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ガンガァクスの戦士達 −その5


 魔物は鎮圧され、マールたちは残党処理をはじめる。他の戦士たちと共に、手足をもがれてもなお憎悪の眼を向け続ける魔物どもにとどめを刺していく。

 通路が静かになると、カイデラに促されてマールは剣を掲げる。

 部下たちが勝ち鬨をあげる中、彼女は初めての戦いに高揚する身体を鎮めるように、深く息を吸い込み、静かに深呼吸をする。

 「負傷した戦士たちもいますが、我ら白鳳隊に負傷者はいない模様です」カイデラが報告に来ると、マールは胸をなで下ろす。

 「いやはや、すごい腕前じゃないか、お嬢さん。」バジムが嬉々として近付いてくる。

 「それにしても、この場所でこれほどの大群は、久しくお目にかかってはいないな」ドミトレスが不穏な顔をする。

 「これからどうするのですか?」マールは事実上この集団の指揮官でもあるドミトレスに訊く。

 「負傷者は勝手に戻り、進める者は進んでいくでしょう。」

 「補給と報告は?」 

 「戻る者が後ろに報告する決まりとなっています。本営が必要と判断すれば、増援も補給も来るでしょう」

 「了解しました。」マールは頷きつつも自分の両手を眺める。震えがとまらない。肉を切る感触が未だに残っている。ドミトレスはその様子を観察しながらも、ただ見守る。

 「おいおい、本気かよ!?」

 通路の向こう側を見つめて叫ぶクリクに、皆もそのただならぬ様子に気がつく。

 「どうした?」バジムが訊く。

 「まさか、またなのかよぉ!?」クリクが目玉をぐるりと回せば、それを察したドワーフが急いで矢の装填する。

 「陣形をととのえよっ!」マールが叫ぶ。油断していた部下たちが慌てて動き出す。

 先ほどのグイシオンとやらの突進で、長槍はほとんど折れてしまった。次の攻撃での負傷者は避けられないかもしれない。マールはそう考えながら、ふたたび剣を抜く。

 通路から敵の影が見えてくる。その輪郭が見えると、戦士たちがざわめきはじめる。群れをなす小鬼どものなかに、ひときわ大きな影が五体ほど見える。

 「こいつは、…まさかな、こんな所に現れるとは」バジムがしかめ面で髭を撫でつける。「おれは、はじめてみたぜ」クリクが言う「…別に見たくもなかったけどな」ため息まじりに付け加える。

 今度の敵の集団は、皆それぞれ不揃いだが鎧も着込み、武器を携えている。先ほどのように考えなしで襲ってくる様子もなく、ゆっくりと近づき、ある程度の距離を取ると、一斉に歩みを止める。

 小鬼と屍鬼の大群の中、人間の大男ほどの体躯の魔物が、細く縦に裂けた禍々しい瞳で戦士たちを睨みつける。

 「あれは、魔兵。ウォー・オルグです」ドミトレスがマールに耳打ちする。 

 「ガンガァクスにおいて、現在確認されている、唯一の、知恵ある魔兵です」

 「それが五匹も…」マールはごくりと生唾を呑み込む。



 戦士たちと魔の物とが向かい合う。誰ひとりとして声を発する者はいない。こうなれば誰も考えあぐねる者もいない。策を弄し、敵をどうにか出し抜こうと画作する者もいない。皆は頭を空にし、いや、目の前の敵と相対する瞬間、武器が混じり合うその瞬間だけに狙いをさだめ、ひたすらに神経を尖らせる。

 脈略なく、一体のウォー・オルグがけたたましい雄叫びを上げる。それに合わせて他の四体も同じくして叫び出す。小鬼ども呼応し叫び、それぞれの武器を掲げ、身体を叩き出す。

 金属音と不愉快な声が魔窟中を反響し、何十倍にもなって恐ろしい音を響かせる。兵士たちの間で動揺がひろがる。魔窟に慣れた戦士たちのなかにも、耳を塞ぐ者が現れる。

 「落ち着け!落ち着くんだ!」マールの呼び声も大音響の前にかき消される。

 すると、ドミトレスが急に叫び出す。奴らと同じようでいて、人間特有の叫び声を彼は息の続く限りに大声で叫ぶ。

 それを見たバジムも思いきり叫ぶ。つられてクリクが遠吠えをはじめる。

 そして、その叫びは伝染し、次第に広がっていく。戦士たちはまるで半狂乱になったかのように声の限り叫び、罵り、訳の分からない言葉を発する。

 マールはその様子を呆気にとられて見ていたが、隣のカイデラすらもつられて叫びはじめると、彼女は皆の真似をして叫ぶ。

 叫び声は徐々に魔物の声をかき消していく。敵も味方も、まるで声の大きさだけで勝敗を決するかのように、必死に叫び、叫び、叫び続ける。その反響音は一種の恍惚感すらもたらす。

 それは理屈ではない。野蛮と野生性の戦い。そしてその気運が最高潮に高められたところで、戦士たちが急激な勢いで走り出す。何が切っ掛けで、誰が先頭を切ったかもわからない。ただ、みなが皆、我先へと目の前の敵めがけて走り出す。

 少しだけ遅れを取り、マールも戦士たちの叫び声に押されるように動き出す。

 奇しくもウォー・オルグどもが待ち構える形になる。

 ところが敵は急に雄叫びを止める。

 小鬼どものなかでも特に身体の小さなやつらが、明らかな動揺を露わにする。

 どういうことだ?ドミトレスが我に返る。まさか魔の物どもが怖じ気づいたというわけでもあるまい。

 走り出した戦士たちは高揚していてほとんどの者が気がつかない。自分たちの背後から、もの凄い殺気をまき散らして来る何者かを。

 マールだけがその殺気に気がつく。

 振り向くと、走る戦士たちの濁流のような流れの後ろから、大岩のような物体が男たちを枯れ木のようになぎ倒し、進んでくる。

 「あれは!?レブラ!」

 レブラは前を走る者たちをものともせずに、地響きとともに進んでいく。その様子に気がついた戦士たちは、興奮状態から醒め、慌てて道を空けていく。

 戦士たちの群れを押しのけ先頭に躍り出たレブラは、そのまま真っ直ぐに一体の魔兵に向かって行く。小鬼や屍鬼などの雑魚どもは、逃げ惑うやつらもいれば、そのまま踏みつぶされるやつらもいる。

 ウォー・オルグが憎悪の叫び声を上げ、大剣を構える。レブラも手に持つ武器を振り上げる。前に見たメイスではなく、大きな戦斧を片手で軽々を握っている。



 レブラが戦斧を振り下ろす。魔兵は腰を深く落とし、両腕に力を込めてその一撃を受けようと待ち構える。

 お互いの武器が衝突する。魔兵の大剣はあっけなくへし折れ、破片が小鬼を二匹ほど串刺しにして壁に刺さる。

 だがし戦斧の勢いはそれでは留まらない。その鉄塊は魔兵の脳天を砕き、そのまま股間まで突き抜け肉を真っ二つにし、大理石の床を破壊したところでようやく停止する。

 怯むことなく二体の魔兵が同時に飛びかかる。一体が上段を、もう一体が足許に切り込む。

 レブラは動じずにもう一撃を振りかざす。まずは上段に飛び上がった敵の胸当てを潰し、刃にえぐられた魔兵を引き連れたまま、軌道を変え、足もとを狙う魔兵もろとも地面に叩きつけ、さらに床をえぐり、かき出すようにして振り抜く。

 回廊の壁に、肉塊とひしゃげた鎧の破裂した死骸がこびりつき、ゆっくりとすべり落ちていく。

 「なんという…」圧倒的だ。そこにいる戦士たちの全員が言葉を失う。

 「レブラを盾に、みんな進め!」ドミトレスの合図に気を取り直し、皆が進軍をはじめる。

 だがそこにはもう、戦うべき相手はほとんどいない。ほとんどのゴブリンどもは一撃で吹き飛ばされ、とどめを刺すまでもなく絶命している。

 ほんのひと時のことだ。第二回廊に珍しく現れた魔兵たちは、レブラの圧倒的な戦闘力に蹂躙され、瞬く間に鉄と肉塊に変わり果てていった。それはまるで、あらゆる生命を食らいつくし過ぎ去っていく巨大な、生きた竜巻のようなものだった。

 「まあ、結果、…圧勝ってとこかな」クリクが悠長に言う。皆は、その笑えない冗談に、無理やり苦笑いする。そうでもしなければ、顔のがひきつって仕方なかったのだ。

 それほどまでにレブラの強さは怪物じみていた。



 マールは悄然して立ち尽くしている。第二聖堂へと続く広い回廊は、魔物どもの青黒い血でべっとりと濡れていた。壁にも天上にも、飛び散った肉片や目玉や血液があらゆるところに付着していた。当然、床には足の踏み場さえないほどの死骸が散乱し、ある意味、奇妙な虚しささえも感じえた。

 「これではまるで…、」まるでレブラこそが魔王ではないか。そう呟きそうになるのを、咄嗟にこらえる。それを言ってしまえば、自身の戦いへの信念すら揺らぎそうだったからだ。

 急に背中に激しい悪寒を感じる。それは憎悪とも殺気とも異質のものだ。振り向こうにも足が固まり動けない。彼女には背後に立つ影の正体が分かっている。辛うじて軋む首を動かすと、そこにはやはりレブラが立いる。

 その二本角の兜のなかで、レブラの瞳が自分を見ていることがはっきりとわかる。体中がすくみ、座り込みそうになる。それは一種の打撃であり金縛りであった。彼女は、恐怖が拘束魔法に引けを取らないほどに強力な拘束力を持っていることを、思い知るのだ。

 「…そのつるぎ…」 不意にレブラが呟く。

 ひっ…、マールは思わず声を出してしまう。明らかに顔が引きつっていることが自分にも分かる。

 「…お前…名は…?」低く重い声。それはまるで地の底から沸き上がるような、暗い響きを伴っている。

 マールは返事が出来ずにいる。声すらも出せない自分を恥じるよりも、直ちにここから逃げ去りたいという気持ちのほうが先行していた。

 「彼女はマール・ラフラン殿。レムグレイド王国、白鳳隊隊長殿だ」

 ドミトレスが代わりに言う。鋭い目つきで彼はマールとレブラの間に立つ。すると、バジムとカイデラも後に続く。皆、神経を高ぶらせ、武器に手を掛けている。

 レブラそんな彼らなどまるきり眼中にない様子で、しばらくマールを見つめていたが、唐突に、踵を返し、回廊のさらに奥底、第二聖堂の方へ向かっていく。

 気の抜けたマールが崩れ落ちる。ドミトレスが支えようとすると、カイデラが素早くその役割を担う。

 「大丈夫ですか、隊長」

 「…大丈夫だ。…すまない」カイデラに支えられて辛うじて声が出る。

 「…それにしても、レブラのヤツなんだっていうのだ? お嬢さんに向かって、…ありゃあ、なんだ、殺気か…?」バジムが汗を拭い、眉をつり上げる。

 「ふむ。やつのあんな態度、はじめて見るな」ドミトレスも言う。やはり皆、レブラが放ったただならぬ重圧に充てられている。部下たちも、他の戦士たちも、皆驚愕にの顔でこちらを見ている。

 「あーあ、…しゃべったよ、…あのレブラが」暫く間を空けて、クリクがぽつんと言う。すると、バジムが両手を弾き、大声を出す。

 「おうおう! そういえばそうだ!!この賭けはお嬢ちゃんのひとり勝ちだな!」急に嬉しそうに笑う。

 そういえばレブラの声について誰かが賭けをしていたようだ。彼女はそんなことをぼんやりと思い出す。だがそんなことは、今はどうでもいい…。

 「…でもさ、」

 誰もがレブラのでたらめな強さの余韻から抜け出せないままに、場を読まずに再びクリクが口を開く。

 「パジティーナ嬢はさ、女同士でも大丈夫だぜ。きっと喜ばしてくれるぜ、…たぶんな」

 マールに向かって目配せを送ると、クリクはバジムとともに、いやらしい笑い声を上げる。



 それから、ドミトレスらと寄り合い、今後の打ち合わせをはじめる。

 「我々の隊には運よくその様な者はいないようですが、負傷者のほとんどはレブラ殿に踏みつけられた者のようです」カイデラが報告に来る。

 「そうか…、」マールはそぞろな返事で黙り込む。レブラの覇気に気圧されたこともそうだが、あの得体の知れない巨人が何者かという疑問が頭から放れない。

 「先程と同じく、負傷した者は帰るでしょうが…、」ドミトレスがマールに話し掛ける。

 「この事態はいささか異常とはいえます。いづれにしろ、本部からの連絡は必ず来るでしょう」

 「それが補給か援軍か」ぼんやりとしているマールの代わりに、カイデラが応える。

 「あるいは、撤退か」ドミトレスが続ける。

 「ドミトレス殿らは、どうするおつもりで?」

 「ん?ああ、我々はとりあえず第二聖堂までは行ってみようと思っている。皆も同意見だ。レブラがああだ。先の敵もかたづけていることだろう、考えているほどには、危険はあるまい」

 ドミトレスは話しながら、また、カイデラも聞きながらも、マールを気にしている。彼女の様子がおかしいのは、戦いに怖じ気づいたわけではないことは明らかだ。

 「…隊長? …マール隊長…」

 「…ああ、すまない」何度かの呼びかけにようやくマールが気がつく。カイデラは先ほどの話を丁寧に復唱する。

 「白鳳隊はとりあえず、前線まで戻ったらどうだ?」頃合いをみてドミトレスが言葉を続ける。

 「…それは、命令ですか?」ふたたび間を空け、マールはぼんやりとそう訊ねる。

 「いや、そういうわけではないが…」

 思考がどうにも纏まらない。命令、であったら良かったのに。そんなことを彼女は思う。わたしは進むべきなのか?そもそもわたしはどうして戦いを望んだのだ。なぜここへ来たのか?あの男、レブラ、あの男は何を言いたかったのだ?

 気がつくと二人が自分の返答を待っている。心配そうにこちらを見ている。『姫はここで見ていて下さい。』『姫が出るまでもございません。』王都での記憶が蘇る。違う!そうじゃない。わたしは大丈夫。もうわたしは箱庭で運命に流されるのを待つのはいやだ。

 そうして、マールの瞳にわずかに色が宿る。

 彼女は今しがた気がついたように、改めて二人を見る。カイデラに向かい深く頷き、ドミトレスと平然と向き合う。

 「それでは、先を急ぎましょう」


−その6へ続く

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