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「叱る」には効果がない!?〈叱る依存〉が止まらない学校現場

え?!「叱る」には、効果がない!??


ある本を読んで衝撃が走った。
と共に、これまでの教師人生を猛省した。

「叱る」ことがなぜ効果がないのか
にもかかわらず、なぜ人は叱ってしまうのか


『〈叱る依存〉が止まらない』(竹中直人著)には、このことについて心理学、脳科学の視点からわかりやすく書かれていた。

親や教師はもちろん、誰かを叱った経験がある人にはぜひ読んでもらいたい。

〈叱る依存〉が止まらない学校現場

「怒ると叱るをきちんと区別することが必要」

「苦しまないと人は変われない(学ばない、成長しない)」

学校現場にいると、こう信じて指導をしていたり、そう先輩から教わったという人も多いはず。

しかし、そんな人は要注意!
〈叱る依存〉に陥っているかも知れない。

もう、読めば読むほどドキッとする内容ばかり。

タイムマシーンがあったら、過去の自分に「今すぐこれ読んで!」と伝えたい。

そんな一冊だった。

この『〈叱る依存〉がとまらない』を読んだ感想と心に残ったポイントを、学校現場の視点で書いていこうと思う。

🔶「叱る」には効果がないってホント?

🔸「叱る」も「怒る」も生徒にとっては同じこと

初任の時に、先輩の先生から「感情的に怒るんじゃなく、生徒のためを思って叱らないといけないよ。」と言われていた。

同じように言われたことがある人も多いのではないだろうか。

私もそう信じて、これまで問題行動をした生徒には、時に厳しく叱ってきた。

しかし、この本によると「叱る」も「怒る」も区別する必要のない同じことで、しかも効果がないことだという。

正に晴天の霹靂!これまでの教師人生を根底から覆された気持ちだった。

「叱る」の定義
言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為

著者は、「叱る」をこう定義づけている。

「叱る」ことは、叱る側の理由はどうあれ、ネガティブな感情を相手に与える行為である。

ということは、叱られる側からすると、怒られようが叱られようが、強いネガティブな感情が生じる点で違いがない。

これが「怒ると叱るをきちんと区別することが必要」は、意味がない理由である。

叱る側(教師)からしたら、

『自分の感情に圧倒され「怒りに任せて」言ったのではなく、
「相手(生徒)のためを思って」冷静な気持ちで言ったんだ。』

と、なるだろう。

しかし、叱られる側(生徒)からしたら、

いくら教師が冷静な気持ちで「なぜこんなことをしたんだ!!ダメだろう!!」と言っていたとしても、

結果は同じことである。

ネガティブな感情で発せられた言葉に「自分のためを思って言ってくれた」と感謝することはない

どおりで、生徒が家に帰って親に言う第一声が「今日先生に怒られた!!」になるはずだ。
納得である。

🔸「叱る」には効果がない理由

「叱る」は、ネガティブな感情を与える行為であり、人の学びや成長を促進する力がないのに、なぜ「効果がある」と誤解されるのか。

その最大の要因は、ネガティブ感情への反応には速攻性があるからである。

生徒に厳しく叱った方が、優しく諭すより速効性があり、効果があるように見えてしまうのだ。

しかし、この速効性はただの見せかけなのである。

生徒の立場でこの「叱る」を考えてみる。

厳しく教師に叱られた時、生徒はそのネガティブな感情から「逃げたい」という状態になる。

逃げる手段としては、
①手っ取り早く、言われた行動をする
②申し訳なさそうに
「ごめんなさい。もうしません。」と言う。
のどちらかになるだろう。

どちらかの行動を生徒がとると、教師は、望んだ結果がすぐに得られたと感じてしまう。

しかし、生徒のこの行動は単なる「苦痛からの回避」にすぎない。

全く学びになっていないのである。

ここで子どもが学習するのは、「本来どうすればよかったのか」ではなく、「叱られたときに、どうしたらよいのか」というその場しのぎの対処法だけ。


確かにその通りだー!!と首がもげそうになるほど頷きたくなった。

「あんなに厳しく指導して反省してたのに、また同じことしてる!」

「俺の前ではちゃんとするのに、別の先生の前では全然言うこと聞かない!」

と先生方が職員室で話しているのは、正にコレ!!!

根本的に、生徒は何も変わっていなかったのだ。

🔷学校現場に蔓延する【叱る依存】

人はなぜ、〈叱る依存〉に陥ってしまうのか。

そこには叱る側が得られる2つのご褒美があるらしい。

🔹誰かを叱ることで、「自己効力感」を得る

誰かを叱ることで、叱る側は
「自分の行動には影響力がある」
「自分が行動することで、何かよいことが起きる」
という心地よい感覚(自己効力感)が得られる。

生徒を叱ることで、生徒が言うことを聞き、

自分が気持ちよくなってしまうのだ。

職員室で、「今日◯◯を厳しく指導したったわ!」と自慢げに話している先生!もしかしたら叱る依存に陥っているかも?!

🔹処罰感情の充足というごほうび

もう一つのご褒美が「処罰感情の充足」である。

「相手が悪い」と思っている限り、人は「もっと叱りたい」という欲求を感じるようになる。

「叱られて当然の理由がある」「叱られるようなことをしたから叱っている」だから相手に罰を与えなくては、と叱る側は思ってしまう。

そんな欲求が人間には備わってしまっているのだ。

SNSの炎上や有名人へのバッシングなんかは、正にコレだ!
『処罰感情を充足させてくれる現代版コロッセオ』と著者が表現していたが、とても秀逸な表現でうなずける。

私自身も、生徒を指導する際、
「自分が悪いことをしたんだとちょっとは苦しむべきだ!」
と、何とか反省させたいあまりに必要以上に厳しくしてしまっていたのではないか、と反省がよぎる。

これからは、処罰欲求によって生徒を叱ってしまっていないか、常に自問自答していきたい。

🔹叱らないと叱られる

「叱らないと叱られる」から叱る

このことも〈叱る依存〉が学校に蔓延している大きな理由になっていると思う。

例えば、整列している時にしゃべっている生徒がいると、見せしめのように大声で注意する。

そうしないと他の先生から「ちゃんと指導して!」と叱られてしまうから。

そんな負のスパイルも学校現場では頻発しているような気がする。

私も、電車で娘が靴を履いたまま座席に上ると、

他の乗客の目線が気になって

《ちゃんと叱っている母親》をアピールするために娘を注意している。

【叱られるから叱る】

これも根が深そうである。

叱る依存からの脱却

叱ることは速効性があり、効果があるように見える。

特に部活動でその傾向が多く見られる。

強豪のチームの監督がとても厳しく指導しているケースである。

しかし、厳しくして伸びたと思っても、本人に考える力が育っていない。

だから顧問が替わればたちまち弱小チームになってしまう。

そういう場所で育った生徒たちは、社会に出てから苦労する。

罰では人は変わらない。

このことを我々教師は肝に銘じておかなければならない。

人が本心から変わろうと思えるためには

自分を受け入れてくれる「仲間」

いろいろな意味でのゆとりが必要である。

本当にその場面で【叱る】行為が必要なのかを見極め、

生徒が自ら変わりたいと思える温かい土壌を創ることに専念していきたい。

最後に

とはいえ、親だって教師だって人間。
怒りたくなる日も叱りたくなる時だってある。

私も、この本を読んで
「ふむふむ。叱るって効果がないのね。」と思った翌日、

やっと寝かしつけた0歳の息子の耳元で、2歳娘がわざと大声を張り上げた時には、

「なんでそんなことするのー!!?」と思わず声を張り上げていた。

人間そんなもんだ。

でも、頭に「あ、叱っても効果ないんだった。怒ってもこっちが満足するだけなんだよな。」とすぐ冷静になることができた。

このことを知っているのと知らないのでは、大違いである。

この本を読んでから「叱る・怒る」回数は格段に減った。

学校現場に復帰することになった時も、この本のことを思い出しこちら側の自己満足にならないように気をつけたい。


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