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北欧スウェーデンのサスペンス小説 マルティン・ベック クルト・ヴァランダー そしてミレニアム・シリーズ

北欧というと日本ではおしゃれなイメージがある。
スタイリッシュな家具、インテリア、食器。シンプルで飽きの来ないデザインと、長く使える実用性とを兼ね備えている。イメージの中だけではなく、最近ではイケア(スウェーデン)やフライングタイガー(デンマーク)など、直接に北欧のセンスに触れられることも多くなっている。

一方で北欧、なかでもその中央に位置するスウェーデンは小説、映画をはじめ文化的にはかなり先進的な国で、国際的な著名人も多い。その中でもサスペンス小説のジャンルはとくに盛んで、邦訳されて日本でも紹介されているものが数多くある。

今回はスウェーデンのサスペンス小説の中から年代順に、3つのシリーズを紹介したい。

マルティン・ベックシリーズ


マルティン・ベックシリーズは公私にわたるパートナーであったマイ・シューヴァルペール・ヴァールーの二人の共作によるもので、1965年から1974年までのあいだ、『ロセアンナ』から『テロリスト』まで計10作が1年に一冊のペースで刊行された。

スウェーデンの首都、ストックホルムの警察庁本部に勤める殺人課犯罪捜査官のマルティン・ベックは謹厳、実直で派手さはないが、粘り強い捜査でクセの強い部下をまとめ上げ、確実に事件の真相に迫っていく。
北欧の大都会ストックホルムでは、経済成長による街の拡大に合わせるように凶悪事件も増加の一途をたどり、ベックは日夜その対応に追われる。

マルティン・ベックはぶるんと体を震わせた。思い出すのだ。お前は警察官に大切な三つの資質を備えている。お前は粘り強く、論理的で、そのうえつねに冷静だ。落ち着きを失うことはないし、捜査においては、どのような場合にも慌てることはない。残忍な、とか、極悪非道の、とか、獣のような、とかいう表現は、新聞が書く言葉であって、お前の思考の中にはない。殺人者はたいていまったく普通の人間だ。ただ少しだけほかより不幸で、社会に適合していないだけなのだ。

第一作『ロセアンナ』柳沢由実子訳 角川文庫 66頁

マルティン・ベックシリーズの犯罪者は、現在で言うサイコパスのような異常者であることは少ない。誰ももとは普通の市井の人間で、社会のひずみや家庭の闇の中に、彼らを犯罪へと駆り立てるきっかけがはっきりと示されているものばかりだ。
世界のなかでも平均所得が高く、福祉国家としても知られるスウェーデンだが、第二次世界大戦後、日本と同じタイミングで高度成長を迎える陰で、国内にはさまざまな矛盾が生じ、社会に多くの問題が蔓延っていた。特に移民の受け入れに寛容だったスウェーデンには東欧、やがてはアフリカから多くの移民が流入し、人種や生活習慣の違いなどの問題が顕在化することになった。
そうした移民問題の他にも、マルティン・ベックシリーズは社会の問題に迫る。第七作『唾棄すべき男』のテーマとなったのはスウェーデンの警察組織の腐敗だった。
ある夜、病院で惨殺されたのは、末期の病で入院中だった元警邏の上級警官。犯行の動機には、市民に対し威圧的に振舞い、不審者と見ればとりあえず留置場にぶち込む、という警察の粗暴な体質が背景にあった。
第二次大戦終結から20年あまり、警察組織には徴兵経験と戦争の記憶が色濃く残っており、軍隊的な上下関係がまだ根付いていた。警察は本当に市民の味方となり、生活を送る上で安全な社会を守っていく存在になれているのか。ベックは捜査を進めていくうちに、警察組織のあり方までを問い直すことになる。

次項で取り上げるヘニング・マンケルもこのマルティン・ベックを範にとり、小説の手法を手本とした一人だ。彼は作者シューヴァルとヴァールーが「犯罪と犯罪捜査を、スウェーデン社会、およびわれわれを取り囲む環境を映し出す手段として用いた」のだという。「目的は犯罪小説をエンターテインメントとして書くことにあったのではない。彼らはアメリカの作家エド・マクベインに影響を受け、インスピレーションをもらった。犯罪小説を社会批判の手段として書くという手法はそれまで試されたことがなかった」とコメントを寄せている。(「献辞」『ロセアンナ』360頁)

ベックの部下の中で際立った印象を残す人物として、フレドリック・メランデルという殺人課の警部がいる。彼の特徴は、異常なまでの記憶力にある。メランデルは数十年以上前の事件についても、関係者のあらましや日付、時刻などについて精確に記憶している。いつでも正確なデータを言質として引き出すことのできるこの人物は、サスペンス小説において非常に便利な存在としてシリーズを通して重宝されている。

マルティン・ベックシリーズはかつて高見浩訳で角川文庫版で発刊されていたが、近年になって柳沢由実子訳のものが同じく角川文庫で第5作まで刊行され容易に入手できる。
残念ながら後期の5作品は2022年現在絶版になっており、非常に手に入りづらくなっているが、シューヴァル/ヴァールーによる作品はどれも質が高く、読み応えのあるものになっているので、もし機会があればぜひ手に取って見てほしい。

クルト・ヴァランダーシリーズ


クルト・ヴァランダー
を主人公にしたシリーズはヘニング・マンケルによるもので、90年代を中心に描かれ、英BBCによるドラマもあるようにスウェーデン国外でも広く知られている。

寒冷なストックホルムが舞台だったマルティン・ベックシリーズとは打って変わって、クルト・ヴァランダーシリーズの舞台となるのはスウェーデン南部のスコーネ地方である。
ヴァランダーはスコーネ地方の長閑な小都市、イースタの警察署に勤める警部で、地域一帯で起こる殺人事件を主に担当している。
スコーネ地方は、スウェーデンのなかでは比較的温暖で、春が来るのも早い。狭い海峡を渡ればすぐに北欧一の大都市コペンハーゲンがあるため、デンマークとのつながりも強く、盛んに往来が行われている。
第5作にあたる『目くらましの道』では、特にこのスコーネの自然がフィーチャーされている。髪を振り乱した女が、花畑のなかをあてもなくさ迷っている、という通報を受けたヴァランダーは、ひとり車で現場へと向かう。そこで彼は、ひと夏のあいだ続く事件の幕開けとなる出来事に遭遇する。

彼は車のトランクから長靴を取り出した。それから菜の花畑に向かって歩きだした。すべてが非現実的だった。女はまったく動かずに彼を見ていた。少し近くまで行くと、女は髪の毛だけでなく、肌の色も濃いことがわかった。畑の境まで来ると、ヴァランダーは立ち止まった。片手を上げて、女を招きよせようとした。女は身じろぎもせずに立っている。かなり距離があり、ときどき揺れる菜の花がその顔を隠すにもかかわらず、その女はまだ少女で非常に美しいことが見てとれた。彼はこっちに来いと叫んだ。
(…)
少女の手に突然ライターが握られていた。ライターをともすと、髪の毛に火をつけた。ヴァランダーが叫んだのと、少女がまるでたいまつのように燃えだしたのは同時だった。ヴァランダーは体がすくんで動けなかった。その間にも、少女は燃えながらふらふらと菜の花畑をただよっている。

『目くらましの道』柳沢由実子訳 創元推理文庫 50-51頁

一人の少女の自死から始まったこの事件は、政界の大物である元法務大臣の殺害へと続く。小さな片田舎の街で発生した事件は、国際的な売春組織の存在へとつながっていくことになる。


『目くらましの道』柳沢由実子訳 創元推理文庫


冷戦期が終わり1990年代となり、ヴァランダーを取り囲む社会状況はマルティン・ベックシリーズの頃とは大きく変わっている。EUへの加盟によって国際化は加速し、スウェーデンにも外国から人々が次々に流入するようになる。
社会の多様化は人々に恩恵をもたらすが、一方でもともとあった文化・習慣との軋轢を生み出したりもする。ヴァランダーも、国際化によって生じた新たな問題と悪戦苦闘する。
また一方の面では、仕事一徹で鋼鉄のような強さだったベックとは違い、ヴァランダーは家族をもった中年男としての弱みも覗かせる。画家である父は認知症の兆候を示して彼を困惑させ、別居中の娘とは、愛情がありながらもなかなか心を通わせることができない。
それまで男だらけだった警察社会にも女性の進出が顕著になってくる。シリーズ中盤からは女性検事が登場し、彼女との関係にヴァランダーも頭を悩ませることになる。さらにシリーズ最終盤では、ヴァランダーの娘もついには父の跡をついで警察官となり、2002年に刊行された『霜の降りる前に』では主人公の役割を担うまでになる。


ヘニング・マンケル『白い雌ライオン』ドイツ語版

英国推理作家協会が主催するCWAゴールド・ダガー賞を受賞するなど、推理小説作家としては国際的な評価を受けていたマンケルだが、彼には自身の作品が「サスペンスもの」としてしか扱われないことに対する不満もあったようだ。マンケルは現代ミステリーよりも、シェイクスピア『マクベス』やジョゼフ・コンラッド『闇の奥』のような犯罪小説の古典を意識して作品づくりを進めていた。
2015年に惜しまれながら亡くなったマンゲルは、単なる娯楽として、軽い読み物として純文学とは一線を画されている推理小説が、遠くない将来には時代を描写するもっとも適切なジャンルの一つとして認められるはずだという予言を残していた。自身の作品も、ただ読者に一時的に消費されるだけではなく、後世に残る文学的価値をもったものとして取り扱われることを望んでいたわけである。

確かに、マンケルの小説はサスペンスというジャンルに留まらない、多角的な射程を具えている。彼の小説を読むと、犯罪にまつわる謎とその解決、というストーリーを通してスウェーデンや国際社会を全体小説的に捉えてしまう、マンケルの透徹した視線を感じることができる。

ミレニアム・シリーズ


マルティン・ベック、クルト・ヴァランダーに続き、21世紀になるとスウェーデンの出版界はさらなる世界的なヒット作を送り出す。

スティーグ・ラーソンによるミレニアム・シリーズは、ラーソンが三部作を遺して50歳の若さで死去した後、ダヴィド・ラーゲルクランツが書き継ぎ、現在第6部までが刊行されている。
第一部『ドラゴン・タトゥーの女』デヴィッド・フィンチャー監督によって映画化されているので、そのタイトルはご存知の方も多いかもしれない。

物語の主要人物となるのは、ミカエル・ブルムクヴィストとリスベット・サランデルの二人の男女
ミカエルは経済ジャーナリストで、雑誌『ミレニアム』の発行責任者と共同経営者を兼ねている。彼はスウェーデン社会ではちょっとした有名人である。というのも、まだ二十代の若き日にある難事件を解決したことで名を上げ、その名から「名探偵カッレくん」という愛情と皮肉の入り混じった二つ名で世間に知られているためだ。
『名探偵カッレくん』は、『長くつ下のピッピ』で知られるアストリッド・リンドグレーンが1945年に発表した児童小説で、これもスウェーデン国内に限らず世界的に知られている。 

リスベットは、警備会社ミルトン・セキュリティーに勤務する調査員で、その仕事ぶりと能力の高さは会社の代表からも一目置かれている。リスベットは社内でも群を抜いた情報収集能力を持っていると評価されている。だがこれは表向きの顔で、彼女の正体はいわばハッカーである。彼女の手にかかると、どんな人物であれその本性が暴かれ、家族構成から細かな生い立ちまでその全てが明らかになる。
一方でリスベットは幼少時に受けた虐待の経験から、通常の社会生活を営むことが困難になり、後見人による監視が必要とされるなど不安定な側面も持っている。

前に挙げた二つのシリーズとは違い、「ミレニアム」シリーズは制約のある組織の中で活動する警察小説から離れて、ジャーナリストと情報調査員という、より自由な立場で事件や陰謀に迫るサスペンス小説になっている。

2005年に刊行された第一作『ドラゴン・タトゥーの女』は、ミカエルが資産家のヘンリック・ヴァンゲルに40年前に孤島から失踪した少女ハリエットの事件について真相追究を依頼されるところからはじまる。一旦『ミレニアム』誌を離れることになったミカエルは、ヴァンゲル一族の孤島に滞在し長期にわたる調査を始める。ミカエルは当時の資料、写真、そして関係者の証言などを集め、プロファイリングの手法を用いて真相に迫ろうとする。
捜査が難航したミカエルが力を借りることになったのが、背中にドラゴンのタトゥーを描いている天才女ハッカーのリスベット・サランデルだった。2人がヴァンゲル家に隠された闇に迫っていくにつれて、衝撃の真実が明らかになっていく。

ソニー・ピクチャーズ公式サイトより

デヴィッド・フィンチャー版の映画に関して言えば、ルーニー・マーラによるリスベットは圧巻だった。極端な短髪で鼻と眉にピアス。レザージャケットとダークファッションに身を包み、Hondaのバイクをベースにしたカフェレーサーを駆って猛スピードで移動する。それでいて少女のように華奢で小柄、そして表情には内面の繊細さから来るか弱さも感じさせた。ルーニー・マーラの演技は、まさにリスベットのもつ弱さと強さを兼ね備えたようだった。
ミカエルを演じたダニエル・クレイグも存在感では決して負けてはいなかった。資料に向かいじっくりと推理を進める彼の姿は、派手なアクションを基軸とするジェームズ・ボンドとは違った要素を彼に与え、その後のヒット作『ナイブズ・アウト』シリーズの探偵役に繋がる結果になった。

この二人のキャストに限らず、映画全体を見ても非常に良い出来で、続編も期待されていたのだが、残念ながらハリウッド版「ミレニアム」シリーズの製作は『ドラゴン・タトゥーの女』のみで頓挫してしまったようだ。

先述のように、スティーグ・ラーソンが死去した後もミレニアム・シリーズは書き継がれ、現在第六部『死すべき女』までがハヤカワ・ミステリ文庫から刊行されている。ダニエル・クレイグ/ルーニー・マーラによる続篇はなくとも、わたし達は小説でミレニアム・シリーズを楽しむことができる。

おわりに


ここまで、マルティン・ベックシリーズ、クルト・ヴァランダーシリーズ、そしてミレニアム・シリーズと、スウェーデンが誇るサスペンス小説の連作を三つの年代に分けて紹介してきた。

ミレニアム・シリーズ第一作『ドラゴン・タトゥーの女』は、ここに挙げたものの中でも特におすすめだ。
ヒットした映画の原作本ということもあり、日本でも当時かなりの部数を売り上げた。かくして、中古本市場にも本作の文庫版は溢れかえっているので、近場にブックオフなどの古書店がある方なら、それぞれほんの100円ほどで上下巻を手に入れられるはずだ。
雪が吹き付ける冬のスウェーデンの風景に浸りながら、この夏の暑さをやり過ごす、というのはいかがだろうか。

海外文学を読むときには、やはりその国に対する理解が深まる、ということが大きな喜びとなる。それまで抱いていたぼんやりとした印象や、画一的でステレオタイプだったイメージが、その国で編まれ、育まれた作品に触れることによって更新されてゆく。それはもしかしたら、実際に旅行で訪れるよりも、さらに深い体験を私たちにもたらすかもしれない。

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