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noteでコメントをすることと読むことについて

noteの記事を読ませてもらっていて、コメントをしたいのだけれど、コメントをするかどうか(してよいかどうか)、迷うことがよくあります。

その方の文章から何かを受け取ったとき、心が動いたとき、声をかけたいと思ったときなどに、コメントをしたいと思います。逆の立場だったら、そんな風に思ってコメントしてもらえたら、自分はうれしいから。

だけど。
そんな風にコメントをしても、迷惑だったんじゃないかと心配になることがしょっちゅうです。コメントを返していただいても、お手間をとらせてしまったかしらと申し訳なく思ったり。

自分だったら「迷惑」とか「手間」だとは思わないけれど、いろんな方がいると思うので、いちいち考えてしまうのです。

結局、「やっぱりやめておこう」と思ってコメントせずじまいになることが今のところは多くて。何度かやりとりをさせていただくと、そういうのはなくなっていくんですけどね。

昨年、「まるネコ堂の文章筋トレ」というものに月に2~3回のペースで参加させてもらっていたのですが、


今思い返すと、この「文章筋トレ」は、実は「書くこと」のトレーニングにはあまりなっていなくって、どちらかというと「読むこと」のトレーニングになっていたなあと思います。

というのは、例えば参加者が5人いたとして。

まず、10分とか60分とか決められた時間で、各自が自由に書きます。

その書いたものを、WEB上で共有して、それを全員分読んで、「自分にどんなことが起こったか」を後で発表します。

発表をするから真剣に読む。真剣に読むと読み過ごしてしまいそうなことが見えてくる(こともある)。他の人の発表を聞いて「そういう読み方、受け取り方もあるのか~」と思う。

こういう一連の作業によって、自分の読みが拡張していくということをやっていたんだなあと、今更ながら思っています。

noteのホームのページに「閲覧にもとづくおすすめ」が表示されますが、一時期よく ゆっこ|yukiko yamada さんの記事が表示されていました。

そんななかで、”「対話の日」始めてみます。”というこちらの記事に興味を惹かれ、クリックしてみると……。

「読むことは対話」というご自身の定義にのっとって、単なる感想文ではなく、対話としての読みを始められています。それぞれの方の記事に丁寧に、ご自身が感じたこと、思い出したこと、考えたことなどを綴られていて。

ああ、そうか。
こんな風に、両手でそっと包むように、誰かの文章を大切に読む時間を持てたらいいのかもしれない。

マネをしてやってみようかなと思ったものの、今はフォローしている方の投稿を読んで、読みましたよとスキを押して、自分の投稿をするだけで精一杯。

今しばらくは、ただ単に読む専門になりそうだけど、どこかで読み手としての何かをしたいなあと思っています。また「やるやる詐欺」にならないよう、「したい」程度にしておきますが……。

ひとまずは、心が動くnoteに触れたとき、コメントをさせていただこう。
それを最初の Baby step にしようと思います。

いつもコメントをくださる、くなんくなんさんや、ニャークスのヤマダさん吉村伊織さん、そしてその他のコメントをくださったみなさま。お時間をとって「あなたの言葉」を残してくださり、ありがとうございます。これからは私も少しずつ、その「言葉の置き土産」ができるよう、精進していきたいと思います。



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