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ガンガァクスの戦士達 −その3


 次の朝、マール・ラフラン隊長は、長旅で疲れ切った体を休ませるために隊全体を休暇とした。 陽が真上に来た頃にドミトレスがやってきて、ガンガァクスに慣れるまでは魔窟に潜らないようにとの通達を伝えに来た。

 「まあ、ゆっくり休んでいてください。東に商業区があるので、楽しんではいかがでしょうか?」

 彼はそう言うが、マールは風紀の乱れを気にして、兵たちに商業区への出入りを禁止した。休めと言われても隊の士気に関わるので、昼からの訓練だけは怠らず、もちろん彼女もそれに参加した。

 「ガンガァクスにおいても、我らは誇り高き騎士。どのような時であろうと、王国に恥じぬような振る舞いをしなければならない」

 マールの通達に異議を唱えるものは隊の中にはいなかった。

 そうして二日ほど訓練を重ねる。魔窟内を想定した陣形を試したり、長期戦の際の装備の確認する。あらゆる可能性を踏まえた作戦を、彼女は副隊長と共に入念に練り上げていた。

 三日目に再びドミトレスがやってきた。彼は枯れ木に背をもたせながら、暫くは訓練の様子をじっと見つめていた。

 「そんなところで見ているのなら、ひとつ手合わせ願いたいものだな」そう言うマールに彼はただ肩をすくめる。

 「二日後、少々大掛かりな魔窟捜索があります。できれば力をお貸し願いたい」

 「そのための白鳳隊だ」士気は上々、願ってもない。

 「それで?手合わせの返事は?」マールはもう一度訊く。

 ドミトレスはため息を吐く。

 「では、…木剣でよろしければ」



 兵たちが円を囲む。皆、隊長の戦いを一目見たいのだ。前へ出ようとする者が多く、少々騒がしくもなるが、副隊長カイデラの一喝で大人しくなる。

 「よく統制のとれた隊ですな。」ドミトレスが構える。

 マールは返事をせず、木剣を構え、相手を観察する。レムグレイド一刀流。左利きか。いや、少し型が違っている。

 「勝ったほうが言うことを聞くというのはどうですかな?」

 またしても賭け事か。だか負ける気はしない。マールは少し考える。賭けごとはご法度ではあるが、他でもないここはガンガァクスの流儀に従おうか。「いいだろう」

 「それでは、いざ。」場に緊張が広がる。マールはまず相手の出方を見ることにする。

 「足を止めてくれ」急にドミトレスがそう呟く。

 「何?」

 ドミトレスが踏み込んでくる。一撃、もう一撃。マールは片手で流れるように攻撃を受け流す。次の一撃、彼女は木剣を滑らせ剣先を下げる。相手が重心を崩したところで、両手持ちに切り替え、思い切りはじき飛ばす。

 ドミトレスが豪快に地面に崩れると、兵たちがどよめきをあげる。

 「どうした?もう終わりか?」マールは冷たい声で言う。

 「いやはや、これは…、」ドミトレスが気を緩めたふりをして地面に掴んだ赤土を投げる。

 「なっ!」マールが目を覆った所で彼は立ち上がり、連撃を繰り出す。

 それでもマールはすべての攻撃を難なく受け流す。

 ところが、どういうわけか不意に足がもつれる。

 体勢を崩しながらも攻撃を凌ぐ。足を使わずに辛うじていなすが、次第に押されていき、マールは兵士たちの壁まで後退する。

 そこでドミトレスが切っ先を水平に構え、鋭い突きを繰り出す。避ければ部下に当たってしまう。彼女は無理な姿勢で木剣を弾こうとするが、それを予測したドミトレスが陽動の一撃を仕掛けてくる。

 体重をかけた重い追撃が来る。避けられない。やられる。

 その瞬間、木剣がマールの喉元でぴたりと止まる。

 「わたしの勝ちですな」ドミトレスがにんまりと笑う。マールはその剣先を見つめ、ごくりと喉を鳴らす。

 「…それでは、言うことを聞いてもらいましょう」彼は不敵な笑みを浮かべつつ、早々に背を向ける。

 「これから二日間、白鳳隊は完全休暇としていただきます」兵士に木剣を返し、彼は去って行く。

 マールは唖然とする。なぜ自分が負けたのかがわからない。

 ふと、足元を見ると、片足に投げ縄が絡まっている。

 「何だとっ!」去りゆくドミトレスを睨む。卑怯者は枯れ木の先でクリクと合流している。

 「謀ったな!汚いぞ!」顔を真っ赤にして怒鳴る。

 ドミトレスは振り向きもせず、片手を上げて去っていく。

 兵士たちからも猛烈な抗議がおこる。皆、ガンガァクスのやり方を口汚く罵る。

 「あれでは勝ちとはいえません。隊長は断じて負けてはおりません!」常に冷静なカイデラが語気を強める。

 だがマールは煮え繰りかえる心を抑える。

 「…いや、負けは負けだ。これから二日、白鳳隊は完全休暇とする」

 怒りで瞳を潤ませながらも、彼女はかろうじてそう伝えると、それ以上は何も言わず、足早にテントへ引き上げていく。



 「・・あれで良かったのかよ。」クリクが分銅の付いた投げ縄を弄び遊びながら、のんびりと言う。

 「魔窟に潜る前に、姫様にはここでの戦いというものを少しは知ってもらいたくてな」ドミトレスは手首を揉みながら言う。先ほど弾き飛ばされた際の手首がまだ痛む。

 「…とはいえ、正攻法で勝てるとは、到底思えなかったのでな」

 「おいおい、そんなに強えのかよ。」クリクが目を剥く。

 「…そうだな。」

 「ドム、まさかお前よりもか?」

 「ああ、真剣で交えていたら、わたしの首はもう無いだろう。」それを聞いたクリクが口笛を吹く。

 「…けどよ、おれからしてみても、あれはちょっと卑怯だな」犬牙族は笑う。言葉とは裏腹に、少しも気にしていない様子。

 「だがこれでいいのだ。仮にわたしが正攻法で勝ったとて、姫様も隊の者たちに示しがつかなかっただろうさ」

 「それで、敢えて、ってことかい。…面倒だな」

 「ああ。面倒なのだ、人間は」

 「ま、いいや。約束通り一杯おごれよ」

 二人は商業区の方へ歩き出す。



 その日から、マールは自分のテントに籠もり続ける。二日目の夕方にカイデラが訪れてきて、「部下達は規律を守り大半が兵営にいますが、幾名か商業区に飲みに行くものも出てきました」そう報告する。

 「何をしようが彼らの自由だ」マールは静かにそう告げる。

 副隊長は隊長のことを心配し、少しだけ次の言葉を待ってみる。何も言う気配のないその後ろ姿を確認すると、彼は黙ってテントを後にする。

 その夜、マールは本国に向けて手紙を書く。滞りなくガンガァクスに到着したこと。士気は上々であること。大した問題も無く、前任の戦士達とはうまくやっているということ。それから明日、魔窟へと潜る報告を、少しだけ虚勢を踏まえて綴る。

 彼女はそれを、王族宛ではなく、白鳳隊第一隊長メイナンド・レウーラに宛て、当然、封印の蝋も白鳳隊の紋章を捺した。

 それにしても、あの退屈な宮廷暮らしよりはましとはいえよう。彼女はそんなことを考える。

 自ら入団試験を受け、隊長の座まで上り詰めたにも関わらず、彼女が実戦で経験を積めたのは、ただの一度だけだった。それも辺境の地での小鬼退治であり、その時も、実際には剣を抜かずに戦いを終えた。白鳳隊は彼女を評価してはいたが、如何せん王族からの圧力により、危険な任務には参加させられずにいた。

 王国ではどんなに強くなろうと、彼女は結局、要人であり王族であり姫君であった。部下達のどことなく腫れ物に触るような態度も、彼女は気に入らなかった。

 そうこうしているうちに、フラバンジ帝国から求婚の話題が浮き上がってきた。それは正式なものではなく、まだ噂の域を出ない話ではあったが、それでも彼女は激怒した。王族の女はどんなに強くなろうとも、婚姻でしか役に立たない。そんな己の身分を呪いもした。

 そんな折り、耳にしたのがガンガァクスの話であった。身分、種族、性別、すべてを問わず、古の盟約のもと、徴用を募る要塞の話だ。

 訓練に明け暮れ、ろくな任務にも就けない生活の末、明らかな政略結婚でこの身を終えようとしていた彼女は、直ちにガンガァクス行きを志願した。

 ガンガァクスは義勇兵で成り立っている。魔窟から出でたる魔の物を封じ込め続けることは、ベラゴアルド全域においては最重要課題であり、大陸の総意でもあった。そして、ガンガァクスに志願することは、古の盟約により、いかなる者も受け入れられた。それを権力を持って阻止することは、たとえ王族とて御し難いことでもあった。

 もちろん、それさえも阻止せんとする動きはあった。政治的利用価値のある王族の姫君を手放すことを面白く思わない勢力も、少なくは無かった。

 それでもマールの意思が王国に通ったのも、ひとえに、王国付きの大魔法使いがひとり、サァクラス・ナップの口添えのおかげだった。その若き魔導士は、同じ女として、マールの境遇を不憫に思い、何かと心を砕いてくれていたのだった。

 そうしてマール・ラフランはガンガァクスの地へと赴く運びとなった。当初、たったひとりでそこへ挑もうとしていた彼女だが、副隊長をはじめ、実に八十二名もの部下たちが同行を願い出てくれた。

 これには彼女は、密かに涙を流して喜んだ。ついて来てくれることではなく、自分が単なるお飾りではなく、白鳳隊の隊長としての人望があったことが、何よりも嬉しかったからだ。



 彼女はカイデラに手紙を送るように申しつける。やはりここでも伝令の六つ羽鳩はうまく飛ばないらしい。

 「代わりにストライダの連絡網があるようなので、そこに頼んでおきます」副隊長はそう言う。

 「そういえば、ストライダは一度も見かけないが、もちろん居るのだろう?」マールがそう訊くと、「はい、今は三人ほど常駐しているらしいです」副隊長はしっかりと頷く。

 「なんでも、とても年老いた者たちばかりで、通常は要塞内の研究室で魔物の研究を続けているのだとか」

 「そうか」ストライダの考えていることは分からない。彼女は一度王都の城下で見かけたストライダの男のことを思い出す。彼は王都の近くで討伐したスメアニフという吸血鬼の死骸を担いでいた。解剖するための部屋を貸して欲しいとのことのようだった。それからその男は文書館に幾日も引き籠もったかと思えば、いつの間にか消えてしまった。髪と瞳が灰色の、山猫のような男だった。

 「カイデラ。ストライダは皆、死に際に魔窟へと入っていくというのは本当か?」

 「そのようですね。ストライダは歳を取ると、魔窟へと赴き、戦いのなかで果てるらしいです」わたしもそうありたいものだな。そう言うマールに副隊長は渋い顔をする。

 不意に、テントの外が騒がしくなり、なにやら言い争う声が聞こえる。

 二人が外に出てみると、松明の下で部下達が怒号をあげている。向かいには見慣れない鎧を着た男達が数人見える。

 「どうかしたのか?」部下のもとに近寄る。

 「おっと!こいつはたまげた!」見知らぬ男がおどけて叫ぶ。

 マールはその男を睨む。黒と赤の鎧に金色の縁取り。フラバンジ帝国の兵士だ。

 「今日はご挨拶に参りました」男が腰を曲げ、大仰な挨拶をする。どうやら酔っているようだ。

 「それは無用だ。早々に立ち去られよ」マールは脅すつもりで剣の鞘に手を掛ける。

 「そんなに怖いお顔をなさるな」他の男が笑いながら言う。かわいい顔がだいなしだぜ。奥の男が囃し立てる。

 「あんた、レムグレイドの姫様なんだろ」さらに別の仲間が割って入る。

 「なあ、そうなんだろう?」ニヤニヤと笑いながら、彼女を舐めまわすように見つめる。すげぇべっぴんじゃねえか。後ろの方からもそんな声が聞こえる。

 男たちの目線が彼女の白い胸元に集まる。そこでマールは薄手のブラウスで外へ出たことを後悔する。

 すると、カイデラが彼女の前へ出る。続けて他の部下達も続く。金属の音が忙しなくなる。誰もが剣に手をかけ、一触即発の空気が張りつめる。

 無駄な争い事は避けなければ。マールは前へ出ようとするが、部下達に阻まれる。

 「なあ、やめなよ」

 すると、頭上で声がする。皆が見上げると、ピークス司令官が宙で腕を組み、空中浮揚している。



 「…それとも、果たし合いでもするかい?」爪を突き立て、ピークスが降りてくる。

 「ガンガァクスでの仲間同士の揉め事は、おれが立ち合って、力でけりを付けることになっているからね」

 皆が押し黙る。ピークスは例の流線型の剣を抜く。

 「それとも、みんなでおれと勝負するかい?」フラバンジの兵士に鋭い眼を向ける。

 そこで兵士たちは怖じ気づき、急に態度を変えると、言い訳をしながら足早に立ち去っていく。

 場が落ち着くと、マールは部下達に解散するように言い、それからピークスに頭を下げる。

 「部下の不手際ではなく、これはわたしの責任です」それを聞いたピークスは眼を丸くして、笑い声を上げる。

 「いや、いいって、いいって、仕方ないよね」人間は争い事が好きだもんね。歌うように言う。

 「…あの、それから、先日も、大変失礼いたしました」マールは先日の魔窟入り口での無礼を詫びる。

 「すみませんでした。わたしはてっきり…、」

 ピークスの頭の和毛がぴくりと動く。

 「てっきり、なに? てっきり司令官は人間族だと思い込んでいた?」

 「いや…、」図星を点かれマールは言葉に詰まる。

 「バードフィンクに軍の統率はできない。そう思った?」マールは何度も首を振る。「けど、今みたいに、ここで一番争い事が多いのは人間族だよ」ピークスが鋭い眼を向ける。

 「いや、その。ただの勘違いというか、何というか…、」しどろもどろになる彼女に、ピークスが再び吹き出す。

 「うそうそ、もういいって!今日は明日の打ち合わせに来ただけだからね」

 それでもマールはひたすらに畏まっている。ちょっとからかいすぎたかな?ピークスは少しだけ申し訳なくなってくる。「…ねえ、それよりさ、」彼はテントを指差す。

 「中に入れてくれるかな? 知らない? 鳥はさ、あんまり夜目が効かないんだ」

 「申し訳ございませんっ!」彼女は慌てて案内をはじめる。

 「…やっぱり面白い人だなぁ」ピークスはのんびりとそう言い、瞳だけで笑う。彼は自分の冗談が不発に終わったことを、余計に面白いと感じているのだった。


−その4へと続く

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