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「光と闇と色彩と」(2023年8月)

●8月1日/1st Aug
 長老との対談の中で、輪廻転生のメカニズムについて何度かやり取りしているが、その中に"人工知能への転生"の可能性について二人で話している下りがある。このあたりは超絶面白い所だが、日本のアカデミズムではキワモノ扱いされてしまう。
 こういう箇所を原稿整理の際に落とすべきか悩む所だが、忖度して世に出ないのも勿体ない。結局は誰が読みたいのか、そして誰が応援してくれるかにかかっているのかと。

●8月2日/2nd Aug
 後期の「環境デザイン通史」、デザインクロニクルの講義で話す内容を整理。やはり地球の誕生から現在までを24時間で表した「地球時計」から始めたいが、そう言えば2018年に千葉市美術館で制作した拙作インスタレーション「地球の告白」の紹介から入るのが良いと思い立つ。
 この作品は元銀行の鞘堂ホールに、地球儀を模した錘をつけたフーコーの振り子を吊り下げ、9つの同心円の目盛板に様々な情報を刻んだものだが、思い返せば自分の中で最も制作に力を入れたものだったように思える。鎌田先生との対談本では少し紹介したが、これだけで本が一冊書けそうだ。
 円を13分割したパネルには、同心円状に分割線が入っていて、内から北極を中心にした世界地図、易の六十四卦、46億年の地球史、1000万年の人類史、800年周期の文明中心地の移動リズム、マヤ暦の5200年の文明の歩みを20年ごとに6大陸ごとに整理し、現在の地球の問題を52個、自然界の様々なリズムを52個刻んで、最も外側には13の月の暦を364のマスに配置した。
 振り子以外に「時の部屋」と「告白の部屋」の二つではそれぞれ音声を聴くことが出来るが、声はサヘルさんにお願いした。アポロ8号が月の周回軌道から撮影した地球の写真からちょうど50年の年に合わせて制作したが、展示期間はわずか1週間だったので実際に見た人は少ない。振り子の運動とセットで風でエオリアンハープが鳴るようにしている。
 自分の中でもかなり色んなことを問えた作品なのではないかと思うので、どこかでまたお披露目出来ればとも思うが、ひとまずスライドと映像で学生に見せる、本当は万博のような所で展示するのがいいのかもしれないが、もっと相応しい場が出てくるかもしれないので、それまでしっかり保存しておく。

●8月3日/3rd Aug
ヘルムホルツのゲーテ批判についての論文を読んだ後に、ホモ・エレクトスと足裏のアーチの形成について調べて、夜にはブッダの言うブラフマビハーラを考える生活だと、一体自分がどこに向かっているのか見失いそうになる。まぁ、いつか繋がるだろう。

●8月4日/4th Aug
今日の宇宙船地球号のデッキから見える眺めは、何と素晴らしいティンクトゥーラなのだろうか。色彩の全てが灰色の中から立ち現れてくる。毎日のように地球は奇跡を奏でていて、それに気づくところからしか他の生命を慈しむことなど出来ない。この空でも眺めながら争いなんて下らないことやめようぜ。

●8月6日/6th Aug
 本日はオープンキャンパス二日目。オンラインでの模擬授業だが、北海道から沖縄まで各地から参加者が見られた。二日目のキャスティングとしては地質学と地域社会学の観点から、自然災害、天然資源、コンフリクトマネジメントという話題でお話頂く。
 宮沢賢治の小説から災害とエネルギー問題を読み取るところから話が始まり、なぜ日本では石油も取れないし潮力発電が普及しないのかを地質学的に読み取っていく。またあらゆる葛藤や矛盾という個人の中でのコンフリクトから人と人との対人コンフリクト、国と国との戦争まであらゆるコンフリクトをマネジメントするプロセスを紐解く。
 後半のクロストークでは、なぜ活断層の上に原発が集中し、断層部に作られる溜池の側に特別養護施設などが設けられるのかという理由に関係する施設コンフリクトとして、NIMBY(not in my backyard / 俺の裏庭には作るな)問題を考える。
 個人的には、問題が開示されることでコンフリクトが生じることが分かっている事業者は、問題を隠蔽する体質になったり、学者とデータを使って問題がないように正当化する方向に傾きがちなことを、チクリと指摘しておく。
 質問もかなり寄せられて、最後はやはり近代以前の智恵の中に防災や協力の智恵が詰まっていて、一つの領域では見えてこないことを掘り起こす必要性について共有した。
 たって二日のオープンキャンパスだが、僕のプロデュースしている範囲で意識しているのは、普段交流が疎かになりがちな異分野研究者同士が交流するプラットフォームになること。終えられた先生方の感想からは一定の役割は果たせたのかとひとまず荷を下ろす。

●8月7日/7th Aug
 物質部分に限っていうと、生命のエネルギーはATP(アデノシン三リン酸)で動いていて、「解糖系」「クエン酸回路」「電子伝達系」の細胞内システムが生み出しているというのが生物学の教科書的な理解。中でもATPの大半は電子エネルギーが変換されて生まれる。
 細胞のサイトゾルで起こる解糖系では、好気的条件下でも嫌気的条件下でも、グルコースがピルビン酸に分解されるところまでは同じ。そこから酸素があればピルビン酸がミトコンドリアの中でアセチルCoAに変換されてクエン酸回路に組み込まれる。酸素がなければ乳酸にまで代謝される。
 解糖系が興味深いのは、ATPを作るまでの反応経路には酸素が必要ないということ。おそらく酸素がこの地球上に現れる前に確立された反応経路ではないかと推測されているが、今でも細菌のほとんどは嫌気性生物だ。だから好気性のミトコンドリアがいなくても一応ATPを作ることは出来る。
 でも結局は最も多くATPが作られるのがミトコンドリア内での電子伝達系で、グルコース1個から出来るATPが解糖系では2個、クエン酸回路で2個に対して、電子伝達系では28個と圧倒的だ。だからエネルギー生産が絶大なミトコンドリアを細胞内に獲り込んだ戦略は生存の上で大変効率のいい方法でもある。
 ただ、生命エネルギーを仏教的に見ると、アーハーラ(食)は身体を生み出す4つの要因のうちの一つに過ぎない。電子伝達系の中で起こっている水素原子を引き剥がす働きと電子の動きにヒントがありそうだが、今の生物学ではエネルギーを生み出す仕組みまで説明するのが精一杯だ。エネルギーがなぜ生み出されるのか、そして結局生命エネルギーとは何なのかは説明されない。仏教的には答えが出ているが、科学の言葉に翻訳するそのが次の課題。

●8月7日/7th Aug
 研究したことを論文というアウトプットする方法もあるというのが本来の道筋なのに、論文書くことが目的になり、研究することが強いられるのはどこかおかしいといつも感じる。論文は形式として優れているとは思うが、形式にのらない研究もある。もし研究の評価方法がもっと柔軟であれば、研究はもっと自由になるのにね。
 一方でしてはならない研究と、しなければならない研究というのがあって、その大枠は政治で決められる。研究のトレンドは実は意図的に作られている部分も否めない。
アーティストのやっていることは立派な研究で、しかも見える形でアウトプットしているものだ。言語化も大事なアウトプットだが、言語化せねば研究ではないというのは了見が狭いと思う。

●8月7日/7th Aug
 スマナサーラ長老との対談の原稿整理も、ようやく6割くらいまで来た。5万字くらい刈り込まないといけないので、どこを落とすか悩ましい。宇宙のリズムとデザインについて語り合う下りは落とせないし、餓鬼と神々について語る箇所も面白いので残したい。
 そうなると、ハナムラが長老に自分の作品を紹介している箇所をバッサリ行くしかないが、生命表象学の英語名のブレインストーミングしている下りは残したい。長老に一緒に考えてもらうとは何と贅沢な時間か。長老に宿題まで出してしまってるし。

●8月8日/8th Aug
 いつなんどき、どこであっても、世界との関わりを自分で決めることが出来る自由を一度得たなら、もう不自由な状態には二度と戻らなくなるのは当たり前のことだ。

●8月9日/9th Aug
 「京都クオリア塾」という京都の様々な異業種の企業が集まる研修会がある。堀場製作所の堀場前会長が音頭を取って始められた研修会で、京セラのような大企業からKRPのような場まで、色んな業種の企業から人が集まり、もう10年以上続いていてたくさんOB•OGを輩出している。
 僕は第6期の方々の前で一度お話しする機会があり、その後の第8期でも堀場製作所の現会長と一緒のOB会で「まなざしの革命」のお話しをさせてもらったことがある。
 そのクオリア塾が合宿形式のOB会を昨年から始めたらしく、その企画をzoom会議で説明してもらう。昨年は僕の本の帯も書いてもらった元京大総長のゴリラ研究の第一人者の山極壽一先生が講師で参加した。
 今年はハナムラと宇宙物理学者の磯部洋明先生とのこと。2日間の研修でスピーチあり、対談あり、グループディスカッションありと盛り沢山なようで、かなり色んなことを話せる機会になりそうだ。瞑想にも関心があると言っていた方もいるので、少し試しても良いかもしれない。
 僕自身は企業の方々と話す機会が多いが、クオリア塾の卒業生は、色んな研修を受けているので、段々と視野が広くなっていて、企業人としての自分と個人としての自分とのギャップに気づき始めている。キャッチーなノウハウ本に限界を感じていて、より本質的な話を聞きたいという意欲が出てきているようだ。
 そのモードになると、ようやくまともな話が出来るように思う。「どうすれば新規ビジネスが」「どうすればソリューションが」「答えを今すぐ分かりやすく教えて下さい」ということの限界を理解し始めた時に、逆説的だがはじめてソリューションやビジネスの話が出来るようになる。

●8月11日/11th Aug
 デザインしたランドスケープの状況確認のために徳島へ。夏と冬を一回ずつ超えて随分と活着してきたものもあるが、メンテナンスの方向性に影響されるのでなかなかうまくいかない箇所もある。こちらがディレクションしたことが現場で実際に作業してくれる職人の皆さんに的確に伝わっているのかが大事なので、次は一緒に作業するのもありかと。
 そのまま瀬戸大橋を渡って岡山に入って、能勢伊勢雄さんに会うためにmaimai へ。今一緒に進めている「身の丈の科学」の書籍化の打ち合わせだが、やはり直接話して理解を深めることが大事だと改めて。色々と調べている中で、自分の理解や認識が間違っていることもそうだが、そもそものアティテュードの設定や視点場の設定で反省すべき点も沢山見つかった。能勢さんに心より感謝。

●8月11日/11th Aug
 昨日に引き続き、色彩論について考える1日。岡山のstudioapartment で開催中の能勢伊勢雄さんの写真作品tictula cloudの展覧会へ出かける。展覧会前にカフェmaimai の上のギャラリーのsuperblankに行くと、草木染作品の展示がされていたので、ギャラリーの方と作家さんと一緒に少しお話しする。草木染では意外と昆虫が果たす役割があることに気づく。
 今日は能勢さんの色彩論のレクチャーがあるので、それに合わせて準備をして昨日の色彩論のディスカッションの時間を持った。そこでの理解の確認も含めて今日は拝聴させて頂きながら、編集モードで聞いていたので、また違うところを発見する。何度聞いても発見があるのはそれだけ中身が濃厚な証拠だ。
 5時間くらいに及ぶ昨日のディスカッションでは確認と質問をしたこともあり、今日は能勢さんがそれに対して色々と答えを用意してくれたり、資料を持ってきてくれたりと、心遣いに胸が熱くなる。特にベネッシュのDer Turmalin を拝見できたのは収穫だったし、自分の中での認識を改めねばならない部分ももいっぱい発見できた。
 岡山に来ていつも思うのは、能勢さんの周りにいる皆さんの意欲や教養、意識のレベルが非常に高いこと。特に知らないことに対して向き合うチカラが皆さん相当強く、好奇心も旺盛。まさにその態度こそが街の文化度な気がする。長い時間をかけて能勢さんが育てられてきたことが静かにチカラを持ち始めている。何とかこの流れが先に繋がっていくことを陰ながら応援したい。
 岡山に来ると会場で会うみなさんに声をかけてもらえる。大阪でどこかに出かけるよりも知っている顔が多いくらいになってきた。それもこれも全部能勢さんのおかげで、本当に頭が上がらない。今日の夜明けと夕暮れには素晴らしいティンクトゥーラを見たが、何か導かれているようにも思いながら、自分の街へと引き返す。

●8月12日/12th Aug
 人の世は相変わらず乱れているが、空には見事なティンクトゥーラが今日も現れる。38年前の空もこうだったのだろうか。生きとし生けるものが幸せでありますように。

●8月17日/17th Aug
 明日の母の手術のために入院病棟へ。8年前の大動脈乖離の手術以来の大きな手術。大病院にはインスタレーションのためにアーティストとして来ることが多かったが、患者の家族として来るとまた見え方が変わる。コロナ後の世界では病院でアートをする意味もまた変わってしまう。

●8月17日/17th Aug
 【10代の子供をもつご家族、学校の先生へ】10代のヒトたち向けの講座「ヒトの学校」を開催します。日々の生活の疑問や、当たり前のことに立ち止まって考えたい10代のヒトはぜひご参加ください。

シリーズ01 オトナは正しいのか?
9月30日(土)/10月21日(土)/11月25日(土)
14時~15時半、全3回。

シリーズ02 ガイチュウは殺してもいいのか?
1月27日(土)/2月24日(土)/3月23日(土)
14時~15時半、全3回。

主催:  大阪公立大学
対象:  10歳~19歳
定員:  12名(申込多数の場合は抽選)
参加費: 無料
場所:  大阪公立大学I-siteなんば3階
問合せ: 大阪公立大学 社会連携課

趣旨文
10代の子供をもつご家族、学校の先生へ  
地球上の全ての問題に関係するのが「ヒト」の問題です。政治・経済、文化などの「社会システム」、気象や生態系などの「自然システム」、健康やアイデンティティ、倫理などの「人間システム」が複雑に結びついて起こるさまざまな問題の背後には、共通して必ずヒトという存在が関係します。ヒトについて議論するときに、“わたし”は置き去りにされがちです。しかし自分の内面を見つめることなく、ヒトを考えることはできないはずです。私たち自身が一人のヒトとして、社会的な立場、専門領域の垣根などを取り払い、一人称で様々な問題や可能性を掘り下げる必要があります。
 一方で、現在の問題を考える際に、その原因を生んだ私たち大人の視点だけで解決に至るのでしょうか。大人の視点に問題がないかを確かめるとともに、これからの社会や文明のあり方を、これからのヒトである若い世代とともに考えねば真の意味で持続していくことにはなりません。従って、大学で専門的に学ぶ前の早い段階で、ヒトの問題に向き合うことは重要だと思われます。この「ヒトの学校」では10代のヒトを対象に、自分という一人のヒトの感覚や内面を一人称で語り合う対話を通じて、様々なスケールでヒトについて一緒に考える場を目指します。一人の個人としてのヒトから、一つの生物個体としてのヒト、国や社会、組織というヒトの群れ、また地球上のあらゆる生命のネットワークの一員であるヒトに至るまで、ヒトについて自由に考える機会になればと考えています。ご家族や先生たちの周りにいる10代のヒトの中で、日々の生活の中で疑問を抱いていたり、大人も答えられない問いを誰かと話しあいたいと考えている生徒がおられたら、ぜひご案内いただければ幸いです。

●8月18日/18th Aug
 朝に手術室に入る母と少し廊下で話したが、ビックリするくらい明るく、冗談ばかり言っていた。これからする手術は胸部大動脈ステントグラフト内挿術と呼ばれるもの。心臓に繋がる大動脈の血管に足の鼠蹊部からカテーテルを入れていき、血管内をワイヤーで補強する。
 8年前に運びこまれた時は大動脈乖離で8時間に及ぶ大手術だった。胸部を開いて心臓を取り出して、心臓の付根部分の大動脈をそっくり人工血管と取り替えている。その時に執刀医の先生が人工血管の先の血管にもステントグラフトを入れておいてくれたのだが、それから時間が経ってその端部が腫れ、エンドリークを起こして血流が漏れているらしい。なので今回の手術に至ったが、結構な手術だ。
 どちらかというと自分は西洋医学よりも、東洋医学やエネルギー医学のように全体のバランスとエネルギーフローの中で人間の治癒を考えたい方だ。だが外科に関しては、物質を扱うことに長けた西洋医学的な処置が有効なことがある。残りの寿命と業が尽きるまでの時間の中で合理的な選択として手術をすることになる。
 朝9:00から麻酔をかけて1時間ほどの準備、手術は1時間半ほどで、麻酔から醒めるのが30分ほど。意識のある状態で手術室から出てくる予定だ。3時間ほどの手術だが、その最中に心が身体から彷徨い出てしまわぬようにナビゲートする役割は僕がせねばならない。なので手術中の3時間は控室の一角で座禅を組み禅定に入って、母の心を繋ぎ止めておく。
 執刀から2時間5分ほど経って、母の意識が戻ったと感じると、その10分後くらいに看護師さんが控室に呼びにきた。集中治療室へ向かうと、意識が戻りたての母は明るく話していた。担当医の先生に冗談を飛ばす母を見て、改めて我が母ながら凄いなと感じた。今のところ無事に手術が終わったことに心より感謝。

●8月20日/20th Aug
 空のティンクトゥーラが今日も素晴らしい。ゲーテの色彩論では、光の側から闇を眺める時には青く見え、闇から光を眺めると黄に見える。その青と黄が交わるところで緑が生まれる。そして光は曇り物質を抜けると苦しみながら色彩を放ち、青が紫に高昇し、黄が橙に高昇しながらついには赤に至る。
 これを踏まえてこの空を読み解くと、地平線に近い部分が赤く見えるのは、向こうからやってくる太陽の残光が大気という曇り物質をたくさん通り抜けて来るからと考えられる。右側の空が紫がかっているのは、光が雲で遮られているからで、左側の空が橙になっているのは、光が雲で遮られることなく空を照らしているからだ。そしてそれらが出会う中央は光と闇が出会い見事な緑が現れている。
 このような光の奇跡が毎日のようにどこにでも起こっている。自然が織りなす奇跡的な風景にまなざしを向ける感性を失ったままで、自然保護や環境問題を唱えることなど何のリアリティもないのだろう。地球の問題はテクノロジーの問題以上に我々のまなざしの問題が大きいのだ。そんなまなざしを芸術が導くなら、その役割は我々が考える以上に大きい。

●8月21日/21st Aug
 教育新聞でのハナムラの連載「現代アートの見方を知れば世界の見方が変わる」の最終回が届いた。"日常をアートとして見る"というタイトルで、現代アートを補助線に日々の生活を捉え直すことを書いた。
 13回の記事だったが、毎回楽しく書けたのではないかと思う。美術論はそれはそれでいつかやりたいが、ひとまず美術を通したモノの見方を伝えられればと。書籍化もイメージしたい。
 ちなみに僕の記事の裏側には歌手のMISIAさんへのインタビュー記事。アフリカの支援活動などをしてきた彼女が、今度はウクライナ側の目線から平和について語っている。いつか話すことがあればいいなと。

●8月22日/22nd Aug
 本日、I-siteなんばで当学域の教育福祉学類の吉田直哉先生による「アンパンマンの正義論」を拝聴。中高生対象の講義なので、9月から始まるハナムラの「ヒトの学校」の参考にさせて頂く。中高生の関心が非常に高く、参加者は30名を越し、中には何組か親御さんがついてくる様子も見られた。
 アンパンマンはなぜ人気があるのかについて、ネーミングの秘密、キャラクター設定、幼児の音声学的な解釈から話は始まる。その後、作者のやなせたかし氏の生立ちをレビューし、アンパンマンはなぜ"パン"なのか、初代アンパンマンの設定はどうだったのかへと話が進む。
 考えてみればアンパンマンは他のヒーローと違って世界最弱のヒーローで、必殺技もアンパンチぐらいしかない。超人性を獲得している他のヒーローとの差異から、やなせたかしにとっての正義と悪について迫る。
 アンパンマンの歌詞はやなせ本人が手がけているが、よく読むと非常に奥深い。「何のために生まれて、何をして生きる」「何が君の幸せ、何をして喜ぶ」という疑問形に込められた「愛」と「献身」というテーマに、普遍的正義が込められているという。
 やなせ本人の日中戦争での飢餓体験と弟の戦死、そして開戦に掲げられた善と悪の単純な構図に対して、悪は悪の姿をしていないというメッセージ、弱き者のための弱きヒーローのあり方などを紐解く。
 眠っている生徒もおらず、皆自分の意思で聞きにきていることから、関心を持って聞いていたのではないかと思う。最後に僕も「ヒトの学校」の宣伝をさせてもらった。
 単純に善悪の構図や真実とはこれだということが固められてしまう世の中だからこそ、弱さの持つチカラや、相手と共生することの重要さを伝えねばならない。子どもたちの直感や違和感が鈍らないように磨いていくことを模索したい。

●8月23日/23rd Aug
 それにしても日本の童話の代表と言われている「桃太郎」が国民の間に本格的に広まったのが1939年で、そんなに古くないことに驚く。日中戦争の理由を分かりやすく伝えるために流布されたということもあるようだが、確かに太平洋戦争でも歴史学者のダワーが日本の文化的ステレオタイプとして「桃太郎パラダイム」なるものがあると指摘している。
 我々は文化や芸術は戦争には関係のない安全なものだと思っているが、その考えこそ非常に一面的だ。逆に安全そうに見えるからこそ危険で、知らない間に頭の中に概念や図式が植え付けられる。我々のまなざしが誘導されていることには常に自覚的になる必要がある。

●8月25日/25th Aug
 友人で岡山を代表するアーティストの金孝妍(キム・ヒョヨン)さんの個展「我輩の視力は0.0001である」 が、10月29日まで今治市の大三島美術館で開催されている。金さんが能勢伊勢雄さんと一緒に作品の写真撮影のために現地へ行かれるとのことで、お誘い頂きご一緒させて頂いた。
 この3人の組み合わせは昨年の高梨市成羽美術館での金さんの展覧会の際にご一緒したロングトーク以来で、今回は道中にも色々と話しながらやってきた。大三島美術館は現代日本画を中心に展示収蔵されている美術館だが、今回のように現代アーティストを招いた企画展もされている。キュレーターの稲葉さんのご案内で展示を見学する。
 前回の成羽の際は僕自陣も展覧会記録集に評論を書かせて頂いたが、その時よりもさらに彼女の思考と試行は進んでいて、興味深い表現がいくつもある。前回は空間を使った作品が特徴的だったが、今回は平面に回帰しつつも、そこで扱う中身のスケールがより上がっているように見受けられた。
 特に展覧会タイトルにもなっている「我輩の視力は0.0001である」はスキャナーで自分の顔を撮り続けることで、視力の限界点を探るコンセプトが秀逸で、これまで彼女が追いかけてきた"痕跡"というテーマの帰着点の一つでもあり、"まなざし"という新たなテーマとの接続点でもあるように思えた。
 過去の作品のアーカイブ展示もされていて、これまでの一貫した彼女の表現の上での問題意識が縦軸で見えるのは良かった。こうして過去作品を一望できるのは本当に大切だ。これまで自分の作品を美術の文脈で自ら語る機会はなかったが、僕自身もこういう形でいつか展示せねばならないと強く思った。

●8月25日/25th Aug
 せっかく大三島まで来たので、聖地のフィールドワーカーとしては美術館の目の前にある大山祇神社をもちろん調査する。特に今回は能勢伊勢雄さんとご一緒しているので、いつもよりも10倍くらい実りのある調査になる。
 前々からこの大山祇神社はいつか行かねばならないと思っていた場所。主祭神の大山祇神はイザナギとイザナミの息子神であり、イワナガヒメとコノハナサクヤビメの父神。別名は「三島大明神」とも称されるが、四国を中心に新潟県や北海道まで分布する三島神社の総本山であり、また全国にある山祇神社の総本社。
 村上水軍の本拠地でもあったが、近代においても、初代総理の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめとして、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった地だ。何もないわけがない。案の定だが境内に入ったあたりから気配の違いは明らかだった。
 ここには樹齢が3000年クラスのクスノキが何本もある。本宮の参道の軸上にも樹齢2600年を越すと言われる幹周11.1m、根周り20m、樹高約15.6mの「乎千命御手植のクスノキ」が立っている。
 だがさらに奥の院にまで上ると、その付近に大三島の主にあたる生命体がいる。それは樹齢3000年と言われる「生樹の御門」と名付けられたクスノキ。なんと根周り32m、幹周15.5m、高さ10m。一本の木だけで森のような佇まいには、昨年奈良で話しかけられた「又兵衛桜」と同じような風格を感じる。
 幹の間をくぐり抜けて上に登るルートがあるため、御門と呼ばれているが、おそらくここは根の部分で、斜面地に立つので根の周辺の土がゴッソリと下方に流れて穴ができたのではないかと推測する。いずれにせよ、島の主として 3000年を超えて生き続ける生命体に対して、畏敬の念を禁じ得ない。
 さらに登って奥の院まで来る。拝殿が正確に北北東方向を向いているが、その先にはおそらく御神体があるだろうと、拝殿の裏側に能勢さんと一緒に回り込んむ。かなり遠方にはなるが、拝殿からの軸の突き当たりに山があったので、あれが本体だろうと二人で分析する。
 帰って調べると、御神体は大三島中心に立つ最高峰で四国百名山で、古名を「神野山」という鷲ヶ頭山(436.3m)とのこと。しかし方角が違うので、おそらく本体は別の山なのではないかと推測する。
 途中で三島の表札が掲げられた門があり、最近気になっていることと照らし合わせて、なるほどと思うところあったが、もう少し勉強が必要。この辺りの日本の古代史に下手に手を出すと、半端なくヤバい内容なので、ほどほどにしておくことにする。
 今回はあまり時間がなかったので島の主とはじっくりお話し出来なかったが、せめてご挨拶だけでも出来て良かった。能勢さんと一緒にフィールドワークすると、次から次へと関連情報を語られるので、大変勉強になる。心より感謝。

●8月27日/27th Aug
 今週、宇宙物理学者の礒部先生と対談するので、少し宇宙系の知識をアップデート。いま宇宙がにわかに注目されているが、磯部先生自身も物理学を超えて宇宙人類学、宇宙倫理学の立ち上げに携わっておられるので、色んな話が聞けそうだ。もちろん宇宙開発におけるトランス・サイエンス問題は避けては通れないが、それ以上に気になるのは軍事・政治・経済からの影響がどうなっているのか。
 1968年のアポロ8号から撮影された「地球の出」から50年後の宇宙船地球号を考えたくて、2018年に千葉市美術館で制作させて頂いた拙作インスタレーション「地球の告白」の話をする予定だが、色んな切口がある作品なので、どう提示するかを悩む。
 1969年に月面着陸したアポロ11号の後もアポロ計画は続いたが1972年で終了し、それ以降に月への有人飛行は50年以上途絶えている。2017年ごろから再び月面への有人飛行計画が国際的に持ち上がったのは、純粋に科学的な動機からだけ出てきたと思うのは余りにお気楽な見方かもしれない。
 冷戦後にISS(国際宇宙ステーション)が建設され運用という運びの裏側では政治的・軍事的に何らかの落とし所がついたと見た方がいいのかもしれない。もちろん次の巨大なビジネスの狩場としての宇宙は言うまでもないが、来年の2024年にISSが終了予定のタイミングで色々な話が持ち上がるだろう。
 そもそも我々からすると宇宙の話はほとんど想像力の領域であり、機器による間接的な計測結果を信じる以外に確かめる方法などない。地上に張り付いて空を眺めているリアリティは天動説の方に部がある上、宇宙を空の上だけに求めるのは非常に狭い了見な気もする。面白そうな方なのでオープンにお話は出来ると思うが、そのあたりどこまで対談の中で共有出来るのか。元々太陽がご専門なので、他にも聞きたいことを少し聞いてみようかと。

●8月28日/28th Aug
 騒げば騒ぐほど戦争の気運は高まるし、騒がずに黙っているほどさらに戦争の気運は高まる。このダブルバインドから抜け出るには賢く気づいて、出来る限り自分でできることはして、身近な人と対話する輪を広げるしかないのだろうと。そのための道具に拙著を使ってもらえれば本望。

●8月29日/29th Aug
 結局は"素直である"ことに尽きるのだなと。本当に素直であるというのは、何でもかんでも人の言うことを鵜呑みにして信じることとは全く違うように思える。むしろ何かを信じていては、相手の言う言葉の内容と相手から伝わる心の間にズレがないかどうかを見抜くニュートラルな状態にはなれない。
 人は簡単に理屈に丸め込まれるし、涙を誘う感動にも流される。不安にも煽られるし、欲や楽しいことにも踊らされてしまう。そんな感情をひとまず脇に置いて、素のままでストレート(直)に見るということは、大人になるほど出来なくなっていく。

●8月30日/30th Aug
 電磁気的な環境デザインの可能性を考えている中で、地質学者からのアドバイスが非常に刺激的。どの帯域の電磁波を対象にするのかによって、遮蔽に用いる素材も計測機器も変わってくるのと、静電場と変動磁場に関してはまた違った法則があるので、いずれにしても方法論を吟味する必要がある。
 この帯域の問題を聞きながら、まなざしの問題とアナロジカルに考えていたが、どの帯域で世界を眺めるのかによって、全く違う世界の認識方法と説明方法が複数存在している。どの帯域が正しいのかということはなく、その帯域の中での正解と不正解がありそうだ。
 たとえば身体の不調を現代医学の帯域で捉えることも、東洋医学の帯域で捉えることも、呪術や業の帯域で捉えることも、ある意味でどれも正解と言える。そもそもそれを一つに統一しようとすること自体に罠があり、見方の権力闘争が生まれるようにも思える。

●8月31日/31st Aug
 9月30日から大阪公立大学の社会連携科のプログラムで、10代のヒトを対象にした「ヒトの学校」をI-siteなんばで始めます。講師はハナムラがつとめますが、僕の役割は若いヒトの邪魔をしないことで、おそらく僕自身が教わることの方が多いように思っています。だから、どちらかと言うと講師は僕ではなく参加者である10代のヒトというようになればいいなと考えています。
 第1クールは「オトナは正しいのか?」というテーマで3回。こちらは受付が既に始まっていて、9月10日が締め切りです。第2クールは「ガイチュウは殺してもいいのか?」というテーマで3回です。第2クールは10歳以下のお子さんがいる大人も参加できるようにしています。
 はっきり感じるのですが、これまでの世界がいよいよ崩壊の足音を立て始めています。ここからは急速に変化がやってくるでしょう。今の大人たちの多くは、こんな状況に至ってもこれまでの世界の常識を外すことは出来ないし、右往左往して崩壊を加速させる以外は何も出来ないと思います。
 だからこそ、次のヒトである10代の方々と一緒に、これからのヒトはどう生きて、どう死んでいくのかを考えたいと思っています。今の当たり前を疑い、次の当たり前を一緒に考えながら探していく、ハナムラなりのささやかな抵抗です。
 まるで大海の水を柄杓で掻き出すような試みかもしれません。しかし無力を決め込んで何もしないよりかは、一本の木を植え、一雫の水を注ぐことを選ぶ方が生きている意味が見出せそうです。沈みゆく船の全員は救えないでしょう。でも、もし周りで少しでも関心がありそうな若いヒトがいれば、この対話に加わるように促してみてはいかがでしょうか。
 既に関心を寄せて申し込んでいるヒトが何人か居ます。今回はそんなに数を募っていませんが、10日まで受付しています。何か思うところある方がおられれば是非ご案内下さい。

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