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敵を愛すること (会津史観から自由になる)

いま、明治維新について調べている。会津の血をひくわたしは、奥羽越列藩同盟側の歴史なら色々読んでいたのだが、文久年間の京都の出来事があまり理解出来ていなかった。恨み節にしかならなかったのだ。まずそもそも会津が京都に行ったことが失敗だった、なぜ守護職を受けてしまったのか、慶喜め、長洲め、薩摩め、と。

それをいま尊皇攘夷派の志士の目線から、幕末を調べなおそうとしていて、これはわたしにとって画期的なことである。このくだらない遺恨から、抜け出すこと。わたしはすこし本気で、結婚相手が長洲の血も薩摩の血も引いていなくてよかった、と思っていたくらい会津に囚われていたので、これは大切なこと。

子どもを妊娠したときに、産婦人科の待合室で、なぜか九州の観光ビデオが流れていた。淡々とした音声もない映像で、夜景と、そして真木和泉守の銅像が映った。そこに来るまえに、駅でおおきな会津の観光ポスターを見て、お腹の子に流れる血と、そしてその生命力を感じたわたしは、その真木和泉守の銅像を見て、おお、これは敵だ、と感じた。蛤御門の戦いで長洲の指導者だった彼は、わたしからすれば敵だったのである。

その真木和泉守をいま調べていた。わたしの拙いクリスチャン小説の主人公の名前を、神様に真木和泉と付けられてしまい、会津のわたしにはとても抵抗があって、いまのいままできちんとその名前に向き合っていなかった。本を出してから、ようやく調べる気になった。

(本を読んでくださった伯父上に、真木和泉守について聞かれ、八月の政変を主導したひとだ、と誤りを答えてしまったことを、読んでらっしゃらないだろうけれど、ここでお詫びします)

尊皇攘夷、真木和泉守というキーワードで探してきた本は、どれも良書で、読みごたえがあった。

信仰的攘夷と自覚的攘夷、という言葉が面白かった。あの志士たちが持っていた、革命を成し遂げる、という視点は、会津にはまったく無いものである。国学や水戸学についての理解も深まった。国学は「夜明け前」で、水戸学は山川菊江さんの本で読んでいたが、あれはなかなか分かりづらい。歴史の理解できない瘤のようになっていた。国学や水戸学から真木和泉守の思想の流れは、なんだか先の大戦の、一億総勢撃ちてし止まむ、に繋がっていた。もちろんクリスチャンのわたしは、天皇が神だなんて一欠片も思っていないから、あの尊皇派の天皇崇拝は愚かしく感じる。

歴史を多面的に見ること、会津史観を抜け出すこと、それは戊辰から六代目の子孫に当たるわたしにとって、なんだか先祖を越えるような、あたらしい一歩の試みであった。そのために、真木和泉という小説の人物を与えられたのかもしれない。

「敵を愛しなさい」という聖書の言葉があるが、わたしはまだ長洲や薩摩のひとと出会ったことがないので、実践したことがないし、それに言い立てるのも馬鹿馬鹿しいような古い話だ。だけれど、この一連の読書を通じて、わたしはすこし自由になった気がする。憎しみは、じぶんを檻に閉じ込めるだけだもの。いや、ほんとうに言い立てるのも馬鹿馬鹿しいような古い話なのだけれど。


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