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Vol.1 こうして私は統合失調症になった。

はじめに。

アザラシ(メス)です。私は二十代後半から、統合失調症緊張型と闘っています。医学の進歩は、日進月歩ですが、闘病生活は14年目を迎えました。大変な病いに侵されて、人生、損をしている、と主人(仮名トドさん)にも言われます。そして、実際にそうだと思います。

まずは自己紹介と、noteを始める目的を綴りたいと思います。

会社員として、10年以上続いた雑誌編集者時代に頭の病気を発症しました。2007年の事です。当時の私は毎年海外ガイドブックを一人で任されていました。5冊目を迎えて、元上司に選手交代のように、後釜になってくれるスタッフが欲しい、と伝えて、一人の若い女性とともにアメリカに行き、二人でロケハン(事前調査)してきたのが、原因です。

彼女に託すには荷が重いだろうとは思いつつ、なんとかHOW  TOを教え込まなきゃいけないと思い、厳しくあたり、また英語と日本語での会話、自動車の運転までこなし、疲弊しきりました。

成田空港で彼女と別れ、入れ替わるように、当時付き合っていた彼が迎えに来てくれたのですが、車内もファミレスでも、とにかく多弁が止まりませんでした。時を忘れてストレス発散に喋り倒すくらいに。

世田谷の一人暮らしの部屋で一晩過ごして、翌日は、時差との戦いで、締め切りが常に付きまとうこの業界においては、1日休みが取れるかどうかは、出張前に残しておいた仕事次第。しかし、小さな部屋で、私は頭の中が、堂々巡りした感覚に陥り、フリーズ状態。結局、実家に電話したら、異変に気がついた父が迎えに来てくれ、それから実家療養が始まったのでした。

父が会社に一報を入れてくれました。そして、翌日には町のお医者さんに連れて行かれ、更に紹介で、Y病院にあたり、更に入院施設として、F病院へと兄の運転で移送されました。病名は急性精神病。

入院10日間という短さで本人もケロッとするくらいに元気に戻りましたが、Y病院で、病院の空気に耐えられず、攻撃的な態度をとり、全身麻酔を打たれ、気がついたら、F病院のトイレ付きの個室にいました。まさに監獄。薬で喉がカラカラなのにコップ一杯しか貰えず、鍵付きの共有フロアスペースに出たときには、映画で例えると、アメリカ映画「カッコーの巣の上で」のような気分でした。現実として受け入れられなかったのです。家族との面会も最初は筆談しかできないほど、頭の中が空っぽになりました。

以上、発症について詳しく書きましたが、統合失調症緊張型に至った経緯は、次に取っておきます。ドキュメンタリーの自叙伝なので、長くなりますが、何卒お付き合い頂ければ、幸いです。

noteの目的についてですが、それは日々の気づきなどについて「書く」ことで、いかに心の冷静さを維持し、寛解(病気の症状が落ち着いて薬を飲まず、お医者さんにもかからないこと)に持っていくか、のチャレンジです。

現在通っているYメンタルクリニックに通わなくて良くなった時に私のnoteは終わります。



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