物欲が減る、とは
今思えば、あれは完全に「買い物依存症」だろう。
毎週末、親の買い物に付き添って車に乗り込む。親は食料品の買い物へ。私はその間、1人で本屋に降ろしてもらう。
本屋と言っても、古本屋だ。当時中学生で、定期的にお小遣いをもらっていなかった私にとって新品の本は高級品だったのだ。
私は古本屋が大好きだ。古い本が持つ独特の紙のにおい。レトロな表紙のデザイン。本の虫の血が騒ぐ。
あれもこれも欲しい。立ち読みも好きだけど、やっぱり自分の部屋のベッドに寝っ転がって読むのが好きだから、みんなおうちに連れて帰りたい。毎回、最低5冊は買っていたような気がする。
もちろん、それだけなら「読書家」として評価もできるかもしれないが、問題はここから。
毎週5冊も買っていたら、読み終わらないのだ。いくら読書好きとはいえ、学校もあるから限界がある。ビニール袋に入ったまま、ベッドの横に積み上げられていく本たち。その状態に快感を覚えた。1冊読み終わり、袋の中から新しい本を出すたびに不安に襲われた。読んだらなくなっちゃう。あの時の私の辞書に「足るを知る」という言葉はなかった。
あれから8年が経つ。あの頃の私が見たら、今の私はまるで別人だろう。一言で言えば、物欲がなくなった。ウィンドウショッピングなんて、買えないのに見てもつまらない、なんて言ってたな、なんて、思い返すと笑えてくる。今の私は、ウィンドウショッピングが大好きだ。これ、かわいいな。見ているだけでわくわくする小物たち。でも、自分の人生には必要ないから買わない。目と心を喜ばせるために、お店に行く。本を買う時も、ただやみくもに買い占めるのではなく、自分の気持ちを大切にして選べるようになった。
物欲が減った原因は何か。私は、人生の充実度に関係していると思う。中学生のときの私は友だちが少なく、学校も楽しくなかった。本屋さんから帰る時も、「またここに来るためにはあと5回学校に行かなきゃ」なんて考えていたくらいだから、私の毎日は戦いのようなものだった。日々の武装と自分の心の慰めとして、物に依存していたのかもしれない。
対して今は大学生なわけだが、毎日生きるのが楽しくて仕方ない。理解し合える友人たち。夢中になれる学問。歩いているだけで胸がときめく校舎。
人生を充実させるにはどうしたらいいんだろう。それは、ありのままの自分で生きること。人からの評価を気にして自分を抑えるのではなく、堂々と「私」を生きること。本当に小さなことから初めてみればいい。今使っている文房具は、私の気に入ってるもの?服は?本当はワンピースが着たいんじゃない?この仕事は?安定やお給料で選んだ?それとも、やりたいことで選んだ?
物を持つとは一種の武装なのではないかと感じる。「部屋の状態は心の状態」と言う。私がそうだったように、物で溢れかえった部屋に住んでいる人は、きっと心の中も嵐のような状態なんだろう。もしかしたら、それはSOSの声なのかもしれない。
自分らしく生きていますか?
仕方ないから、なんて、諦めちゃいけない。自分の人生に責任を取れるのは自分だけ。まずは簡単にできることから、はじめてみよう。小さなことでも「自分で自分の人生を変えられた」という自信の積み重ねが、大きいことを成すための力になるから。