空リプ合戦、泡沫の夢
特に時間を決めているわけではないが、夜になると次々に浮上してくるフォロワーさん達。まるで居酒屋のようだ。夜のTwitterは、仕事終わりに1杯やろう!といった雰囲気の明るいノリが漂う。スクロールする画面は感情の大博覧会だ。今日1日の達成感、同人誌の原稿が間に合わないという嘆き、好きなコンテンツからの供給過多で酔いしれる幸せなどが好き勝手に飛び出し、画面の中で踊っている。
そして、1日の頑張りを労いあったあとに自然と始まるのは空リプ合戦。フォロワーのフォロワーは私のフォロワー、というくらい、なぜか狭い世界だ。不思議と「いつも会話をするメンツ」というのが出来上がる。
しかし、本当に不思議なのは、そのメンツのメンバーがはっきりと「誰」なのか、誰も把握していないところだ。学生時代の「仲良しグループ」は、あの子とあの子と、みたいにメンバーが固定されていた。そして、大人になってからも、だいたい遊ぶ時のメンバーは決まっているように感じる。「メンバー」以外で集まった時、自分たちの事を「謎メン」と呼んだりするのはそれが理由だろう。
でも、Twitterの空リプ合戦では、「今この時」に浮上している人たちだけと会話をする。明日は全員が揃うわけじゃない。誰かがいなくなり、そして今日いない誰かが入ってくる。その繰り返し。不思議な縁だと思う。よく考えれば、空リプを飛ばし合うくらいに仲良しのはずなのに、その人の本名すら知らない。こんなに毎日のように会話しているのに、Twitterというバーチャルな空間でしか繋がっていない。お互い趣味のために作ったアカウントだから、ある日突然ぱったりといなくなり、何ヶ月も浮上しないことだってある。あるいは、アカウントを消してしまえばそれまで。もう一生、会うことはないだろう。
学生時代、毎日顔は合わせるけど隣の席に座っていただけのクラスメイトよりも確実に濃い関係を築けているのに、繋がっている縁の糸は限りなく細く脆い。
趣味のアカウントを開設してから5年近く経つ。フォロワーは数百人にのぼり、タイムラインはいつも賑やかだ。ずっと前からフォローしている人たちを見ていると、学生だったのが社会人になっていたり、いつの間にか好きなジャンルが変わっていたり、新しい活動を始める人がいたりと、何だか成長を楽しみに見守る家族のような気分になる。長期間ログアウトしてしまったあとに戻ってきても、変わらずタイムラインで姿を見せてくれる人たち。もはや安心感すら覚える。それと同時に、3年前からツイートの更新がないフォロワーや、知らない間にアカウントごと消えてしまったフォロワーもたくさんいる。きっともう、言葉を交わすことはないだろう。少しせつなさを感じながら、ぼんやりと10年後を想像してみる。今、空リプを送り合うような仲良しさんたちは、10年後もここにいるだろうか。10年後も、こうやって皆でワイワイ盛り上がることは出来るのだろうか。きっと無理だろう。
私たちは、趣味という1つの点が重なっているだけの関係。人は変わるものだ。だから、その点が偶然にも重なり合っている今この時を大切にしたい。このメンツで、他愛のないことで騒げる愛おしいこの瞬間、振り返った時に大切な思い出となるように。