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ニーチェはこう言った『嫉妬をプラスのエネルギーにして成長する方法』|人生は『らせん階段』か『回し車』の2択だった。

ニーチェはこう言った。

事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。

解釈の違いについて
今回はニーチェ哲学から
シェアしたいと思います。


どうも
安全・安心と絆でつながる
キャリアコンサルタントのタルイです。




えー今回は、前回の記事
「職場の人間関係は
『嫉妬』が9割」
の内容の続きです。


前回の内容を軽く振り返りますと

・嫉妬とは他人と比較する習慣から生まれる

・嫉妬には7つの嫉妬がある
(やっかみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、うらみ、つらみ)

・嫉妬の感情はなくすことができない

でした。


そして、哲学者ニーチェは
この7つの嫉妬
「ルサンチマン」と呼びました。

人は、心の中を
ルサンチマンに支配されると


生きる喜びを感じる力が
弱くなります。

つまり無気力な人生です。


無気力な人生だと
職場においての発言も…

「どうせ上手くいかないよ」
「また元に戻るだけだって」

と、このようなルサンチマンな発言を
繰り返すサラリーマン

略して
「ルサンチ・リーマン」
になってしまいます。


(ルサンチ・リーマンの座右の銘)



残念ながらこれは
人として終わってる人生です。

では、
わたしたちはどうやったら
職場で7つの嫉妬まみれて
無気力になってしまう
ルサンチ・リーマン
ならないで済むのか?


今回は
ニーチェのルサンチマンについて

そしてルサンチマンを
どうやったら克服できるのか?

ニーチェの生い立ちから
思想の根幹までを整理して
解説したいと考えております。





「神は死んだ」



ニーチェを知らずとも
この言葉をご存知の方は
多いかもしれません。

これはニーチェの代表作
「ツァラトゥストラはこう言った」
の中に出てくる有名な一節です。

私がこの本を手にしたのは
20代半ばの頃でした。

しかし当時の私には
髪の毛を掻きむしるくらい
書いてある内容が難し過ぎました。



そこで
このままだと本気でハゲると思い
育毛上の理由から
途中で読むことを諦めたのです。



しかし
そんな私も50歳を迎え
掻きむしるほどの毛量も無くなった
今だからこそ

改めて落ち着いて
読み込めるようになったのです。


「髪は死んだ」




◆天才にして変人ニーチェの奇行

(スーパーマリオのマリオ似)

ニーチェは1844年
ドイツの田舎町で生まれました。 

お父さんもお母さんも
牧師の家柄でした。


ニーチェは幼少期から
大変な天才でした。



学校の成績だけではなく
自分で詩も作るし、作曲もするし
文学も作るしで
何でもやっちゃう
本当の天才だったんです。


そしてなんと!
24歳にしてスイスの
バーゼル大学の教授
になります!


と、ここまではニーチェは
素晴らしい日々を送っていたのです。



と、こ、ろ、が、

ニーチェは
ここから人生の転機を迎えます。


1872年。
ニーチェが初めて書いた本
「悲劇の誕生」


表面上はギリシア悲劇についての
議論の形を取っていますが

本書におけるニーチェの目的は、
ギリシア悲劇を通じた
現代文化批判にありました。

よって、学会から
「これは文献としてはダメだ」
と、全否定を食らって
しまったわけです!

なんと悲劇の誕生を書いたことで
ニーチェ自身の悲劇が誕生してしまう
皮肉な運命。

エリート人生だった
ニーチェでしたが

その後は転落の人生に
なっていくのです。


この後は体調も悪くなって
とうとうも大学も
続けられなくなります。


ニーチェは 
スイスやイタリアだったりを
巡りながら

売れない原稿を書いていく
孤独な生活に入ります。



そして時は過ぎ1882年

ニーチェ38歳のときに
ある事件が起きます。

ニーチェは恋をしたのです❤️

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