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企業と社会の関係性[40歳からのSDGs]

産業革命と合わせて考えたいのが、企業と社会の関係性だと思う。こちらも「SDGsビジネス戦略」に書かれている内容をまとめました。

20世紀後半に特に公害や地球環境問題が次第にクローズアップされるようになるにつれ、社会が企業に求めることも顕著に変わり始めました。私が子供の頃の1980年代でも、イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくなどの四大公害や川崎病、光化学スモッグなどを知りましたし、公害という言葉はその頃からよく覚えています。この本では、1980年代から3つのステージに分ける事で、ここ30年強の環境・CSR・サステナビリティ経営の進化を的確に押さ、今後にも続く企業の潮流を読む事ができるのではないかと書かれています。

第一ステージ 1980年代後半まで:【法遵守、リスク管理、メセナ活動の時代】

1980年代後半までは、企業は法律を守り、適切なリスク管理を行い、若干のメセナ活動を実施していれば「よき企業市民」としてステークホルダーに認められる時代が長く続いていました。ビジネスと社会の関係性は比較的わかりやすく、経営側にとっても取るべく対応が明確だったと言えます。この第一ステージが大きく変わるきっかけとなったのは、1987年の国連の「環境と開発に関する世界委員会」(通称:ブルントラント委員会)は、1987年に報告書『我ら共有の未来』のなかで、初めて国際的に「持続可能な発展」の概念を打ち出しました。

それ以降の企業経営や国家運営などに、これほどインパクトを与えたものはなかったのではないかと言われています。今のやり方を改めないと将来世代の可能性を奪いかねないということになる。「いま生きている私たちに、世代を超えた責任がある」というところがこの定義の大きな特徴と言えます。

これが1992年6月のブラジル・リオで開催された「地球サミット」へとつながります。

第二ステージ 1990年代〜2005年頃:【積極管理、情報開示、CSR経営の時代】

地球サミットから3ヶ月後前の1992年3月、英国のBSI(英国規格協会)は世界で初めての本格的な環境マネジメント企画を公表した。これは、1996年から取得が可能になったISO14001へと統合されるに至っています。企業は、「法律に縛られるより自主的な対応を」という精神に基づき、環境や、後には社会的な課題もプロアクティブに、言い換えれば「積極的に」管理するようになりました。

1990年代半ばになると、環境報告書、そのあとCSRやサステナビリティ報告書が世界各国で発行され始めます。法を超えた情報開示や説明責任もステークホルダーから当然視されるようになっていきました。

1990年代は間違いなく持続可能な発展の概念を出発点として、企業経営の在り方や、社会との接し方が大きく変化する10年となり、積極管理、情報開示、説明責任を中止とする「CSR経営」のステージでもあります。

第三ステージ 2005年頃から:【課題解決型の革新、ステークホルダーとの共創】

現在もCSR経営を、第二のステージの特徴を中心に粛々と続けている企業は少なくないが、次の第三のステージは、2005年頃始まっている。そして、その集大成がの1つが2015年9月に採択されたSDGsと言っても過言ではなかろう。

地球社会が直面している環境・社会問題は、国家、国際機関、NGOだけではどうにも解決できない。グローバル資本主義の広まりとともに、強大な力を手に入れた企業の主体的な行動なくして、人類は持続可能な未来を迎えることができない。そんな認識がミレニアム前後から始まり第三ステージへとつながっている。

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