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8分小説 『そういえば、もうすぐ春が来る』

 定期テストの結果で下位グループに属する少数の生徒にあてがわれる北館の教室。通称北の掃き溜め。

晴れるともわもわと蒸し暑く、雨が降るとジメジメと鬱陶しくて、その日の天気がそのまま教室内の空気を作り出していた。

 そんな教室の窓際の列の一番後ろが、英語の授業での私の席である。

背後には誰にも座られることのない机や椅子が山積みになっていて、いつ崩れ落ちてくるかひやひやしながら、私は今日も電子辞書で漢字ゲームに勤しむ。

「だから、現在の完了形は……」

誰一人として真面目に聞いていない授業を先生は淡々と進めていく。

「……になるわけや」

決まった時間に、決められた授業をやっている事実が大事であって、それが生徒の耳に届いていようがいまいがどうでもいい、とでもいうように。

まあ、それはただ座ってるだけの私も同じなのかもしれないけれど。

《絶○絶命》

先生の声を聞き流しながら、付属のタッチペンを画面に走らせる。使いすぎたのか、最近反応が鈍い。

時間をかけて《対》と書いたら、画面に表示される×印。

……イライラする。

わからない授業に参加しようとしない自分に。わかる努力すらしようとしない自分に。

パタンと電子辞書を閉じ、机に頬をつける。すると木目に紛れるように書かれた汚い文字が目に飛び込んできた。

“ヒマすぎて死ぬ”

よくある落書きだ。無視したって良かったはずなのに、気がつくとシャーペンを握って『わたしも』と書き足していた。

 次の日、自分で書いたことも忘れていた落書きに返信がきていた。

“ヒマぐらいで死ぬわけないだろアホ”

はあ? 先にヒマすぎて死ぬって言ったのそっちじゃん!

『アホっていう方がアホでしょ!』
だから、私は怒りに任せて文字を書き加えた。

次の日も。またその次の日も律儀に私のコメントに返事が届いた。

“ムキになるなよアホ”
『うるさいアホ』
“だまれアホ”
『そっち今何のじゅぎょー?』
“すーがく。そっちは?”
『えーご』
“だっる”
『同じく』

 どうやら向こうも毎日のように、この席で暇を持て余しているらしい。退屈ついでに相手をしてやることにした。

“π←これ何て読むん?”
『パイ』
“おーすげー”
『differentの意味は?』
“むずかしい”
『それはdifficult』
“一緒だろそんなもん”
『全然ちがうよ。やっぱアホだね』
“うるせー!
 はきだめにいるくせに”
『あんたもじゃん!』

 いつしか顔も名前も知らない誰かとのやりとりが、私の退屈な日常の中の楽しみになっていた。


しゅん、またその席?」
「まあな」
「いいよなー。俺、今度ど真ん中のいちばん前」
「ドンマイ」

 ずっと底辺の成績を漂ってる俺と田中は、もはや掃き溜めの常連。

何度席替えをしても俺はいつもこの席だ。

偶然?
いや、そんなわけない。いつも根回ししてこの席を譲ってもらってる。

なぜか?
この机に刻まれた文字を誰にも知られたくなかったから。

“なんて名前?”
『はるか』
“俺はしゅん”
『何年生?』
“3-C”
『じゃあせんぱいだ。わたしは1-B』

ひょんなことから始まった文通? 相手はどうやら二つ下の後輩らしい。

どんなやつなんだろう。見てみたい。

けど、向こうには気づかれたくない。なんとなく恥ずいから。

「なあ、田中に頼みがあんだけど」


「すみません。このクラスに、しゅんさんって方いますか?」
「いや、うちのクラスにはいないよ?」
思いきって3-Cのクラスに行ってみたが、即答される。

「……そうですか。じゃあ他のクラスと間違ってるのかな……」
「他のクラスの子に聞いてみてあげようか?」

優しい先輩は廊下にいる他のクラスの人にも声をかけてくれた。

「ねーうちの学年にしゅんって人いたっけ?」
「いやー? 聞いたことない」
「たぶん、しゅんって人はいないと思うよー。誰かと勘違いしてるんじゃない?」
「そうかもしれないです……すみません、ありがとうございました」

先輩に頭を下げると、逃げるように三年生の階を後にする。


なんで。
  なんで。
     なんで。

しゅんなんて人、どこにもいないじゃん。

顔も知らない、存在するのかどうかもわからない人との会話だ。名前を偽ってることだってあるかもしれない。

でも。それでも。信じてたのに。


『しゅんのうそつき! 三年にそんな名前の人はいないって言われたよ』

苛立ちに任せて書き殴ったその言葉に対しての返信は
“おまえこそ”
たったそれだけだった。

それ以降、私たちのやりとりは自然と途絶えた。


「はあ、バスケ疲れたねー」

 体育の授業後、友達とじゃれあいながら3-Cの教室に入る。

体操着をロッカーにしまうと、自分の席につく。次の授業の教科書を取り出そうとしたら見覚えのある汚い字に手が止まった。

“今井遥、今すぐ美術室に来い”

掃き溜めとは違ってまだ新しい机には不似合いな荒くたい筆跡。途端に心臓がざわめく。

「ごめん、ちょっと私、美術室行ってくる!」
「え?」
「次の授業の先生には、てきとーに言っといて!」
「ちょっと遥!」

教室に戻ってくるクラスメイトから逆行するように抜け出し、廊下を駆け抜ける。

ねえ。しゅん。
あなたは今どこにいるの?


「……し、失礼します」

震える手で恐る恐る美術室のドアを開けると
「やっと来た。遅いわ」
ほんのりとシンナーの匂いを漂わせた男性がいた。

「……えっと」
「机に落書きしたらダメだろ、遥」
「……しゅん?」
「今、気づいたのかよ」
ふわりと笑う古川こかわ先生と視線が交わる。

だって私が落書きしたのはもう二年前のことだ。古川先生がうちの学校に来たのは前年度の四月。

「このまま卒業するんかと思ったわ」
「本当に先生が、しゅんなの……?」
「たぶんな」

まあ座れば、と促された丸椅子にへなへなと腰を下ろす。

「ぶっちゃけ俺にもよくわかんねえんだよな」
と、先生は後頭部で手を組み、椅子の背に仰け反る。

「俺が落書きしたのは確か今から十年前。で、遥が落書きしたのは一年のときだから二年前だろ?」

何が起こってるかわからないなりに、こくんと頷く。

「普通に考えたら俺らがやりとりできるわけないんだよ」

誰も信じないような、荒唐無稽な出来事なのに、先生は愉快そうに目を細める。

「どっちかがタイムスリップでもしてない限り」

まさかとは思うけど、遥、タイムスリップしたりしてないよな? と冗談混じりに聞かれて、私は首を横に振る。そんな特殊能力持ってない。

「まあ掃き溜めだしな」
と、もらした声には昔を懐かしむ響きを含んでいた。

「先生は、いつ私のことに気づいたの?」
「あーほら、あそこの教室、大雨でだめになったろ?」

 去年の夏のことだ。私たちの住む地域が集中豪雨に見舞われ、一番古い校舎だった北館だけ水浸しになった。

「そんときに懐かしい机見つけて」

当時、先生は泥だらけになった掃き溜めの掃除を任されたそうだ。そのときに落書きされた机を見つけた。

『しゅんのうそつき!』ってそこだけ綺麗に残ってたわ。ほんと人聞きの悪いやつだよな」
「先生だって“おまえこそ”って…」
「まあ、な。でも俺だってあの時も、おまえのこと探したんだからな?」

でも見つからなかった。私たちは交わるはずのない時空で生きていたから。

「で、まあ昔のこと思い出したついでに、図書室で卒アル漁ってみた。けど、今井遥いまいはるかの名前はなかった」

そりゃそうだよ。私まだ卒業してないもん。

「試しに在校生の名簿を見てみた。そしたら、今井遥の名前があった」
「………」
「一年のときの担任に話聞いたらそいつは掃き溜めの常連だったらしい。机に落書きしてる姿も目撃されてた。こんな偶然あると思うか?」

そんなことあるわけないと思うけど、先生の言葉が嘘だとはどうしても思えなかった。

「なら、なんで今頃……」

先生の話では去年の時点で私の存在に気づいていたはずだ。なら、もっと早く教えてくれたら良かったのに。

「勉強がんばってるって聞いたから、邪魔したら悪いなと思って」
「……へ?」
「掃き溜めなくなってからすんげぇ勉強するようになったって聞いた」
「それは……」

 あの大雨でいとも簡単にすべてが流される様子を目の当たりにして私は衝撃を受けた。それと同時に、このままぬるい生活を続けてちゃだめだと思った。いつどうなるかわからないこそ、今できる限りのことはしておかないと、いつか絶対後悔するって。

「第一志望の大学、受かったんだってな。おめでとう」

 ずっと探していた人に、ずっと会ってみたかった人に、私はずっと見守られていたということに、今さら気づいた。

 そういえば、もうすぐ次の、春が来る。


(20190325)



 全国の受験生たちの努力がどうか報われますように、と願いを込めて。

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