私たちが【お客様になれている】理由
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これは僕自身が飲食業界を長年経験しているし、飲食業界は基本的にお客様が商品にお金を落とさないと始まらないことが前提だから思う記事なのかもしれません。
それは外食産業に限らずビジネスと言うものは全てそうなのかもしれないけれども、
私たち飲食業界で働く側はいつも【お客様から物語がスタートしている】と錯覚しがちです。
厳密に言うと錯覚ではなく半分正解なのですが、私たちはその半分の正解が全体の正解だと勘違いしていることが往々にしてあります。
しかし今回のSioの特別レストランを経験してわかったことが1つあります。
客は料理人によって作られれていると言うことです。
お客様あっての料理人とよく言いますが、逆も然りで料理人あってのお客様だとも思えるようになりました。
これは私が料理人で、料理人の方を持ち料理人の地位をこうした記事から無理矢理あげようと思う気持ちに由来してるものではありません。
新型コロナウィルスの蔓延により飲食店が一斉に休業状態に入り、私たちの生活の非日常がどれほどレストランによって作られていたものなのかも今回で体験できた気がします。
以前から書いていたと思いますが、料理人は給料が低いです。
それはオーナー側が料理人に多く給料払わずに使い倒していると言うことではなく、薄利多売のビジネスモデルの中で人件費と言うものはどうしてもその程度になってしまうというのが正直なところです。
私も修行中の身の時では自分の手取りも少なかったし、それにより自宅で食材を購入し練習に励むと言う事はなかなか難しかったです。
練習ができたとしても、結局給与から使える額と言う縛りが設けられるので、練習量は可能ですが練習レベルは食材に手が出せない分頭打ちが来ます。
そうなると今の状態になれたことはお客様がレストランに来てくれたその売り上げで自分も食材を発注でき、その食材に触れることが多くなることに起因しています。
(はっきり言って僕の料理技術なんてカスですが、、)
こうやって店からも【料理人が存在できるのはお客様あっての事】と言う教えは、上にあげたメカニズムでは充分理解できますし、
もしそのように教えられなかったとしても自分でそう思っていたかと思います。
しかしながら今回の特別メニューを通して料理の本質は(料理を作って楽しさや感動提供する仕事)であることを再認識しました。
同じ料理人である僕がそのレベルに立てているのかどうか分かりませんが、少なくともあの場で働いていたスタッフの皆様はその位置にいました。
料理を通じて幸せや驚き、感動を与える料理人がいるということは、その逆に与えてもらっているものもいるとゆうことです。
それは多くの人も料理人もないがしろにしている(客になることができている)と言うことです。
お客様は神様と言う言葉が古くなってもかなりの時間が経ちますが、やはりお金を払う側ともらう側の立場の差は大きく残っていると思います。
食事の時間に対しての等価交換である紙幣での支払いは理論上では等しく思いますが、
お金を払う方が上で払ってもらう方が下と言う概念がまだまだ残っている日本で、今回の気づきは僕の中でとても大きな発見でした。
料理人は驚きや感動の与え方でその概念さえ覆すことができます。
お客様が来てくれることで幸せになれる人もいれば、お客様になれることで幸せになる場合もあります。
多くの星付きレストランはその料理の構成や隠されたポリシーなどたくさんのところでお客様のお金以上の付加価値を提供しています。
以前記事にも書きましたが付加価値はまずそのものの価値を作らないと光り輝かないし、うまいことシステムとして作用しません。
しかしながらしっかりとした基本を持っている料理人だからこそ、隠された仕掛けやほんの少しのサプライズは料理を食べる時間を何十倍にも美しくしてしまうように思えました。
人は勝手に客になっているわけではありません。
お金を払うからお客になっているという考え方もできますが、
お客と逆の立場にいる人間がいるから私たちはお客になることができていると考えることもできます。
そう考えるとこれからの飲食店との向き合い方、食事への向き合い方がより一層変わっていきそうです。
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働きたい飲食店を目指して目標に進んでいます。