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風の強い山にて



 風が強くなってきた。長らく訓練を受けていた谷を越えて、いまはこのなだらかな、牧草地のような山を歩いている。いつのまにか見晴らしの良い場所に来ていた。いつか来た高原を思い出す。霧ヶ峰だとか、美ヶ原だとか、信州のうつくしい高原たち。

 白い道が一本ひかれている。わたしはただ前をゆく背だけ見つめながら、黙々と足を動かす。道順だとかは分からない。あの方が行くところへ付いていくだけ。だから真向かいから風が吹き付けてくるのに、ぼんやりしていて気付くのが遅れた。

 「油断している暇はないよ」

 そう声がする。ふと顔をあげると、風とともにいろいろなものが飛んできた。どこかの山小屋が壊れたのかしら、戸板の欠片だとか、枝や葉だとかが。わたしは思わずひるんでしまう。

 もうこんなに登ってきているのだ。後戻りなど出来ない。わたしは口唇を噛みしめた。ここまで登ってくるために、要らないものは捨ててきた。さっきリュックを開けて驚いた。いつのまにか自己憐憫を、どこかに落としてきたらしい。だからすこし身が軽いのか。

 それから心配。あれを落としてきたことで、だいぶ荷が軽くなった。代わりに拾ってきたのは信頼だけれども、それはわたしの心を歓びで満たしてくれる。

 そんなふうに思えば思うほど、風は強くなっていく。痩せっぽっちのわたしなど、吹き飛んでしまいそう。前をゆく方の声がした。

 「身を低くなさい」

 謙虚さ、のことをおっしゃっているのだと思う。痩せっぽっちで、ちっぽけなわたしに、誇るものなどないはずだけど。あの方はいつもおっしゃる。低く、低くなさいと。

 そう思ったら、今回ばかりは違ったらしい。あの方はこちらに手をさしだして、わたしを道の脇の、ちいさな洞に誘った。石灰岩で出来たドリーネでもないのに、どうしてこんな場所がここにあるのかは分からない。すべてはわたしの想像だから。

 そこでわたしは祈った。心にある不安をすべて、言葉ではないことばで。いちいち思考して祈るよりも、いまのわたしはこの方が、しっくり来るような気がする。どうかわたしを、空にしてください。

 そして立ち上がると、あの方はやさしい表情でこちらを見つめてから、また元の道へと戻った。あいかわらず風は強い。そのときに気づいた。前を歩いておられるあの方に、容赦なく飛来物が当たること。後ろのわたしまで届いたものは、まずすべてあの方に当たっていたらしいこと。

 あの方の知らない苦しみも、体験したことのない痛みもないのだと。そう気づいて、わたしは疲れているにもかかわらず、不恰好な登山靴で躍りだしたいような歓びを感じた。だからだろうか、塵を伴って、つむじ風がこちらに向かってくる。

 そのうちの幾つかは、わたしの身体を直撃した。息を止めているから、こんなの大丈夫、と思った途端、なにか厭なものが、べちょりとして、ぬたりとしたものが素肌に当たって、わたしは苛立った。こういうのには我慢できない。

 怒って叫んだわたしは、ずるずると白い道から滑り落ちてしまいそうになる。前を歩いているあの方が、その腕で抱きとめてくださった。やさしい腕のなかで、あの方が教えてくださる。わたしの足が乱れたことで、小石が落ちていった。それが下のほうにいる誰かに当たったかもしれない。

 「ごめんなさい。どうぞ赦して」

 素直に言うと、あの方はまるでなにもなかったかのように赦してくださる。さあ、と言って、ちいさな子どもを下ろすように、わたしをふたたび道に戻す。道は生きている限り続くのだから。どこまでも、どこまでも続く上り坂。

 そのうちに、わたしは疲れてしまった。風に混じっていた塵のせいで、喉が腫れてくる感覚がする。身体は丈夫なのだけど、扁桃腺ばかりが弱い。前を進むあの方の足どりは、わたしを労るように、ゆったりとしたものになった。

 土のうつわ、という言葉を思う。金の器だって、銀の器だってお持ちになっている方が、この土のうつわを選んでくださった。かれはわたしの弱さをご存知だ。それを庇い、すこしずつ鍛えるために、いまわたしを、こんな風の強い山に連れてこられた。

 このうつわを、使う目的がおありになるのだ。だからそのために、こうして歩いているのだ。まだあまり長くは、こんな風の強いところにはいられない。もうすこし大人になって、祈ることや、愛することを学ばなくては。

 この土のうつわを、あの方は慈しんでくださる。使い捨てにするのではなく、大切に、わたしを守り、育ててくださる。わたしはなんども過ちを犯すけれど、そのたびにかれはわたしを赦して、もういちど立ち上がらせてくださる。そういうふうに、わたしは成長している。

 いとおしいかたと手を繋ぎながら。
 

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