紫砦と石の竜 −その1
ベラゴアルド年代記
竜の仔の物語 −序夜異譚−
ドライアド諸島から北東、モレンド大陸に位置するその砦は、レムグレイド王国において重要な防衛の要である。
そこは通称、「紫砦」と呼ばれている。礎から擁壁まですべての石積みに砕いた紫水晶が塗り込められていることから、そう呼ばれているのだ。詳しい理由を知るものはいないが、それは神話の時代において、大魔法使いガールーラにより魔物除けとして考案され、砦に施されたものとも云われている。
東西の半島に囲われるよう建造された砦は、その地の利を充分に活かし、幾度となくフラバンジ帝国からの侵略を退けてきた。帝国の侵略には、海を渡ることは避けられない。それを鑑みると、ハースハートン大陸とレムグレイド大陸に挟まれる西の海域を進むのは得策とはいえず、いっぽう東にあたる「竜の海」では、難解な海流に加え、海処女、エギドナと呼ばれる魔物まで出没するさらに危険な海域となる。
つまり、帝国がレムグレイドを手中に収めるには、モレンドを攻略し、ドライアド諸島を渡っての進軍が、もっとも現実的な方法である。しかし、砦がそれを許したことは、ここ千年もの間、ただの一度もなかった。常に争い事の絶えない二国間がその均衡を保ち続けているのは、この砦あってのことなのかも知れない。
◇
ラームからの船が入港した知らせを受け、紫砦からドワーフのギジムが出向くと、もうすでに船は荷を降ろしている最中であった。
すぐに舷梯を渡る灰色のマントを見つけたギジムは、やー!と大声で叫び、荒々しく男の腹に飛び付く。
「ガレリアン・ソレル!」 ギジムは嬉しそうに赤い髭を持ち上げる。「ずいぶん久しぶりじゃないか!」
「ああ、何年ぶりになるか、以前はハースハートンだったか」ソレルも親しげな笑みを浮かべる。
「…あの時はひどい目にあった」ギジムは眉を持ち上げる。「うららかな緑鳩の昼間に、あやうく溺れ死にそうになるとはな、…ええと、あいつは…なんだったけな?」
「ケルピィだ」
「そう、それだ、そいつだ。あの水ぼったい駄馬の頭に斧を喰わしたやったときには清々したわい」ドワーフの昔話は止まらない。ソレルは黙って頷きつつも、砦の方へ歩き出す。積み荷を降ろす従者の子どもに合図を送る。従者の他に、舷梯を降りてくる深い緑色のマントの男にギジムが気がつく。
「あの男は?」ギジムが男を観察する。ソレルよりも大きく古傷だらけの筋骨隆々な男が、さらに大きな弓を肩に担いでいる。
「あれはイギーニアのレザッドだ」
「イギーニア?ラームではなく? イギーニアのストライダを見るのは、はじめてだな」ギジムはイギーニアのストライダに手を挙げる。それを見たレザットは、無愛想に顎だけを僅かにしゃくる。
「今回の仕事は、やつが適任だとおもってな」ソレルがそう告げる。
二人は砦の門をくぐる。途中、物々しい装備の兵士たちとすれ違う。厩舎を覗くとずいぶん馬が多いことにソレルは気がつく。遠くには白い豪奢な鎧を着込んだ兵士たちが見える。
「あれは?」
「あれは白鳳隊だ、」訊ねるソレルにギジムが答え、地面に唾を履く。「レムグレイドの貴族様だとよ」そう付け加え、厳しい眼を向ける。
「そうか、だが、白鳳隊はずいぶん勇猛な騎士達らしいじゃないか」
あれが噂に名高い白鳳隊か、ソレルはもう一度兵士たちに目を向ける。何年か前に一度だけ見かけたレムグレイドの姫君のことを思い出す。あの勝ち気な娘が白鳳隊に志願したということを、風の噂で聞いた。
二人は砦の壁へと登っていく。海岸の防御壁に、弓床に設置された特殊な形状をした巨大なクロスボウが並んでいる。
「短時間にこれほど出来るとはな」
ギジムが頷く。「ああ、だが、良かったのか? ストライダの技術を王国に提供して。…その、盟約違反ではないのか?」
「いや、なにも戦争に荷担するために設計図を渡したわけでもないさ」ソレルは巨大なクロスボウを子細に眺める。
「もし、本当にそれがドラゴンだとしたら、ストライダにとっても最優先の仕事だからな」ラームの老人たちも首を横には振れないさ。ソレルはそう付け加える。
「だが、これがフラバンジに知れたら、ラームは帝国を敵に回すことになるのだぞ」ギジムが渋い顔をする。
「…そのフラバンジが、ドラゴンを送りこんでいるというのだ。構ってはいられまい」ソレルは事もなげに言う。「それに王国は金払いも良いからな」
それから二人は壁から降りていく。
◇
ギジムに案内され、兵営を越えた先の大きな倉庫に入る。そこには倉庫内を埋め尽くさんばかりの巨大な骨が横たわっている。
ソレルが骨の尻尾と思しき部位を持ち上げる。それだけでもずいぶん大きく、顔が簡単に隠れるほどにある。
「どうだ?やはりドラゴンなのか?」ギジムが鼻をつまみながら言う。倉庫中にすごい腐臭が漂っている。
「…新鮮な死骸を見れなかったことが悔やまれるな」ソレルは慎重にに元の場所に戻す。
「…それは心配には及ばん。お前に知らせを送ってすぐに、こいつは二日あまりで腐り果て、すぐにこの様になりおった」ギジムがそう答えると、「二日だって!?」ソレルは驚きを隠さず、しばらく思案に耽る。
そこでギジムは何事かを思い出し、急に笑い出す。
「おお!それで思い出した!お前さん、コルカナではゴブリンごときに遅れを取ったらしいじゃないか!?」ドワーフはいつまでも笑う。
「ああ、おかげで半年以上も仕事が遅れてしまった」ソレルは思考を中断させて、肩をすくめる。
「まあ、そのおかげで次のドラゴンに、調度良く間に合ったとも言えるがな」ギジムが涙を拭う。
「…だが、収穫もあった」ソレルは構わずに言葉を続ける。
「…というと?」
「ウォー・オルグだ」
「ウォー・オルグだと!」ギジムが髭を逆立てる。「ウォー・オルグってぇと、ガンガァクスの魔兵のことか!?」
ソレルは頷き、歩き出す。
「そうだ。どういうわけかはわからんが、魔兵がゴブリンどもを従えていた」骨の各所を観察しながらストライダが言葉を続ける。「世界中で、魔の物の動きが活発になってきている」
「…なるほどな。それでお前ほどの男が、というわけか」ギジムは眉をひそめ腕を組む。
「うむ、そして、この砦でのドラゴン騒動も、その一端として考えている」
「…しかし、わからんのだが、こんなばかでかいやつを、本当にフラバンジ帝国が操っているというのか?」ギジムは巨大な骨を強く蹴り上げる。骨はびくともしない。
「それについてはだが…、」
ソレルがドワーフの背後に目を向けると、そこにはいつの間にかレザッドが立っている。
「…この骨は、フラバンジで見た『石の竜』とよく似ている」彼が低い声で言う。
「何と!ストライダとは帝国にまで魔物退治へ出向くのか!」ギジムの髭が再び逆立つ。
「イギーニアの特権だよ」イギーニアのストライダだけがフラバンジで仕事をすることを許されている。ソレルはそう説明する。
「双頭フラバンジ帝国の北東側の大陸、マルドーゥラ教団の祠や大聖堂の周りには、石のように動かない、竜のようなものがそこかしこにある」レザッドが話しを再開する。
「石、」のように?ソレルが念を押して訊き返す。
「そうだ、石ではない。近づけば僅かな息遣いが聞こえる。それはストライダの耳を使わなくても聞こえる。帝国では子どもでも、それが眠っているという事を知っている」レザッドは淀みなく答える。
「つまり、ドラゴンだと?」今度はギジム。
レザッドは黙り込む。ギジムは次の言葉を待つが一向に話す気配はない。
「すまんな、こいつはわたし以上に無口なものでな」ソレルが代弁する。
「…憶測だけで物を言いたくないだけだ。」レザッドはぶっきらぼうにそう言うと、何処かへ消えてしまう。
「で!ようするに、こいつはドラゴンなのか!?どうなんだストライダ?」短気なドワーフが両手を振り上げる。
「…どうだかな」しかしソレルの歯切れも悪い。「おぉい!ストライダ」ギジムは呆れて腕を降ろす。
「太古の森の側で、これくらい大きなクォカトリスを見たことがある。頭蓋も、文献に載るドラゴンのものとは少し違っている」ソレルは骨の先端に寝転がる巨大な塊を撫でる。ギジムもそう言われてみるとそんな気がしてくる。確かに話に聞くドラゴンとは違い、口許が馬のように伸びてもいない。実際に動いていたこの生物を思い出せば、鰻のような細長い体躯をしていた。
「ともかく、すぐにでも、作戦のすり合わせをしたいものだな」
ギジムは頷き、顔をしかめる。「ああ、賛成だ。早いところここから出ようぞ、臭くてたまらん」
二人は倉庫から出て歩き出す。
「あー!こんな所にいたぁ!」
中庭にさしかかると、そんな声がする。旅の装備に身を固めた子どもが近づいてくる。先ほど港で見掛けた従者だ。
「いつも勝手にどっかいっちゃうんだもの」子どもはぶつくさと文句を言う。近くに来てみて、よくみれば髪の短い女の子だということに、ギジムは気がつく。
「すまんな。ミルマ」そう言うソレルの様子がおかしいことにも、ドワーフはすでに察知している。
「いいですけどぉ。なんだか、偉そうな人が師匠を捜してましたよ」子どもが口を尖らせて言う。
「師匠!」それを聞いたギジムが飛び上がる。
「師匠だと!?」
ソレルが居心地が悪そうに鼻を掻く。
「いやはや師匠とは」髭を撫でつつも眩しげに眉を寄せ見上げる。ソレルは観念したように肩をすくめて両手を上げる。
「はっはっ!お前には驚かせられてばかりだな!」ギジムはストライダの尻を叩き、「さあ、こっちだ、師匠」そう茶化し続ける。
◇
二人のストライダが作戦本部に通される。形式上、一介の傭兵にすぎないギジムは外で待つ。
白い鎧がこれまでの状況を説明する。半月ほど前、フラバンジに潜入した内偵から連絡があったとのこと。帝国兵の動きが活発になるに合わせ、フラバンジ北東側の大陸、マルドーゥラ教団の沿岸付近で巨大な生物が動き出したとの報告。それから数日後に南西側の大陸、フラバンジの首都郊外を横切る巨大な生き物の目撃例。それらをもとに王国の学者が計算した結果、明日から三日間の間に、それが紫砦に到着する計算になるという。
「確かな情報をもとに進められた報告なので、間違いはないだろう」背の低い、白い鎧の男が早口で説明する。
「なにか質問は?」
端で話を聞いていたソレルが手を挙げる。
「この砦の司令官は、あの男だと思うが?」
ストライダに指さされた、末席に座る男に注目が集まる。「そうだろう?シンバー」シンバー司令官はため息を溜め息を吐き、ばつが悪そうに小さく首を振る。
すると場がざわつきはじめる。「あの男がガレリアン・ソレルです」奥に座る白銀の鎧の男に、部下たちが耳打ちする。
「王都から白鳳隊が出向いた際には、砦の指揮は我らが預かることになっている。…何か問題でも?」同じ男が淀みなく答える。
「いや、なにも」ソレルが肩をすくめる。
「では、ついでと言っては悪いが、ストライダ・ソレル殿。あなたたちの策をお聞かせ願おう」白鳳隊の年配の男が言う。
ソレルはレザッドと顔を見合わせる。それからひと呼吸して、仕方なしに話し始める。
とはいえ、ストライダの見解にドラゴンだという確証はない。ソレルは、まず、そのことを予めに表明し、それを踏まえたうえで大型の魔獣を仕留めるための大まかな方法を伝える。
「あの設置型のクロスボウが主力となるのか?」小男が訊く。
「うむ、だがあれはコクァトリスやグリフィンを仕留めるためにストライダが開発したものだ。もし敵がドラゴンだとしたら、効果のほどはまるでわからない」
「では、なぜそんな物を我々に作らせた?」
「わからない、と言っただけだ。防御の薄い箇所に打ち込めば、傷を負わせられる可能性は充分にある」
「捕獲、という路線は考えられないかな?」
奥の席で、今まで黙っていた白銀の鎧を身に纏った男が口を開くと、騒がしかった部下達が急に押し黙る。
「捕獲?」ソレルが聞き返す。
男は黙って頷く。ソレルはその男のことをなるべく意識しないようにしていた。テントに入るなり、レザッドが彼に警戒をはじめ、それからずっと目を離さないからだ。
「確かにストライダは、魔の物を捕獲して、囮に利用したりもするが…」彼は男の瞳をじっと見つめる。金色の瞳に、同じく真っ直ぐ肩まで伸びた金色の髪。典型的な貴族の騎士だ。
「まさか、これから来る生き物を、ゴブリンかなにかと勘違いしているわけでもあるまい」彼はは真顔で発言する。
その言葉に白鳳隊の数人が立ち上がる。
「無礼な!」叫び声がほうぼうから上がる。剣に手をかける者もいる。だが二人のストライダはまったく動じない。
白銀の鎧が大きく両手を広げ、皆に静まるように言う。部下達はしぶしぶそれに従う。
「こちらこそ部下の無礼を許してくれ。申し遅れたがわたしはメイナンド。この隊の隊長を務めているものだ」
ソレルは口角を上げる。やはりこの男が噂に聞く白騎士、メイナンド・レウーラ殿か。そう思いつつ、彼も簡単に名乗る。
メイナンドはにこやかに頷き、ストライダ・ソレルにまつわる武勇をいくつか挙げる。「もし叶うなら、我が隊に入隊してもらいたいものだな」そんなことを言う。
「ストライダは人殺しをしないが、それでよければ」ソレルは無表情で肩をすくめる。
再び場がざわつきはじめる中、メイナンドだけが大きな笑い声を上げる。隣の小男が意味深な、大きな咳払いをする。
ソレルは構わずに話を続ける。
「…ともかく、もし神話に聞こえるドラゴンだとしたら、こんなちっぽけな砦なぞは、簡単に蹂躙されるだろう。しかしドラゴンには個体差がかなりあるとも聞く。敵がそれほど強力な魔獣でなければ、何とかなるだろうが、当然、総力戦は予想されるだろう」
メイナンドが黙って頷く。
「…いづれにしろ、王都への進行は何としてでも阻止せねばならない。でなければ、沢山の民が死ぬことになる」ソレルはそう付け加えると、白鳳隊の面々もそれには同意する。
「しかし、そうだとしたら、ストライダがたった二人だけとは、ずいぶんドラゴンも舐められたものだな。」奥から嘲弄を含んだ意見が飛ぶ。
ソレルはそちらの方に鋭い視線を送る。
「それについては言うに及ばん。こちらでも援軍を呼んでいる」
「ほう!」メイナンドが意外そうな声を出す。「援軍とは?」
「ベラゴアルド最強のストライダと、それから魔法使い」ソレルは大まじめに言葉を続ける。
「これで止められないとならば、それこそ王国の総力が必要となるだろう」
—その2へ続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?