしまう。

昔の人たちは自然が生活に直結していたから、植物や動物の匂いとか、気温とか、天候とか、環境を把握する身体感覚は現代人よりも優れていたかもしれない。

アート、哲学によって、知覚は洗練され、さらに拡張される。
スポーツやアウトドア、レジャーによって、あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、
エンターテイメントによって、あらゆる感性が刺激される。

未来ではこういった感覚を研ぎ澄まし、拡張していくことになるのではないかと思う。

それとも、身体感覚(肉体)を捨てるという選択も、受け入れられてしまうのだろうか。

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